しがないハナシ。

日常で感じたことを、ぽつぽつと更新中。

未来世紀ジパングSP

2014-10-13 09:58:17 | アゼルバイジャン
あ、そうそう。
今日の夜10:00~の「未来世紀ジパングSP」は
アゼルバイジャン特集のようですね。

前回SPは、トルクメニスタンだったので、
資源バブリーな国特集が続いておりますが。

よければ左のカテゴリから、
アゼルバイジャンの旅行記をどうぞ。


バブルの象徴、フレームタワー

そういえば、ガイドしてくれたアゼリー人の女性が
36年、外国人向けの旅行ガイドをしている、
超ベテランのお母さんだったのだが、
※英語ガイドさんです
ソ連時代は、「KGBに監視されながら、ガイドしてたのよ~」と言っていた。
バスに、KGBの職員を乗せて一緒に周っていたんだそうな。
東西冷戦の攻防がすぐそこにある日常。

お母さん、強いな。
しかし、冷戦中でもやはり旅行者っておるのね~

オヤジ達

2014-06-11 22:37:13 | アゼルバイジャン
シェキの町では、女性は夜歩いてませんでした。
女性が夜歩くなんて!って感じなのかな?
(夜といっても夜8時くらいで、まだ明るかった)

なので、家庭に入る女性が多いのかと思ったら、
仕事を持ってる女性も非常に多いんだそう。
働き者ですねぇ。

観光合間に、地元民とのふれあいも少々。
おじさん達のお茶会に乱入。

この後、めっちゃ甘いお茶菓子を
口に放り込まれる…
でろでろに甘い。


朝、バスを待っていた人達と何故か写真撮影大会
盛り上がり過ぎてこのあと、
彼らはバスに置いてかれそうになっていた。


こちらの市場の片隅でも
おじさん達のティータイムにおじゃま。
チャイをごちそうになる。


前述のでろでろに甘いお菓子は、きっとコレ。
ナッツのお菓子をシロップ漬けにしてる模様。
市場で発見。

そういえば、ここの市場で
やたら「何人か?」と聞かれたのだけど(多分)
「ヤーポン?」と聞かれたので、
多分日本のことっぽい、と思い、
「うんうん」とうなづいておいた。
すると周囲の人も
「おお、ヤーポンか~」
という感じで散っていきました…
みんな気になってたのね。


しかし、ヤーポンって、ロシア語で日本に関連する言葉なんだろうか?
と、よく分からんかったので、
それ以降、「何人?」と聞かれる度に
「ヤーポン、ジャポン、ジャパン」
と3点セットで答えることにしてました。

あ、ちなみにアゼルバイジャンの人達は、
アゼルバイジャンの言葉をしゃべります。
でも、旧ソ連だからロシア語も通じます。
(私は、市井の人にはほとんど英語通じんかった~)


シェキ

2014-06-08 13:27:07 | アゼルバイジャン
場所に馴染みが無いと思うので、
今サラですが、一応地図を掲載


じっくり時間をかけて周ったわけでは無いけれど
シェキの町が、個人的には良かったです。

見どころは、シェキ・ハーンの夏の宮殿
宮殿というと、ごついのを想像しますが
こじんまりとしていて、でも素敵でした。
2階建ての小さな部屋が6部屋しか無かった。


外壁は、モザイクが素敵です。


ステンドグラスも素敵です。

 
壁一面のフレスコ画も見事です。


昔は商業都市としてにぎわっただけあって、
町中に残されているキャラバンサライ(隊商宿)も立派。
こちら、現在はホテルとして営業してるそう。

シルクロードを人や交易品が行き来したたんだなぁ
と、ロマンを感じてましたが
写真のエントランスは、WiFiがめっちゃ飛んでました。
ホテルやもんな。。。

シェキの町は、絹の生産が盛んだそうなので
布を見たかったのだけど、チェックするタイミングが無く
後ろ髪を引かれまくりです…



シャマフ

2014-06-06 23:41:36 | アゼルバイジャン
シェキまでの移動中に
シャマフの金曜モスクへ立ち寄る。

幾多の地震を乗り越えたモスクも、
最近新しく建て直されたようで
新しいモスクもきれいで良い。
※金曜モスク…金曜礼拝を行う、大きなモスク。
 

このモスクの敷地内にも、
アルメニア人によるアゼルバイジャン人虐殺の痕跡が残っていた。

砂漠っぽかったバクーから北上し、
この辺りから牧草地帯が広がり、
私のイメージしていたコーカサスっぽい雰囲気に


金曜モスクから少し離れた丘の上にある7つのドームへ。
この辺りを治めていた王族のお墓。
アルメニア人による侵攻や、地震などで
現在、残されたドームは3つだけ。
 

ドームの周辺にもお墓。
メッカの方向へ向いているらしい。



ちなみに、このドームの近くに
日本の援助により建設された小学校があった。

余談だが、アゼルバイジャンへのODA額No.1は、ここ数年日本なんである。
在留邦人は35人。在日当外国人は62人である。
日本の企業だと、トヨタがあると言っていた。
あと、最近は韓国企業の進出が目立つ感じ。

メルセデスと難民

2014-06-03 23:09:14 | アゼルバイジャン
NHKの『仏の履歴書』が終わって悲しい…
次のシリーズしてくれんやろか。

***
さて、記憶の薄れてきた、旅行記を再開。

アゼルバイジャンの首都バクーから、
北上し、シャマフを経由してシェキへ

バクーからシャマフへ向かう郊外には、
国内避難民が暮らす建物が。
アパート・マンションというより団地っぽい感じ。

そしてここで、この地域を旅するなら
知っておかなければいけないナゴルノ・カラバフ問題。
アゼルバイジャンとお隣のアルメニアの間で
長らく問題になっているのが、この問題。

私が理解している内容をざっくり説明すると
(間違えてたら失礼!)
アゼルバイジャン国内には、
アルメニア人が多数を占めるナゴルノ・カラバフ自治州というところがあって、
元々はここが、アルメニアへの帰属を主張、
民族問題から、紛争へと発展したのです。
(1980年代後半から、1994年頃まで)
そのときに、少数派のアゼルバイジャン人が、
住むところを追われて、現在も国内避難民として暮らしてます。
現在も問題解決の兆しは無し。


2014.06.03 外務省HP


最初はアルメニアへの帰属を求めていた、
ナゴルノ・カラバフは後に、独立を宣言。
しかし、国連など各国の承認は得られていないので
現在は、いわゆる未承認国家となっています。

ちなみに、紛争の際、ナゴルノ・カラバフを支援したのはアルメニア。
現在も、アゼルバイジャン国内であるナゴルノ・カラバフへ軍を駐留させているとか。
(実行支配っぽい感じですかね?)
なので、アゼルバイジャンとアルメニアの国境は封鎖中。
超仲が悪いです。

そして、そのアルメニアを支援したのがロシア。
大きな後ろ盾を得たアルメニア側が優位に立つことになったため、
アゼルバイジャンは、現在も反ロシア的な感じです。
距離を取ってる感じかな~?

バクー市内は、高級車がバンバン走ってたけど
少し郊外に出ると、難民…
ギャップ激しすぎですよ。


今回は説明で終わってしまいました。
次回へ続く。。。