さてと、関ヶ原取材も今回で終了で。
最後は東西両軍の御霊を祀った場所へ。
東首塚
西首塚
合戦後、家康は首実検を経て、土地の者に命じて首塚をつくらせたといいます。
東首塚が東軍で、西首塚が西軍とも言われていますが、確かでもないようです。
(作中では、西首塚が西軍・・・との設定)
東軍に敵対した、西軍将士に罪がないとはいえないが、
主君秀頼のために命を捧げたことに他ならず、憎めるものではない。
故に、豊臣の危機に直面し犠牲になった者を納め葬ることは、
仁義に厚い心得の成し得ることであり、まさに家康の教えが、
今の世に泰平をもたらしたと言えよう。
将来この首塚が、丘や谷に変り果てることの無いよう乞い願うものである。
この碑文はもう、あまりにも有名かも知れません。
東西両軍、共に求めていたものは「太平」である。
江戸時代を「平和の世紀」という言い方をすることが多いですが、
それを「敗者」として成し遂げたのが、西軍将兵であったと思います。
『豊臣蒼天録』の結末は、勝敗が逆です。
でも、「太平の世を創る」という結末は一緒にしたつもりです。
さて、後は紹介漏れ数枚を。
徳川家康最後の陣跡
関ヶ原合戦400年平和の杜
町内に翻る東西両軍の旗
君も三成に、家康に!!
そういえば、室内だったので写真は撮っていませんが、
関ヶ原町歴史民俗資料館内の武将紹介に、
「大谷吉継と木下頼継はあって、吉勝は何故か入っていない」
とかありました。
これは本気で「なぜ!?」と思った。どうして弟だけ?
あとは一階に、「平成日本で唯一の長期政権を樹立した総理」が来た時の、
写真とかあったなw
さて、関ヶ原取材も終わり。
この紀行もあと数回かな?