日本人としてですね、
厳島神社には、行っておかねばならないと思っていた訳ですよ。
この度、タイミングが合ったので、単身やってきました。

何て言うんでしょうかね。
画像で見るのと実物は、違います。

画像が小っちゃいからではないと思います。

こんなモリモリ写真でも、記憶を引き出す
トリガーにしかならないと思う。

この回廊の雰囲気なんて、記録<記憶 の端的な例。

海側から撮っても潮の匂いはしないし、

運良く遊覧船が鳥居の下をくぐってくれたけど
何とも言えないバチあたりな感触が伝わらない。
食べ物でもそうだ。
味も、匂いも、歯応えも、喉越しも、温度も、雰囲気も、
画像で伝えるのは極めて難しい。
そういうのはプロに任せて、フラッシュメモリ化している
ボクの記憶に刻み込んでおきたい。
遺産として保存すること、
それ以前に、継続性を担保すべく技と術を尽くすこと、
それらは、曼荼羅的な諸行無常と如何に折り合いを
つけるのだろう?
いや、人の執着心や煩悩があってこそ、
無常が意味を成すと信じよう。
そういうことなんだ、たぶん。

ね、お侍さん。
難解なクリック
↓

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