hueso というスペイン語の、一番の意味は「骨」である。
スペインでホームステイをしているときの話。遊びに来ていた4歳の子(セニョーラの孫)がオリーブの種のことを hueso と呼んでいた。私は「hueso = 骨」という固定観念があったので、「子どもだから間違えているのだろう」くらいに思い、「動物には hueso があるけど、オリーブにhuesoはないでしょう?semilla(種)じゃないの?」と知ったかぶりをした。しかしその後、その子の母親の発言により、オリーブの種は本当に hueso と呼ばれていることがわかった。
えー!?と思い辞書を引くと、なるほど、二番目の意味に[桃・オリーブなどの]種、とある。種抜きオリーブのことは aceituna sin hueso と呼ぶわけだ。しかし当時は、「スペイン語では骨と種で同じ単語を使う」というのがどうも腑に落ちなかった。骨といえば骸骨のイメージ、種といえば芽が出る植物のイメージが、頭からは離れなかったのだ。
どうやら、やわらかい実に包まれた中心の硬い「芯」というイメージを持って、hueso の意味を考えたほうが良さそうだ。hueso は、脊椎動物の骨格を形成する「芯」であり、魚の骨は含まない。そして、日本では種と呼んでいるが実際は硬い種皮である(例えば梅干の種のような)「芯」を指すが、ブドウの種のような粒々には semilla という単語がある。
そもそも、日本語の「種」という呼び方に問題があるのではないか? とふと思ったりした。例えば梅は、あの硬い「種」と呼ばれるものをかち割った中にやわらかい「本当の種→そこから芽が出る」があるという話ではないか? ひょっとすると桃やオリーブの種も同じ構造になっているのではないか?
骨まで~骨まで~♪ 骨まで愛して、ほしいぃのぉよ~~♪ …と古い歌謡曲を思い出しながら、ついつい「骨と種」について今さら考えてしまった。
スペインでホームステイをしているときの話。遊びに来ていた4歳の子(セニョーラの孫)がオリーブの種のことを hueso と呼んでいた。私は「hueso = 骨」という固定観念があったので、「子どもだから間違えているのだろう」くらいに思い、「動物には hueso があるけど、オリーブにhuesoはないでしょう?semilla(種)じゃないの?」と知ったかぶりをした。しかしその後、その子の母親の発言により、オリーブの種は本当に hueso と呼ばれていることがわかった。
えー!?と思い辞書を引くと、なるほど、二番目の意味に[桃・オリーブなどの]種、とある。種抜きオリーブのことは aceituna sin hueso と呼ぶわけだ。しかし当時は、「スペイン語では骨と種で同じ単語を使う」というのがどうも腑に落ちなかった。骨といえば骸骨のイメージ、種といえば芽が出る植物のイメージが、頭からは離れなかったのだ。
どうやら、やわらかい実に包まれた中心の硬い「芯」というイメージを持って、hueso の意味を考えたほうが良さそうだ。hueso は、脊椎動物の骨格を形成する「芯」であり、魚の骨は含まない。そして、日本では種と呼んでいるが実際は硬い種皮である(例えば梅干の種のような)「芯」を指すが、ブドウの種のような粒々には semilla という単語がある。
そもそも、日本語の「種」という呼び方に問題があるのではないか? とふと思ったりした。例えば梅は、あの硬い「種」と呼ばれるものをかち割った中にやわらかい「本当の種→そこから芽が出る」があるという話ではないか? ひょっとすると桃やオリーブの種も同じ構造になっているのではないか?
骨まで~骨まで~♪ 骨まで愛して、ほしいぃのぉよ~~♪ …と古い歌謡曲を思い出しながら、ついつい「骨と種」について今さら考えてしまった。