歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

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桃山乱戦奇譚 天下人の血―そのあとがき②―

2013-10-12 06:14:21 | 桃山乱戦奇譚
さて、それであとがきの続き(前回いつだった?って話なんですがw)


兄である関白秀勝よりも「動かしやすいか?」的に選んだ秀勝ですが、
実は「秀勝」を名乗った「秀吉の子」は3人いたと言われています。
つまり、


1、石松丸(豊臣秀吉長男)
2、於次秀勝(織田信長四男、秀吉養子)
3、小吉秀勝


この3人。
本作の主人公は3代目の小吉秀勝。秀吉の姉。ともの次男で秀吉からすれば甥になります。
なのですが、この「秀勝」なる者達・・・はっきりいえば「よく分からない」


まず、初代の石松丸は長浜城主時代の秀吉の実子と言われています。
もっとも元服前に死んでいるのは、仮に石松丸を秀勝だとすると、
それは将来「名乗らせるつもり」だったことになりますか。


そして2代目・・・於次秀勝は織田信長の四男で秀吉の養子に。
山崎の合戦では総大将となり(『本能寺将星録』のときは出しませんでしたがw)、
戦後は明智光秀の居城である丹波亀山城主になります。
実子のない秀吉の後継者だったわけです。
その二代目秀勝は秀吉の関白宣下と同じ年に、18歳に若さで病没します。


翌年、その名前と居城の亀山城、そして少将の官職までそっくり引き継いだのが、
本作の主人公である3代目・小吉秀勝。
この謂わば「秀勝名跡継承」があまりに自然に過ぎたため後世の一時期、
於次秀勝と小吉秀勝は同一人物という見解さえありました。
つまり、、、織田信長の四男はその後も生き続け、文禄の役の最中まで生存したと。


当初、この「秀勝すり替え」を物語の軸にする案もあったりしました。
メインキャストに蒲生氏郷、細川忠興の信長系大名がいるのは、実はその名残。
最終的には秀勝―関白秀次―太閤秀吉の3者を軸に物語は進みましたが、
で、この小吉秀勝という男、、、


・秀吉の養子になったのは兄の秀次よりも先(当時、兄秀次はまだ三好姓)
・妻は織田信長の姪・お江の方。
・九州征伐で武勲を立てるが、知行に不満を言って所領没収→以後、一時消息不明。
・小田原攻めの頃に帰参して戦後、甲斐国主に。国内では積極的に治世にあたる。
・わずか8ヶ月で岐阜に国替え。
・文禄の役では第九軍総大将(この地位は事実上の総大将)
・巨済島で陣没。

・・・これが大まかな略歴。これで浮かび上がる人物上は聡明な人物?それとも暗愚な男。
実はこの他にも、、、


・豊臣秀勝の家臣だったという、名のある者が見当たらない。
亀山城主就任時も放棄時も、家臣の引き継ぎがない。
死後、岐阜城主となった織田秀信は新規に家臣団を編成している。

・小田原攻め直前に蜂谷頼の旧領・敦賀を得たともいうが、
蜂谷の家臣団はそっくり大谷吉継が引き継いでいる。本当に敦賀城主にはなったのか?


もちろん、豊臣家が現在、存続していないということ。
兄の秀次が後に切腹させられていることなどもありますが、どうも秀吉存命時の豊臣政権が、

「豊臣秀勝という男の存在を、この世から消そうとした」ような印象を受けました。

二代目秀勝もまるで、存在を消されたように三代目に代わりました。
病死かそれとも・・・はよく言われるところですが。
そして、その三代目も文禄の役の最中に急死。
後の秀次事件の顛末を見れば、これはただの陣没かそれとも、、、


このあたり「天下人」豊臣秀吉のダークサイドのような気がします。
穿ちすぎといえば、それまでか・・・・?

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