スペイン語で遊ぼう!みんなの広場_since2004

スペイン好き、ラテンアメリカ好き、スペイン語好き、スペイン語をやってみようかなぁと思っているヒト、寄っといで!

Book Baton

2005-06-30 | ひとりごと
1.持っている本の冊数

ジプシーなのであまり持ってません。実家では北海道用冬靴しか預かってもらえないし。

2.今読みかけの本

CAFÉ NOSTALGIA 《ZOÉ VALDÉS》
はっきり言って、もう何年も前から読みかけです。ヨーロッパで売れているキューバ人作家の小説で、リディセの推薦本。買ったのはグラナダ、ということは6年余り読みかけている? まるで「NHK4月号時代」のように毎春繰り返していますが、この暑いのに最近また復活してます。いつか制覇したい!

3.最後に買った本(既読、未読問わず)

「徹底比較!関東人と関西人」性格から衣食住の好みまで《日本博学倶楽部》PHP文庫
カルチャーショックを笑いに変えてくれる1冊です。
「ダメ」と「あかん」はどっちがより否定的? というような、言葉のテーマがもちろんお気に入りなんですけど。

4.特別な思い入れのある本、心に残っている本5冊(まで)

1) El principito
「星の王子さま」のスペイン語版。今持っているのはスペインで買ったもので、訳はおそらくスペイン人。「ヒツジの絵をかいて!」が ¡Dibújame un cordero(子羊)! になっています。
思い入れのあるのは、エクアドルでリディセと一緒に読んだ El principitoで、¡Dibújame una oveja(ヒツジ)! になっていました。イラストも違っていたなぁ。原作のフランス語では子羊が正解らしいけど、どうしてこういう違いがあるのかは謎です。こんど修行の旅に出たらラ米版のヒツジの本を手に入れたいものです。

ちなみに日本語版「星の王子さま」は、キツネの語り口がかわいくないので好きじゃないです(きっぱり)。でも新たな翻訳本が続々と出版される(された?)そうなので、お気に入りの日本語版が見つかるかもしれませんね。これまでは独占的な翻訳出版権というのを岩波書店が持っていたので、《内藤濯訳》しかなかったということです。私が書きたい!と思うくらい好きなお話ですが、それが動機でフランス語に走るということにはならなかったんですねぇ。。。

2) Como agua para chocolate
読書率が低い?といわれるメキシコでベストセラーになった、魔術的リアリズムの流れを汲む小説で、作者はラウラ・エスキヴェル。同名のメキシコ映画の原作ですね。日本では『赤い薔薇ソースの伝説』というタイトルで知られています。
これはエクアドルで買い、独学で翻訳の練習をしようとがんばってみました。でも読み終えたのは帰国して数年後でしたね。ほっほっほ。

えー、ということで2冊でオシマイです。このバトンを回してくださった chiquipon さんの期待にはそえてないかな? ごめんよう。
ところでこれ、5人に回すんですよね? 
でもさきほど、明日ブラジルに発つ nyan さんが「ブログ休止」宣言をしたことを知り、ショックで、、、やっぱり5人には回せません。
ネタがなくて困っている方、立候補してもっていってくださいな。

FELIZ と HAPPY

2005-06-26 | くらべて文法(西・英)
ちょっと [Dos Mundos] を眺めていて思ったこと。。。心身の状態を表現するとき、スペイン語は ESTAR系と TENER系の2つの群があるのに対して、英語は BE 動詞一本やりのようですなー。
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(西語)ESTAR....  (英語)to be....
ABURRIDO/A  bored
ALEGRE  happy
CONTENTO/A  happy
DE BUEN/ MAL HUMOR  in a good/ bad mood
DEPRIMIDO/A  depressed
ENAMORADO/A  in love
ENFERMO/A  sick
ENOJADO/A  angry
OCUPADO/A  busy
PREOCUPADO/A  worried
TRISTE  sad

(西語)TENER.... (英語)to be....
CALOR  hot
FRÍO  cold
HAMBRE  hungry
MIEDO  afraid
PRISA  in a hurry
SED  thirsty
SUEÑO  sleepy
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えー、それで何を思ったかと言うと、happy とイコールなのは FELIZ じゃなかったかい?…ということ。
確かに、手持ちのダサい英西辞典でもそうなっていました。

西語の FELIZ は主に SER(BE動詞のようなもの)と使われ、
SOY FELIZ. 私は幸せです (私=幸福者)
でも ESTAR(もうひとつのBE動詞といわれる)とでも良いと思うんです。
ESTOY FELIZ.  しゃ~わせ。(私→満足状態)
この場合、ESTOY CONTENTO/A. と同じく、満足して喜んでいる状態を示すと思います。

かたや、西語のALEGRE を辞書で引くと、→うれしい、楽しい。
こちらも、SER でも ESTAR でもイケます。
SOY ALEGRE. 私は陽気です。(私=陽気な性格)
ESTOY ALEGRE. うれぴー。(私→上機嫌状態)

あ、なんだか話が「SER と ESTAR」 にズレてきそう。あぶない、あぶない。

そうじゃなくて、、、英語では、「幸福者」も「しゃ~わせ気分」も「うれぴー状態」も、全部まとめて happy なんだなー、ということを発見して(しかもBE動詞ひとつしかないわけだし)、簡単でいいじゃん!?(簡単と言い切るならさっさと英語覚えろ!となぐられそうですね)。

スペインのケセラセラ

2005-06-18 | ほうげん・ひょうげん

日本の辞典で「ケセラセラ」をひくと、「スペイン語由来」ということで、アクセントのないqueから始まる que será, será という妙なスペイン語が記載されています。それは「ケセラセラ」の歌から考えて What will be, will be(なるようになる)と同じでなければならない、だから what 同様 que は関係代名詞なのでアクセントがいらない、という根拠に基づいているようです《イコール説》。
日本の各辞典の見解については→People

一方、スペインにはケセラセラ ¿Qué será, será? というフレーズがあり、この qué は疑問詞です。 ところが、スペインのある映画関連サイト、El CRITICÓN に書かれている「知りすぎていた男」についての評論の中で、主題歌「ケセラセラ」のことを que será, será とアクセントのない que で記載しています。ひょっとして日本の辞典と同じように解釈しているスペイン人もいるのだろうか?…と、ずっと気になっていました。

映画の評論を書いた方が、もしかして1956年の映画公開当時の状況までご存知で、歌のタイトルがこのような綴りでスペインに到着したという事実に基づいているのかも? …つまり、Lo que será, será(なるようになる)というスペイン語を英語風に誤用した米製西語、que será, será がタイトルだったという裏づけがあるのかも!? 

悩んだあげく、思い切って長々と事情を説明・問い合わせしてしまいましたが、その期待はハズレ。単に、あまりアクセントのことは気にしてなかったみたい。

>このフレーズの語源はスペイン語ですが、ことわざではありません。
>正しい綴りは "Qué será, será" でしょうね。
>最後の"será" はメロディーに合わせて単に繰り返しているだけです。


彼らもまた、「スペイン語由来」って断定するわけですね。でも、これはあくまでも彼らの意見であり、決して「歌の作詞者がそう言った」というような事実があるわけではありません。色々微妙な問題なので、確認作業もあり、2~3度メールをやりとりしましたので、それをまとめてみます。ご丁寧な対応に感謝・感激です。Aloha Criticon :www.alohacriticon.com さま、ありがとうございました。

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はじめに、この歌全体の意味を個人的に分析してみますと、歌では(女の子が)自分の将来について一連の質問をなげかけています。一連の可能性を推測し「どうなるの?」とつぶやくのです。つまり、文の意味を理解するには、その部分だけ分析するのではなく、歌全体が言おうとしていること結び付けて考えた方が良いと思います。
この文は、2つの意味をもっています。
1)疑問(問いかけの要素):
将来に何が起きるのだろうと質問している歌なので、Qué は疑問詞でアクセントが有ります。
2)感情(裏に隠れた要素):
スペイン語ネイティブは少なくとも2つの付加された意味を強調します。主人公(の女の子)が立ち向かう将来の可能性の幅広さ。そして我々にはとうていわからない運命に対する、あきらめや甘受。だからこそ、なるようになる(what will be, will be)のだと教えるわけです。問いかけの要素がかすんでくるにつれ、裏に隠れたこれらの要素が重要な意味をもってきます。

歌における Qué será, será は、「将来に何が起こるかなんて、誰にもわからない」とか「色んなことが起こりうるけど、どうなるのか私にはわからない」と解釈できます。文法的に正しく言いかえるなら "Qué será, qué será" ですが、韻律の都合で "qué" を入れられなかったのでしょう。二番目の "será" が反復であるというのは、そういうことです。

個人的には、スペインにおける Qué será, será は慣用句のように頻繁に使われるものではないと思うし、この歌から切り離されて使われることはないのでは? ちなみにこの歌のシングルは "Que sera sera" という表記で世界に発売されたのだと思います。

最後に、もしこの文の意味が日本で考えられているように "what will be, will be" であるならば、本来は "Lo que será, será" と言うべきなので文法的におかしいですね。

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この下線の文節「もし~」には接続法が使われているので、かなり懐疑的です。私が説明した日本での歌の解釈 Que Sera Sera = What will be, will be 《イコール説》は、彼らには心外だったことでしょう。

このように、頂戴したご意見から考えても、日本のケセラセラとスペインのそれは違うもののようですが、はじめに歌ありき、つまりスペインのケセラセラも歌から始まったというのが私の推測です。
「今をときめくドリス・デイの歌にはおしゃれな欧州語の挿入が不可欠だったとみられるが、光栄なことに 隣の“おフランス語” ではなく我々のスペイン語 qué と será が選ばれたのだ!」という誇りと喜びとともに、この世界的な歌(?)ケセラセラは、スペインでもおおいに流行し、¿Qué será?(どうなるの?・なんだろう?) の será をわざわざ繰り返す歌のフレーズが広まったのではないでしょうか。

参考までに、ケセラセラの使用例を引用させていただきます(あるスペイン人のブログより)。
>Será el pulso de la vida? (生命の脈だろうか?)
>Será el aliento del amor? (愛の息吹だろうか?)
>Será la pasión por la vida? (人生への情熱だろうか?)
>Qué será, será??? (なんだろう?なんだろう?)


ちなみに、日本在住20年のペルー人(スペイン語ネイティブ)に、「ケセラセラ」と振ってみたところ、彼が歌いだしたのは「ケ・セラ♪」Qué Será (Pueblo Mío) の方でした。「ケセラセラ」の歌もご存知でしたし、日本のカラオケはもちろんペルーでも聞いたことがあるそうですが、「ケセラセラ」はイタリア語だと思っていたそうです。

日本には日本語版の、フランスにはフランス語版のケセラセラという歌があるのに対し、スペイン語版はないようです。あるのかもしれませんが、EL CRITICÓN の方もご存知ないそうです。


「~の」前置詞

2005-06-16 | スペイン語のいろは
部分「~のうちの」
UNO DE ESOS LIBROS それらの本のうちの1冊
材料「~の」
LA CUCHARA DE PLATA 銀のスプーン※
場所「~の」
LA CATEDRAL DE TOLEDO トレドの大聖堂
所有「~の」
EL DINERO DE MI PADRE 父親の金
所属「~の」
LOS POLÍTICOS DE LA OPOSICIÓN 野党の政治家

いや~、良かった、結局全部 DE でしたね~。
「の = DE」って覚えちゃえば楽チンですね。
あ、「NO = で」じゃないので混乱しないように(かえって混乱した?)。

¡Ojo! 材料を表す「~の」前置詞といっしょになるとき※は、後の名詞には冠詞が伴わないのが普通です。
他の例; UN JUGO DE NARANJA (1杯の)オレンジジュース


追記6/26:
ある愛の物語 HISTORIA DE UN AMOR
夜の銀ぎつね ZORRO GRIS DE LA NOCHE
それが赤坂 赤坂 デル コ~ラ~ソ~ン♪(コモエスタ赤坂より)
DEL CORAZON (DE + EL = DEL)


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驚異の空中都市

2005-06-05 | スペイン語圏まめ知識
6月2日 午後8時より NHKテレビ(これって全国的?)

探検ロマン世界遺産 マチュピチュ・驚異の空中都市

TV初公開の新事実発見 …ほんとか?

インカの謎に迫る!!


はいはい、お待たせしました。見られなかった方のために、録画を見てまとめてみました。
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15世紀頃インカ帝国によって築かれたマチュピチュの遺跡は、アンデス山中の2400メートルの標高にある。山道を登りつめると、急に視界が開け、自然と文化が溶け合った絶妙な風景が飛び込んでくるという。この感動の瞬間! NHKの藤井アナウンサーも、うるうる、ぞくぞく。そうだろうねぇ、たどりつくのに50数時間かかったなんて(汗)。それでもはるばる地球の裏側まで行って、その絶景を自分の目で見てみたい、と夢に見る人は多いだろう。私もそのひとりである。

この空中都市マチュピチュは、20世紀まで世界に知られることがなく、発見後すぐに分析・研究が進んだわけでもなく、多くの謎が残されている。いったい誰が、何のためにこんな高いところに? 様々な説が浮かんでは、新たな説に塗り替えられる。アメリカ合衆国・エール大学での研究が再開される一方、地元ペルー文化庁による発掘調査も進み、新たな発見が期待されているという。

神聖な山々が見渡せる “選ばれた土地” マチュピチュには、500人以上の人が、豊かな自然に包まれ、平和に暮らしていたらしい。争いの跡も武器も発見されず、人々の骨には重労働を強いられた形跡もない。
その建設者はインカユパンキ、つまり第9代インカ皇帝パチャクティ。
こんな高いところにどうやって石で!?という謎は、「遺跡の一角にある岩山から切り出されたのでは?」「ペルー南部から石職人(?)が招かれ、高い技術によって建築されたのでは?」…と解明されつつある。

マチュピチュを研究して30年余りのアステテ博士、「ちょっとやってみましょう」と鉄分を多く含む固い石を持って岩をゴンゴン。ほんとだ、削れる、削れる…って、え?いいの?(ペルー文化庁の許可を得ています、という字幕が3秒ほど出るのがミソ)。

斜面にあるアンデネスと呼ばれる段々畑ではトウモロコシが作られ、トウモロコシからは神々に捧げる神聖な酒、チチャが作られていたという。神に一番近いところ、ワイナピチュ(若い峰)の山頂には、チチャを捧げるための祭壇らしきものがある。ふぅ~ん。
「心臓を捧げるための祭壇」みたいな生臭いもんじゃなくて、このへんがユートピア説のあるインカ帝国らしくて良いなぁ。

このワイナピチュに登ってみた藤井アナウンサー、ハーハーしてた。空気が薄い上に、長旅と時差ぼけと、(おそらく)強行スケジュールで、キツそう~。私もあまり先延ばしせずに、体力のあるうちに行っておかないとなー。せっかく行くならワイナピチュも登ってみたいし。

インカトレッキング? あー、そこまでの体力は、すでにないと思う。。。