昨日はツイッターで、大人げない言葉をつぶやいてしまいました。
こんなことを言っても仕方ないのに、でも自分の気持ちをコントロール出来なくて、思いきりつぶやいてしまいました。
もしかしたら、私のつぶやきに不愉快な気持ちにさせてしまった人がいるかもしれない。
ごめんなさい。
そんな私にリプライしてくれたフォロワーさんに、ありがとう。
今朝、今週の手帳を開きました。
昨日はまったく気づかなかったのですが、そこにはヒューレン博士のこんな言葉が綴られていました。
「自分が体験する『欲』をクリーニングしましょう。
欲はとても重く、負荷がかかるものです。
本来のあなたは、自由で、軽やかな存在です。」
目が覚める思いでした。
私が昨日つぶやいていたことは、私の「欲」からくるものでしかなく、その欲に縛られて、自分自身を一つの場所にこだわるほど、がんじ搦めにしていたのです。
どこにいても、私自身に欲がなければ自由でいられるのに、欲にとらわれて、自分が不自由な存在であるかのように嘆いていました。
そして、自分は必要とされていない存在なのだと、決めつけていました。
昨日もたしかにこの手帳のこのページを見ていたはずなのに、気づかなかったヒューレン博士の言葉を見せてくれたのは、私のこんな気持ちに傷ついていた、私の中のウニヒピリかもしれません。
それから、私は今まで読んできたはずの、手帳に綴られたヒューレン博士、KR女史の言葉を振り返ってみました。
「わたしたちはクリーニングするために、人や仕事と出会います。
クリーニングによって取り戻すのは、愛、自由、平和、つまり『ほんとうの自分』です。」
「どんな予定もニュースも、それはウニヒピリが見せてくれた記憶。
自由になるチャンスです。」
「あなたが出会うすべての人々は、あなたが、あなた自身を愛することを
学ぶために現れてきてくれた、かけがえのない存在です。」
「わたしたち、ひとりひとりに与えられた『ほんとうのしごと』とは、クリーニングです。
そして、クリーニングによって得られたインスピレーションから、
日々、生活を営むことが最大の喜びです。」
「期待が生まれるのは、あなたに何かが不足しているからでも、
ほかの誰かが『わからずや』だからでもありません。
あなたの中で記憶が再生されているからです。
透明な水は、いつでもあなたの中にたっぷりあるのです。
濁ったものは、クリーニングしましょう。」
「いつまでも古い記憶と戯れるのはやめましょう。
『考えること』に依存気味になってはいませんか?」
「『これがわたし』と信じている自分とは、いったいどんなあなたですか?
その自分は、記憶から見ているものですか?
それとも、ほんとうの自分ですか?
あなたはもともと完璧に創られています。」
「穏やかに話し、穏やかに歩いてみましょう。
『ほんとうの自分』の声が聞こえてくるかもしれません。
宇宙の隅々も、ほんとうのあなたの声を聞いてくれるでしょう。」
これほどたくさんのメッセージを贈ってくれていたのに、私はすっかり忘れていました。
そして何より、クリーニングすることの大切さを忘れていました。
そのことに気づかせてくれたすべての体験と、その体験を見せてくれたウニヒピリに。
ありがとう。
愛してます。
ごめんなさい。
ゆるしてください。