4月7日の当ブログに感想を載せた『顔面考』の中では、醜形恐怖症と整形手術についてかなりのページを割いて語られていました。春日氏によれば、「対人関係に伴う気おくれや不全感、世の中に対するどこかしっくりこない感触、秘められたナルシシズムと自意識過剰、傲慢さと心持たなさ――そのような鬱屈した意識が、病んで衰弱した精神においては容易に「顔の醜さ」といった問題へすり替えられてしまう」のだそうです。
醜形恐怖症患者の何割かは美容整形という方法でこの問題の解決を図るのだそうですが、そこから違和感と美容整形の悪循環に陥り、最悪の場合には、延々と自分の顔を作り替え続ける整形地獄に陥ることになりかねないのだとか。春日氏は「整形を重ねて人種や性別といったカテゴリーから逸脱した人間」としてマイケル・ジャクソンの名を挙げていますが、私の脳裏に閃いたのは、ピート・バーンズの顔でした。
ピート率いるDead Or Aliveの全盛期を私は知りません。彼を知ったのは、数年前に放送されたバラエティ番組においてでした。「顔面が崩壊した人気ロック・ミュージシャン」というセンセーショナルな取り上げられ方で、彼の顔面の凄まじい変貌に衝撃を受けました。番組では彼の生い立ちにまでは触れていませんでしたが、調べてみるとやはり問題の多い家庭で育ったようです。そのためか情緒不安定な少年期を送り、既に10代半ばには「自分の顔は醜い」という深刻な悩みに取り付かれていたそうです。整形前のピートの顔を醜いと思う人は誰もいないと思うのですが、根拠のない思い込みに囚われてしまうのが醜形恐怖症の恐ろしいところ。彼は、度重なる整形のために顔面が崩壊し、後遺症で死の淵を彷徨うところまで健康を損ねてしまいました。100回以上に渡る手術を経て、破産、離婚、バンドの分裂…すべてを失いました。色んな意味でよく死ななかったなと思います。その後、良い医師に巡り合い、「あなたにはまだ歌が残っている。」と励まされ、人前で歌えるところまで回復できたのだとか。残念ながら、昔日の美貌を取り戻すことは不可能ですが、何とか心の平安を手に入れて、生き抜いて欲しいものです。
精神科医の鍋田恭孝氏によれば、醜形恐怖症の人は、幼児期にとても可愛い容貌をしており、そのときに強い自己愛が形成されます。そして、愛されることが当然という、その自己愛が様々なきっかけで傷ついたときに醜形恐怖症になるのだそうです。患者には「自分は魅力ある姿でなくてはならない」「魅力ある姿でなくては耐えられない」という強い欲求があるのだそうです。また、醜形恐怖症は、男性に多い心の病であることがわかっています。
春日氏は、「美容整形には売春と共通した際どさがある、世の中の秩序を揺さぶる要素を孕んでおり、身体のモノ化といった点でも気にかかる」と述べています。整形手術と売春には、どちらもあからさまな即物性や自己欺瞞性、居直りのニュアンス、一種の無防備さ、後戻りのきかぬ危うさ、精神性の歪みとの親和性が透けてくるそうで、春日氏は不気味に感じるのだそうです。
私もテレビの美容整形ビフォーアフター的番組やファッション誌の美容整形外科の広告の多さには不健全な匂いを感じます。解決の仕方を間違っているのではないか?いずれ取り返しのつかない事態に陥るのではないか?そんな不安に駆られます。「世間にブサイクな面をさらして平然と生きているお前の方が不健全だ」と言われてしまえば、返す言葉も無いのですが…。ただ、「美しい方が良い」「美しくなければならない」との価値観に翻弄されるあまり、日常生活に支障を来してしまうのは虚しいことです。もっと自分本位に生きて良いのではないか、と思います。私自身も含めて、もう少し世間に蔓延する美醜の価値を疑う勇気を持ってみても良いのではないでしょうか?
醜形恐怖症患者の何割かは美容整形という方法でこの問題の解決を図るのだそうですが、そこから違和感と美容整形の悪循環に陥り、最悪の場合には、延々と自分の顔を作り替え続ける整形地獄に陥ることになりかねないのだとか。春日氏は「整形を重ねて人種や性別といったカテゴリーから逸脱した人間」としてマイケル・ジャクソンの名を挙げていますが、私の脳裏に閃いたのは、ピート・バーンズの顔でした。
ピート率いるDead Or Aliveの全盛期を私は知りません。彼を知ったのは、数年前に放送されたバラエティ番組においてでした。「顔面が崩壊した人気ロック・ミュージシャン」というセンセーショナルな取り上げられ方で、彼の顔面の凄まじい変貌に衝撃を受けました。番組では彼の生い立ちにまでは触れていませんでしたが、調べてみるとやはり問題の多い家庭で育ったようです。そのためか情緒不安定な少年期を送り、既に10代半ばには「自分の顔は醜い」という深刻な悩みに取り付かれていたそうです。整形前のピートの顔を醜いと思う人は誰もいないと思うのですが、根拠のない思い込みに囚われてしまうのが醜形恐怖症の恐ろしいところ。彼は、度重なる整形のために顔面が崩壊し、後遺症で死の淵を彷徨うところまで健康を損ねてしまいました。100回以上に渡る手術を経て、破産、離婚、バンドの分裂…すべてを失いました。色んな意味でよく死ななかったなと思います。その後、良い医師に巡り合い、「あなたにはまだ歌が残っている。」と励まされ、人前で歌えるところまで回復できたのだとか。残念ながら、昔日の美貌を取り戻すことは不可能ですが、何とか心の平安を手に入れて、生き抜いて欲しいものです。
精神科医の鍋田恭孝氏によれば、醜形恐怖症の人は、幼児期にとても可愛い容貌をしており、そのときに強い自己愛が形成されます。そして、愛されることが当然という、その自己愛が様々なきっかけで傷ついたときに醜形恐怖症になるのだそうです。患者には「自分は魅力ある姿でなくてはならない」「魅力ある姿でなくては耐えられない」という強い欲求があるのだそうです。また、醜形恐怖症は、男性に多い心の病であることがわかっています。
春日氏は、「美容整形には売春と共通した際どさがある、世の中の秩序を揺さぶる要素を孕んでおり、身体のモノ化といった点でも気にかかる」と述べています。整形手術と売春には、どちらもあからさまな即物性や自己欺瞞性、居直りのニュアンス、一種の無防備さ、後戻りのきかぬ危うさ、精神性の歪みとの親和性が透けてくるそうで、春日氏は不気味に感じるのだそうです。
私もテレビの美容整形ビフォーアフター的番組やファッション誌の美容整形外科の広告の多さには不健全な匂いを感じます。解決の仕方を間違っているのではないか?いずれ取り返しのつかない事態に陥るのではないか?そんな不安に駆られます。「世間にブサイクな面をさらして平然と生きているお前の方が不健全だ」と言われてしまえば、返す言葉も無いのですが…。ただ、「美しい方が良い」「美しくなければならない」との価値観に翻弄されるあまり、日常生活に支障を来してしまうのは虚しいことです。もっと自分本位に生きて良いのではないか、と思います。私自身も含めて、もう少し世間に蔓延する美醜の価値を疑う勇気を持ってみても良いのではないでしょうか?