スペイン語で遊ぼう!みんなの広場_since2004

スペイン好き、ラテンアメリカ好き、スペイン語好き、スペイン語をやってみようかなぁと思っているヒト、寄っといで!

ケセラセラ その後

2005-01-27 | ほうげん・ひょうげん
私は、4人の西語ネイティブに、日本の辞典(広辞苑等)に載っているケセラセラの西語表記、つまりアクセントのないque(関係代名詞)で始まる que será será を見せて、そういう言い方はするか?と聞いた。

4人とも、使わない、と答えた。

1) エクアドルに住むキューバ人は、「使わない」なりに想像し、アクセント付きのqué,(疑問詞)で始まる問いかけ(どうなるんだろう?)じゃないか、と言い、

2) メキシコ人は Lo que será, será. なら言う、と答え、意味(物事は結局なるようになる)まで教えてくれ、

3) ペルー人は、「使わない」なりに翻訳西語ではないかと言い、メキシコのLo que será, será. と同じ意味を想像し、

4) スペイン人は ¿Qué será, será? という、疑問詞で始まる表現(どうなるんだろう?・何だろう?)を使う、と答えた。

この最後のスペイン人の回答が先に届いていたら、私の「ケセラセラ完結編」はあのようにまとまらなかっただろう。届いたのは昨日の朝だった。

そして同じころ、nyanさんのところに、別の回答が届いていた。

nyan さんの友人(英語ネイティブの仏語学習者で、フランス出身の人と結婚している)のメールによると、フランス語には "que sera sera" という「ぜんぜんアクセント記号のない」表現が存在するとのこと。発音はケセラセラではないが(クスラスラとカサラサラの中間みたいな感じ?)、意味は "what will be, will be" だそうだ。(って書いちゃっていいかなぁ~nyan さん?)



私の「ケセラセラ完結編」はぜんぜん完結していない。
そもそも、この↓記載が正しいものという前提で書いた記事なのだから。
だって、だって、編集者のひとりから、スペイン語だという根拠についてのこんな回答をいただいていたのだよ。→「岩波書店すごいぞ!」
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「ケ・セラ・セラ」(新村出編 広辞苑 第四版)
【que será será; スペイン
(1956年のアメリカ映画「知りすぎていた男」の主題歌から)
「なるようになる」の意
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日本の辞典で「ケセラセラ」を載せているものは(私の知る限り)すべてこのようにアクセント符号のない"que"(関係代名詞)の"que será será" を表記しており、これは「スペイン語学習者をモンモンとさせ、入門者の勘違いを導く間違い表記」であると、私は強く言いたい。

で、日本の「ケセラセラ」は「ナウい」みたいな流行語(昭和32年ごろ)らしいのだが、そもそも何語だったのかは???→「これで完結ケセラセラ」に続く。

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CUBA で CUBO

2005-01-22 | 旅のよもやま話
キューバの、リディセの実家(en Pinar del Río)に2週間ほど滞在したことがあります。1996年夏だから、8年半前ですね。キューバは今ではサルサや音楽のイメージが強くて、「陽気で楽しい」面だけがアピールされる傾向にありますが、この国の「物の不自由さ」による国民の苦労はたいへんなものです。
参照ページ→「台所から見たキューバ」

私が居たとき、家のシャワーは壊れていました。ですから CUBO(バケツ)に水を汲んで、それを小さな手桶のようなものですくって水浴びをするのですが、“お嬢” な来客である私のためには、台所で沸かした鍋1杯のお湯が加えられた、バケツ1杯のぬるま湯が提供されました。大きなCUBO とはいえ、それだけで髪も身体も洗うのは至難のワザでしたが、配分調節にはすぐ慣れました。

そうして毎日、当然のようにシャンプーもしていたのですが、ある日リディセのママが「かおるは毎日髪を洗うの?」と聞くのです。日本では朝・晩洗う人もいるくらいだから、髪を洗わない日は他人に近寄るのに引け目を感じることもあるというのに、キューバではあまり洗わないらしいのです。しかしシャワーを浴びない日があれば COCHINO/NA(豚)と自分で言うくらい汚らしいイメージがあるようです。

このキューバ旅行のあと、キトでリディセと暮らすようになったわけですが、彼女は週に1度しかシャンプーしませんでした。それでも髪がべたべたになることはないのです。私なんか3日でもうギトギトですよ。自分ではそんなに脂性だと思ってなかったのですが、ひょっとして気候の関係か何かで、日本人は一般的に脂性なのだろうか?と考えてしまいました。リディセはよく「キューバ人は髪は毎日洗わないが、お尻と顔は毎日洗う」と言い、私がシャワーをさぼろうとすると COCHINA 扱いでしたよ。

「CUBAキューバで CUBOバケツ」でした!
リディセとの共同生活のこぼれ話はここにもあります。→「せっけん」
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メールの結び

2005-01-16 | ひとくちスペイン語
私がスペイン語で手紙を書くときに参考にしているのは『スペイン語の手紙』(著者:木下登/白水社)という本です。10年前から使っているものなので、ちょっと古いかなぁ?と気になりますが、新たに買うのもねぇ。それに今は手紙よりメールが主な伝達手段なので、それほど形式を気にしなくてもよくなりました。

◎書き出し
手紙のときはQuerida amiga: (親愛なる友へ)などよく使いましたが、メールだと、Hola とか ¿Cómo estás? (元気?)から始めたり、いきなり本題にはいったりします。日本語でもそうですが、親しい人とメールのやりとりがポンポン続いているときは「挨拶ぬき」で書いてしまいますよね?

◎結び
ごく一般的なのは UN BESO, BESOS, UN ABRAZO, SALUDOS かな?
相手が異性で、ただの友人の場合は、UN BESO(キス) よりも UN ABRAZO(抱擁) のほうが無難なようです。
本に載っている手紙の結びをそのまま写しては芸がないので、私が今までスペイン語ネイティブから受け取ったメールの結びで、上記以外のものを並べてみたいと思います。
注意;日本語はほとんど直訳です。


【仲良しの友人(男女とも)から】
TE MANDO UN BESO Y UN ABRAZO 「君にキスと抱擁を送る」
RECIBE UN ABRAZO 「抱擁を受け取って」
UN FUERTE ABRAZO 「力強い抱擁」
UN BESO GRANDOTE 「ばかでかいキス」
CARIÑOS 「愛情→愛をこめて」
UN AMIGO QUE TE QUIERE 「君のことを好きな友人」
(QUERER は深い友情の表現にも使えます)
CUÍDATE MUCHO 「(身体に)気をつけてね」

【ちょっと距離を感じる友人から】
SALUDOS CORDIALES 「心からの挨拶」
SALUDOS MUY AFECTUOSOS 「とても愛情のこもった挨拶」
AFECTUOSAMENTE 「愛情をこめて」

【話の内容によってはこんなのも有】
BUENA SUERTE 「幸運を」
QUE TE VAYA MUY BIEN 「うまくいくといいね」

恋人から?ってのはないっすね。残念でした。恋バナなしのブログ。あ、お持ち込みは禁止していませんので、ぜひぜひ。
ちなみに当サイトでは、煙草・酒類・シモネタのお持込は禁止させていただいております。
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3人のネイティブとケセラセラ

2005-01-14 | ほうげん・ひょうげん
ケ・セラ・セラ問題最終章?!とうたった taki さんの「岩波書店すごいぞ!」で、「ケセラセラ」がフランス語ではない根拠がはっきりしたわけですが、ちょ、ちょっと待ったぁ~、まだ最終ではありません。なぜなら、西語であると判明してもなお私がモヤモヤしていたからです。
そこで完結編第一報! メール不毛の地キューバに里帰りしていたリディセが、エクアドルに戻りメールをくれました。リディセは、キューバの大学でスペイン語を専攻(つまり日本でいうと国文科)、エクアドルで外国人にスペイン語を教えて10年余りの、私が信頼するスペイン語ネイティブ(キューバ人)です。

リディセによると:
1)ケ・セラ・セラという表現はキューバでもエクアドルでも使わない。
2)しかし、意味としては「何が起きるのだろう? 運命なんて予測できないし、変えることもできない」というようなことだと思う。
3)その場合、たとえ疑問符にはさまれていなくても「問いかけ」であり、QUE にはアクセントが付くだろう。

つまり QUE は関係代名詞ではなく疑問詞
Qué será, será.(SERÁ は SER の未来形)
2)の意味は「どうなるのだろう?(なるように)なるだろう」と言い換えることもできると思います。
追記1/18:
革命後のキューバに生まれ育ったリディセはおそらく「ケセラセラ」の歌を知らないだろうし、私も歌詞全体を送っていません。上記2)の意味は、私が送った"Que sera sera, Whatever will be will be."一行の解釈だという気がしてきました。私も歌全体を見る前、「ケセラセラ、なるようになるわ」という日本語版の一行から「どうなるんだろう? なるようになるわ」という歌なのかと思ったのですが、発想としては同じでしょう。つまり二人とも、「ケ・セラ」といえば¿Qué será?(問いかけ)を思い浮かべ、「Que sera sera= Whatever will be will be」という風に対応しているとは考えなかったということですね。


白水社の改訂版和西辞典には「どうにでもなれ」という表現で
Que sea lo que sea.
と記載されていますが、こちらのQUE は関係代名詞、SEA は SER(英語で言うBE動詞)の接続法現在形です。

私は「ちょっとスペイン語をかじった、ちょっと留学経験のある」だけの凡人ですし英語はよくわからないのですが、歌詞の「ケセラセラ」がアクセントなしのQue será,será.であるならば、それは英語の構文に合わせて Whatever will be, will be.を無理やり西訳したものではないかという気がします。どちらにしろその作詞者にとってはアクセント符号などどうでも良かったのかもしれないのですが。

追記1/15:第二報!
エクアドルやキューバで使わなくても、メキシコでは「ケセラセラ」っていうのかも?というのが実は気になっていたのですが、メキシコから意外に早く返事が届きました。
20年以上スペイン語教育に従事してきたUNIVERSALの某先生によると:
1)Que será, será. はスペイン語であるが、文としては正しくないだろう。
2)正しくは Lo que será, será. であり、この場合は疑問符ではさむことはない。
追記1/18:
メキシコの先生も「ケセラセラ」の歌をご存知ないようなので、英語の歌詞をメールして「ケセラセラの代わりにあなたなら何と言いますか?」と確認のために聞きました。答えはやはり Lo que será, será. であり、Será lo que será. でも正しいとのことでした。意味としては、物事は起こるべくして起こるし、運命は変えることができない→つまり「なるようになる」。Que será será. でも意味は理解できるが、スペイン語では決してそういう表現はしないそうです。


追記1/19:第三報!これでシメたい。
日本在住のペルー人(2つの大学で講師をされていますが、スペイン語の先生ではないそうです)に聞いてみました。
「あの~、ケセラセラのことで質問があるんですが…」
「あ~、ケセラセラって、日本人がよく使ってるけど、どうしてなの?」
「あれっ、歌をご存知ないですか?ケ~セラ~セラ~♪」…はずかちい。
英語の歌だということもご存知なかったようです。
この先生によると:
1)Que será será は間違いなくスペイン語である! 意味も理解できるが、明らかに「外国人の話す西語」。おそらく英語ネイティブの翻訳西語だろう。
2)歌詞から見ても、Whatever will be, will be. に対応する Que será será のQUE にはアクセントがない。
3)しかし、Que será será という表現はどこのスペイン語圏でも使わないと思う。

英語の歌詞を見ていただき、「ケセラセラの代わりにあなたならなんと言いますか?」と聞きました。答えは:
Lo que tiene que ser, será.
Lo que será, será. という表現は聞いたことがないし、少なくともペルーでは使わない。Será lo que será. ならまだわかるが意味が少し違うと思う、とのことでした。ちなみに私にはその違いはよくわかりません。

3ヶ国の先生方(スペイン語ネイティブ)のご意見を取り入れ、みなさまからいただいたコメントの言葉をお借りしてまとめてみますが、しょせん「個人が趣味の範囲でちょこっと調べて推測した」だけですので、そのへんはよろしくご考慮願います。
★米国とメキシコの地理的関係や歴史的背景(米国の一部は昔メキシコだった)を考えると、メキシコ人が使う Lo que será, será. が米国に入り What will be, will be. と解釈され、それが英語風に逆翻訳されて Que será será. という米製西語が生まれたのではないでしょうか。しかしこの米製西語が「ケセラセラ」の作詞者が創り出した言葉なのか、それとも歌以前から存在していたのかは知る術もありません。
★Que será será. はスペイン語圏には存在しない西語と思われますが、映画と歌の大ヒットにより、少なくとも英語圏と日本にこの言い回しが成句として広まり、「なるようになる」という意味の「外来語」として定着したのでしょう。しかしこれは「国際語」ではなく、通じるのは英語圏と日本だけかもしれないです(世界中を調査したわけじゃないですが)。
★Que será será. は英語を解するスペイン語ネイティブには理解可能な表現のようです。しかし意味としては「なりゆきまかせ」というのとは違うと思います。もしそういうイメージがあるとしたら、日本に入ってきてからそういう意味に変わってきたのかもしれません。

注記1/20:
「なりゆきまかせ」というのとは違うと思う、というのはあくまでも「ケセラセラのルーツであるそもそものスペイン語」の話です。私は日本語の「なるようになる」と「なりゆきまかせ」がイコールではないという前提で話しています。日本語の「なるようになる」には幅があり、いろんな場面で使われますし、言葉の解釈は人それぞれ違うので話が難しいですね。

適切かどうかはわかりませんが、例を考えてみました。
「明日は彼女との初めてのデート。Aという映画を見て、Cというおしゃれなレストランで食事をしようか? いや彼女がなんて言うかな。AよりBが見たいと言うかもしれないし、Cより庶民的な居酒屋Dがいいと言うかもしれない。どうなるかな。でもそんなことわかんないし、考えても始まらない。どっちでもかまわないし、まあ、なるようになるさ。」
この場合、「なるようになるさ」の代わりに「なりゆきでいいか」とも言えますよね? 
このとき、どうなるかが「未定」という前提でしゃべっているのであれば、スペイン語では接続法の表現が使われるでしょう。たとえば Sea lo que sea.

「ケセラセラのルーツであるそもそものスペイン語」(あくまでも仮定です→)Lo que será, será. は、セラというのが 直説法未来形なので、上記の例と違い、「物事は必然性にしたがって起こる(例えば、机の脚を1本切れば机は傾く)」とか、「運命は我々には変えられない」とか、そうなると決まっているコトは(たとえ我々には見えなくても)なるようになるのだということで、どちらかというと「なるようにしかならない」のほうが近いと思います。

「ケセラセラ」という西語が作られた時点で、接続法と直説法の意味の違いまで考慮されていたかどうかは私にわかるはずもありません。「ケセラセラ」が「なるようになる」に和訳され、「なるようになる」という日本語の様々な解釈により「ケセラセラ」の意味が広がってきたとも充分考えられます。

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もしもし

2005-01-08 | ひとくちスペイン語
スペイン語圏で電話を受け取るときの第一声「もしもし」は、国によって違うようです。私の知っている限りのことを並べてみますね。

スペイン
Sí, dígame. シィー、ディガメ 
(直訳;はい、私にお話ください)
動詞の原形は DECIR です。

エクアドル
¡Aló! Buenos días. アロー!ブエノス・ディアス 
(もしもし、おはようございます)
¡ALÓ! だけだと教育が足りないみたいだと言われ(ほんまかいな)、電話受けるときには時計見て「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」をつけていました。

メキシコ
¡Bueno! ブエノ! 
(間投詞?)

キューバ
¡Oigo! オイゴ! 
(直訳;私は聞く)
動詞の原形は OÍR です。

キューバで「オイゴ」と聞いたときはついプーと笑ってしまいました。南米ではたいてい ¡ALÓ! か ¡HOLA! でしょうかねぇ。
スペインでは、電話をかけた側の第一声や、道で誰かに声をかけるとき ¡OIGA! (直訳;聞いてください)と言います。日本でも「もしもし」は呼びかけのときに使いますもんね。電話が普及する前に既に「もしもしカメよカメさんよ~♪」の歌はあったわけで。。。?
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