歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

豊臣蒼天録紀行2―豊国廟 豊臣秀吉悠久の眠り―

2011-10-06 00:04:31 | 豊臣蒼天録
さて、それでは第2回。
そうは言っても、取材場所の大半が2巻以降なもので、どう出そうか(w
まずは第1巻の舞台、豊国廟から。




京阪七条を降りますとバス停に人が。
・・・な~んか妙に女子多い。
そうというのもこのバス路線、その名も「京都プリンセスライン」
あれ・・・前からそうだったかな?
一瞬、「これ、誰でも乗れるんですか?」とそこの女性に聞いたさ。
ついでに、豊国廟についても聞いたのだが、まったく知らなかった。
・・・まあ、行ってみるか。




ちなみに、こんな真っ赤なバス。
この車両は運転手さんも女性です!




到着!!
麓は京都女子大とその付属小、中、高です。
その奥に見えるのが豊国廟の入り口ですが・・・





無人のボックスに50円入れて参拝します。
・・・なんか、秀吉本人だったら踏み倒すんじゃなかろうか(汗


さて、そんな豊国廟なのですが、







もう、ひたすら延々上ります!!!!!


その段数は五六五段。
かつて大河ドラマの「秀吉」でこれを駆け上がるシーンあったそうですが(見てたけど、よく覚えていない)
『豊臣蒼天録』でも飯田直景が駆け上がる場面ありましたけど、
いや、そりゃ無理じゃないのかと!!


「呼び出すんなら平地で!」とは前作で、細川忠興が義父の光秀さんに言ったセリフですが(w
特に下半分のほうが、石段の間隔が均等じゃないので疲れる気がしますね。
まあ、最大の原因は取材が9月の例の猛烈残暑・・・ここを訪れたのは取材最終日だという点で。
疲弊状態で上げるのきつかったです。


バレてるとは思いますが、ここを訪れたのは1巻発売後でした。
1巻の豊国廟の描写、実は反映されてはおりません。
割とイメージ通りではありましたけれど。
でも、先に行ってたら直景のシーン無かった気もするなぁ・・・




果てしなく弱音を吐き続け、到着!!
作中にも登場、秀吉墓所の大五輪塔。
伝わっているか分かりませんが、かなり大きい。
この前で、秀頼ヘタレてた設定です。


この豊国廟は作中説明通り、秀吉逝去の翌年に建立、
大坂の陣後に破壊されますが、明治維新後に「太閤さん」を慕う京の人々を中心として復興されました。
そんな訳で、遅くなりましたが「一生懸命書かせて頂きます。息子さんの話ですが」と豊国に報告を!!
『関ヶ原群雄伝』『本能寺将星録』(こっちは敵役だけど)にも出てましたので、それもついでに。


しばらく休んでから下山。
ちなみに、豊国廟参道は京女があるためか「女坂」と呼ばれています。



豊国廟参道。


うん、秀吉も喜んでいるに違いないな。
でもお願い、豊国廟の存在を認識してあげて!!