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スペイン語で遊ぼう!みんなの広場_since2004

スペイン好き、ラテンアメリカ好き、スペイン語好き、スペイン語をやってみようかなぁと思っているヒト、寄っといで!

言語脳って何なんだ?

2024-11-29 | ひとりごと

言語脳(語学脳?)について考えている。

昔、スペイン語ペラペラの日本人と親しくなったとき、どんな感じで「ペラペラ」の域に達したのか教えてもらたった。その人は若いころスペインに留学してスペイン人と知り合い、スペイン人同士が何を話しているか全然わからないときから何に誘われてもついていき、夜は眠くてもバルの「はしご」につきあい、わからないまま雑談を聞き続けていたそうだ。たぶん昼間は語学学校で真面目に文法を勉強していたと思うが、ある夜、友達の雑談が突然全部わかる瞬間が訪れたという。まるでスペイン語の回路ができたかのように、言葉がいっきに耳から流れ込んできたという。

私もそうなりたいと願ったものだ。しかしすでに若くもなく、お酒も飲まず夜出歩くのは好きじゃない私ができることは限られていた。私がスペイン語を学び始めたとき、英語に関しては「記憶にございません」状態だったので、ダイレクトに「スペイン語脳をつくろう」という方向でがんばれたのだが、結局、その友人のような "瞬間" が訪れることはなかった。(とは言っても、20年後には "なんちゃって" ながらも通訳業をやっていたのだから、いちおうスペイン語脳は "いつのまにか" できていたのだろう。)

そしていま、何が悩みかというと、英語を学び始めた時から「英語脳」のスペースが見つからないこと。そのうえ「タイ語」をやろうとしたら、まったく頭からはじいてしまうこと。これは、単に「加齢のせい」なのだろうか?

はじめは、英語を話そうとするときスペイン語で文を組み立てている自分に気が付いた。スペイン語のほうが日本語より英語に近いからだろうと思った。そのうち、英語を話そうとすると英語とスペイン語が回路で葛藤する感じになってきた。口から出てくるまで時間がかかる。「言語脳」のスペースがひとつしかないのか、あるいは言語脳は各言語で形成しつつも回路のほうが一本しかないのか…?

タイ語にあっては、まず文字の習得に時間がかかりすぎ、いったんあきらめた。私は日本語教師であり「日本語を学ぶには、ひらがなとカタカナは必須。ローマ字では文法を学ぶのに支障がでてくる」という方針なので、タイ語文字に挫折するのは不本意である。タイ語に対して失礼だと思う。でも申し訳ないけど「まずは旅行に必要なフレーズだけでも発音記号で覚えさせてください」という気持ちで、いくつかのフレーズと数字だけなんとか覚えた。

そしてここでまた葛藤である。

実は今、私はタイでワーケーション中なのだが、ホテルやレストランでタイ人に話しかけるとき、英語とタイ語のどちらを出すか回路でひともんちゃくあるらしく、出てくるまでに相当時間がかかるのである。ホテルやレストランでは英語は通じるというものの、どれだけできるのかわからないし、かと言って私から "Do you speak English?" と聞くのもおかしい(自分がたいした話せないので笑)。タイ語で覚えたフレーズ以外は英語を出すしかないし、ここではもうスペイン語の出る幕はない。私はただの「母語以外はカタコトしか話せない外国人」になってしまっている。

このところ、2言語以上を勉強している人とそのような経験を話すことがあった。日本語ビギナーなのに「昔から勉強しているドイツ語を久々に話そうとしたら日本語で考えてしまって、ドイツ語が出てこなかった」という人もいた。そこで考えたのだが「言語脳」は「母語」以外に「習得言語」というひとくくりの枠(脳)しかないのではないか。そして私の場合は、そこに「スペイン語・英語・タイ語」が同居していていて、出口というか回路がなかなか複数形成されないのではないか。

まったく素人ながら、こんなことを考えた次第である。

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グローバルな時代にとりのこされたサマータイムってやつは…

2024-11-04 | ひとりごと

今年も、アメリカ合衆国のサマータイムが無事終了し、ホッと一息である。

どういうことかと言うと、オンラインで日本語教師を始めてから4年あまり、アメリカ、メキシコ、ヨーロッパのサマータイムに振り回されてきたのだが、今年はどうやら交通整理がうまくいったようなのだ。

初めてのサマータイム終了時(2020年の秋)、私は予約スケジュール枠を1時間遅らせて生徒のみなさんに合わせたのだった。例えばアメリカ人女性で「子供が寝てからが私の勉強時間。だからPM9時がいいんです」と定期的にレッスンをとってくれる生徒に対して、「そうは言っても日本の時間は変わらないので、サマータイムが終わったらPM8時にしてもらえませんか?」などと、私にはとても言えなかった。みなさん自分の生活リズムがある中、夕方から夜の時間帯(日本の午前中)の範囲で選んでくれているのだ。みなさんが1時間遅くなるなら、私の午前の時間割も1時間ズラせばよいではないか。アメリカとメキシコでサマータイムの終了日が違っていたので、どのタイミングで私がズレていくのかちょっと悩ましかった。

しかし初めのうちはまだ良かった。2022年にはメキシコのサマータイムが廃止され、翌年アメリカのサマータイムが始まるときに「アメリカ人生徒が1時間早い時間を予約しはじめてもメキシコ人生徒の時間は動かない」という事態が生じた。パンデミックが落ち着くとともにオンラインの生徒数が減ってきたので、それほど衝突の心配はなかったが。

去年2023年のサマータイム終了時には、なぜかアメリカ人同士の衝突があった。みなさん当然のように1時間遅くなったのに、ひとりズレたくないアメリカ人がいて席がなくなってしまったのだ。私は新たな曜日に予約枠を開けなければならなくなった。

今年もまた「日本の時間は変わらないのだから、私のレッスンは日本時間のAM**時のままでいいです」というアメリカ人が現れた。さらに新しい生徒がコロンビア人で、サマータイムがないため時間が変わらない。午前中の生徒の半数が1時間遅くなり、半数が変わらないという異例の事態だ。しかし幸い上記の通り、事なきを得た。

自分の国のサマータイム中心に世界が回っている人々。それは個人の責任じゃないのだからセルフィッシュとは言えない。オンライン教師として学生の望む時間割を尊重したいのはやまやまだが、サマータイムのない国の人々の時間も当然尊重しなければならない。椅子取りゲームで誰かの席がなくなってしまうというのは、やはり困るわけ。世界中に時差ってものがあるのはしょうがないけど、サマータイムを廃止するなら世界中で廃止してほしいよなぁ。

 

とりのこされたサマータイム、なんとかしてほしいんだけど。。。お願いします!

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北海道では豚肉でも "焼き鳥" という?という伝説

2024-08-18 | ひとりごと

先日、お気に入りの定食屋に1年ぶりくらいで行った時の話である。

店先でメニューを見て、私が食べたいのは「チキン○○煮」であると確認し、席に着くや否や注文したかったのだが、”運ぶ人” が紙のメニューを運んできて注文はタブレットでお願いしますと言って去っていった。タブレット注文になったのは知っていたが、以前は口頭でも受け付けてくれていたと思った。でも去っていったので仕方なくタブレットと向き合った。”しぶしぶ” である。QRコードから注文してくださいと言われたらおそらく店を出ていた。

見ると「鶏肉・豚牛肉・魚」のように分類されていたので「鶏肉」のところから入って探したのだが見つからない。他の材料のところも念のため探したのだが出てこない。しばらく探したあげくに忙しそうな "運ぶ人" を呼んで「チキン○○煮はどこに入っているんですか?」と聞いたところ、彼女も知らないらしくタブレットを操作し始めた。アレコレ探してもないらしい。それから一瞬手をとめて私に、

「チキンは鶏肉ですか?」と聞いた。

私は「私はそう思うんですけど、もしかしてお宅のチキン○○煮は鶏肉で作ってないんですか?」と逆に聞きたかった。でもカスハラと言われたら困るのでじっとこらえて「私は鶏肉のところを探したんですけど。。。」と口ごもった。しばらくチキンの捜索は続き、やがて「鶏肉」ではなく「スペシャルなんとか」のところに○○あん煮とかといっしょに隠れているところを発見された。思いがけなかった。「これです」と言って ”運ぶ人” は去っていき、私は注文の操作を続けた。席についてから注文できるまでに10分以上かかったと思う。「チキン○○煮定食ひとつ」と言えばすむ時代は良かったとつくづく思った。

「鶏肉」のところからも発見できるようにシステムを変更してほしいと思ったが、”運ぶ人” には何を言ってもしかたがないので黙った。あの人は運ぶのが仕事なのだ。おそらく「チキン○○煮はどこに入っているんですか?」という質問もしてはいけなかったのだ。人手不足の飲食業界はロボットを導入できない限り、運んでくれる人材を確保するのに懸命なのだ。

友達にこの話をしたら大いに受けたが、もし私があの場で切れていたらカスハラというより老害だと言われた。


チキン○○煮が鶏肉じゃなかったら、豚肉じゃないトンカツとか、牛肉じゃないビーフシチューとかもあるのだろうか。など色々考えているうちに「北海道の焼き鳥は豚肉なんだって?」と内地の人(本州の人)がおどろいたという話を思い出した。

あの "運ぶ人” は本州出身で、その伝説を聞いた(ネットで読んだ)ことがあるのかもしれない。

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「何も見えない」ってどういうことか、考えた。

2024-02-22 | ひとりごと

「めがねをかけなければ、何も見えません。」

この文を見て違和感を覚える日本語ネイティブは、あまりいないかもしれない。ほとんどの人が、こういう表現を使うと思う。たとえば、駅構内の標識文字をたどっていても、遠くの文字がぼやけて見えないとき「何も見えない!」。また、遠くにいる知人の顔が認識できず、近づかれて挨拶されても「全然見えなかった!」と言ったりする。

 

しかし「何も見えない」というのは大げさではないだろうか。光がある場所で、ある程度以上の視力がある人なら「何かぼんやりとは見えている」のではないか。標識の文字が読めなくても、標識があることは認識でき、文字があるということも把握できているのは、「見えることは見える」ということではないのか。

このようなことを考えるようになったのは、スクールで日本語を習っている生徒から、ミニテストのときに間違った理由を聞いてからである。

 

問題文は前半「めがねをかけなければ」に続く後半の文を四つの選択肢(ⒶⒷⒸⒹ)から選ぶというものだった。

 

正解はⒷ:

「めがねをかけなければ、Ⓑ何も見えません

彼が選んだのはⒶ:

「めがねをかけなければ、Ⓐ新聞を読みません」✕

 

日本語スクールの立場としては、条件形/否定(~なければ)の後に続く文が意志動詞では相性が悪いという理由で、「“新聞が読めません” なら良いけど、Ⓐ“新聞を読みません” はダメです」というような説明をする。ⒸとⒹは明らかにおかしいので、必然的に「Ⓑ何も見えません」が正解となる。

文法的に正しくないⒶを記入して「✕」にされたのだが、生徒は正解のⒷ文に納得がいかなかった。

 

「眼鏡をかけなければ “何も見えない”(:何ひとつ視界に入らない、あるいは光も感じず真っ暗な)人は、眼鏡をかけたとしても何も見えないのではないか。視力のある人なら、“何も見えない” なんてあり得ない。自分も目が悪く、めがねをかけなければ新聞の字など識別できないが、新聞が置いてある、標識が遠くにある、…のは “見える”。」

…というモヤモヤを説明してくれた。

 

私は、生徒の熱心な(スペイン語・英語・日本語・ジェスチャーを交えた)説明を聞いて、妙に納得するところがあった。

そもそも「見える」とは、どんな定義になっているのか。新明解国語辞典によると:

>>そのものが、何かに妨げられることなく、確かにその存在を目で感じることが出来る。

確かに、あなたの感覚は正しい! と私は生徒に言いたくなった。

 

でも日本語ネイティブは、見えていても見えないって言うことよくあるのよね~。「ぼんやりとしか見えない」とか、「はっきりとは見えない」の太字部分を省略して「見えない」だけ口にするのかもしれない。さらに、「何も」「全然」など付け加えた大げさな表現を好むのかもしれない。たとえば、吹雪と地吹雪で真っ白な道中、前の車のライトしか見えないようなときに「雪で前が全然見えない」と我々は言うのである。まぁ、こういう状況だと「車のライトがなければ、全然前が見えない」という文が成り立つだろう。でもこの文だと、雪国の人にしか実感がわかないかしら。

 

そこで私は考えた。テストの問題文前半が「めがねをかけなければ」じゃなくて「電気をつけなければ」だったら良かったのかも、と。

「電気をつけなければ、何も見えません」

光りのないところ、つまり暗闇の中では、たとえ視力が良い人でも “本当に” 何も見えないだろうから。モヤモヤしない文である。

 

 

※前述の辞典によると「見える」には他に三つの意味があるが、いまは①の視覚的な意味だけとりあげている。

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2024年 今年の抱負は?

2024-01-13 | ひとりごと

元旦に『今年の抱負』など投稿しようと思っていたところ、地震のニュースで中断され、かたずをのんでテレビに釘付けの夜を過ごすことになってしまった。今思えば、あの日はほとんど何もわからなかった。テレビも「避難してください」を繰り返すばかりだった。

避難して!
EVACUATE

画面には英語表記もあった。evacuate という単語は「避難させる」という他動詞 でもあり「避難する」という自動詞でもあるようだ。英語は原形のままで命令形になるので「避難して!」。

この単語が、スペイン語の「避難して!」と同じスペルになるのは偶然だろうか。


スペイン語では、避難するという意味の再帰動詞 evacuarse を二人称(君)の命令形に活用させると、EVACÚATE になる。

君、避難して!
EVACÚATE

ね? アクセント記号は見なかったことにして。発音やトーンは全然違うだろうけど、画面で見たら理解できるだろう。


ところで、今年の私の抱負は『日本再発見再会』である。

だから去年の夏から温めていた自分企画『春の金沢旅行』を、やはり、決行しようと。ようやく決断したところで、60日ぶりにブログ記事を投稿する気持ちになった。日本再発見、古い友人との再会、それを少しでも復興支援に繋げて行けたらと思う。

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