カンクンからフェリーで20分くらいのところにある島、イスラムへ―レスが好きです。
アメリカナイズされたカンクンより、この素朴な島に泊まり、海をながめてまったり過ごすのがワタシ流。今回の旅行ではカンクンの住宅地に滞在していましたが、最後の一日を日帰りイスラムへ―レスにあてました。
ところが、わたしのイスラムへ―レスは年々開発されて、便利でにぎやかな観光ビーチになってしまったのよね。はじめて来たとき(2001年カンクンまでの長い旅)の、あの「なんにもなーい」「海だけがワタシを待っている」という感じがないんです。
快適さを求め、便利さを求め、開発を期待してきたのは人間なのに、手つかずの部分が少なくなり、素朴さがなくなったと嘆くのも人間。おそらく、私が若いころに愛した海たちは皆、同じ経過をたとって、もうあの頃とは違うものになっていることでしょう。私自身もあのときの私とはずいぶん変わってしまったしね、、。え、海もトシをとったの? あ、いやそういうことじゃないと思うよ(笑)。
人ごみを避けて構図を考えれば、このような写真は撮れるけど。
この日は「くもり時々雨」の天気だったので、雨が降った時の逃げ場確保のため、ホテルMIAの「デイパス」を利用しました。この写真の桟橋を渡った左側にホテルがあります。場所代払ったのにビーチこれだけ?というガッカリ感。日が差せば海はキラキラ答えてくれますが、イスラはもうわたしのイスラじゃないのねん。
アメリカナイズされたカンクンより、この素朴な島に泊まり、海をながめてまったり過ごすのがワタシ流。今回の旅行ではカンクンの住宅地に滞在していましたが、最後の一日を日帰りイスラムへ―レスにあてました。
ところが、わたしのイスラムへ―レスは年々開発されて、便利でにぎやかな観光ビーチになってしまったのよね。はじめて来たとき(2001年カンクンまでの長い旅)の、あの「なんにもなーい」「海だけがワタシを待っている」という感じがないんです。
快適さを求め、便利さを求め、開発を期待してきたのは人間なのに、手つかずの部分が少なくなり、素朴さがなくなったと嘆くのも人間。おそらく、私が若いころに愛した海たちは皆、同じ経過をたとって、もうあの頃とは違うものになっていることでしょう。私自身もあのときの私とはずいぶん変わってしまったしね、、。え、海もトシをとったの? あ、いやそういうことじゃないと思うよ(笑)。
人ごみを避けて構図を考えれば、このような写真は撮れるけど。
この日は「くもり時々雨」の天気だったので、雨が降った時の逃げ場確保のため、ホテルMIAの「デイパス」を利用しました。この写真の桟橋を渡った左側にホテルがあります。場所代払ったのにビーチこれだけ?というガッカリ感。日が差せば海はキラキラ答えてくれますが、イスラはもうわたしのイスラじゃないのねん。