さて、今回わりと言われたのが、、、
「これって関ヶ原群雄伝の続編?」
ということですかね?
はい、違います。『関ヶ原群雄伝』の面々は、
矢矧川から東軍追いかけて、東海道を東へと行きました!
その結末は、作者しか知りません(w
・・・とは言え、まったく違うとも作者的に思わず、
随所に影響はあります。
なんか「関ヶ原群雄伝のどこかで物語が分岐して、
史実通りの関ヶ原の合戦を迎え、そして敗れた」
それから11年・・・のような気がします。
これは、作者の頭の中で自然にそうなった気が。
もちろん、それでも矛盾はあるわけで、キャラが全然違う人もいますし。
でも、1巻の大谷大学→秀頼への太刀の場面、
「主役交代」みたいな気で書いたのは確かでした。
終章はこの物語のために書いたものですが、
ラストのラストだけは、実は「関ヶ原群雄伝を家康討ち取るまでやったら!?」
で考えたものです。
あの場面を描けて、実はけっこうな満足ありました(w
『関ヶ原群雄伝』のキーワードのひとつに、「豊臣の子」がありました。
「それは秀頼でした!」では、そのまんまですが(w
でも、秀吉の形見の太刀の継承の物語は、これにて無事、完結となりました。
太刀がもう、必要でない時代が訪れたので。
今後、秀頼や吉勝がどこかに出ても・・・それは、それなのですが(w
智本光隆