青い花

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山尾悠子作品集成

2015-06-15 06:37:26 | 日記
『山尾悠子作品集成』は、山尾悠子が20代に発表した作品の殆ど全てを収録している。
鉱物の結晶のように冷たく美麗な文章は、読む者に驚くほど明瞭なイメージを与えてくれる。作品の多くは、冒頭から絢爛たる崩壊への予感を孕み、その下には真っ暗な虚空が広がっている。精巧に積み上げられた言葉の世界が、宝石箱をぶちまけたみたいに、光を乱反射しながら崩壊する様を読むのは、眩暈がするほど心地良い。
以下が、収録作。

『夢の棲む街』……「夢の棲む街」「月蝕」「ムーンゲート」「堕天使」「遠近法」「シメールの領地」「ファンタジア領」
『耶路庭国異聞』……「耶路庭国異聞」「町の人名簿」「巨人」「蝕」「スターストーン」「黒金」「童話・支那風小夜曲集」「透明族に関するエスキス」「私はその男にハンザ街で出会った」「遠近法・補遺」
『破壊王』……「パラス・アテネ」「火焔圖」「夜半楽」「繭(「饗宴」抄) 」
『掌篇集・綴れ織』……「支那の禽」「秋宵」「菊」「眠れる美女」「傳説」「月齢」「蝉丸」「赤い糸」「塔」「天使論」
『ゴーレム』

「夢の棲む街」は、処女作「仮面舞踏会」に納得していない山尾悠子にとって、作家としての実質的な第一歩と言える作品である。

《〈夢喰い虫〉の仕事は、噂を収集し、それを街中に広めることである。魚眼レンズで集めた映像のような半球型の空の、東半分だけが暮れかける頃、〈夢喰い虫〉たちは、集めてきた噂話を携えて、漏斗型の街の縁に集まる。足の裏からコトバを吹き込まれ、輝くばかりに脂がのった下半身と、生気を失い萎びた上半身を持つ〈薔薇の脚〉と呼ばれる踊り子たち。生まれてから一度も鳥籠から出たことのない嗜眠症の侏儒。娼館の屋根裏に閉じ込められ、繁殖し過ぎ、互いの体が癒着した天使の群。星座を形造るためのみに在る星々。撃ち殺された日から20年かけて死んでいく〈禁断の部屋の女〉。空から降ってくる大量の羽に埋もれて死ぬ人々。海を恐れる地下室の人魚…。
劇場の公演の日が近づいている――。人々は戸を閉ざしたまま外へ出ないようになり、風の死に絶えた街を悪い噂だけが飛び交う。
その夜、招待状の届いた者達が、街の底に位置する劇場へ集う。超満員となった劇場は、〈夢喰い虫〉たちが噂を撒き散らす中で、崩壊を始める。地下で落盤が起き、舞台中央の上げ蓋が吹き飛び、階段状の客席がずり落ち始める。無数の人々が斜面を転げ落ちていく。濛々と立ち籠めた白煙の向こうに、ゆっくりと陥没していく舞台。漆黒の硝子天井が砕け散り、硝子片が雨のように降り注ぐ。銀粉をぶちまけたように夥しい羽毛が虚空に舞う。同時に、翅の生えた者や尻尾のある者、血の冷たい者、鱗のある者などありとあらゆる異形の影が頭を下にしてわらわらと墜ちてくる。桟敷を支える列柱が軋みながら内側に折れ曲がり、観客たちがどっと空中に投げ出される。目が眩んでもう何も分からない…。
次の瞬間、巨人の足が一撃で大地を踏み割ったような音が中空に轟いて、すべてが静止した。崩壊した場内の空間は粒子の荒れた薄明かりに満たされた。丸屋根を破壊した浮遊生物の群の、その透明な躰を透かして見る夜空は色が滲んでぼやけ、天頂の星座の姿も歪んで見えていた。その中央に侏儒の姿があった。天の半球の平面上に張り付いた星座群の中央で、侏儒の姿は上昇し続け、ケシ粒程になり、最後に見えなくなった。そして後には、星の欠落した暗黒が、奥深い口を開けていた…。》

怒涛のような水流を放射する月。人間に変身を遂げた堕天使。視覚が遠近法の魔術によって支配されている《腸詰宇宙》。太陽が恐怖ならば、月は狂気――。
純度の高い言葉だけで精巧に構築された人工美の世界。小説だけでなく、随筆、詩歌、その他あらゆるジャンルからの影響を見て取れるが、鼻持ちならない衒学趣味の押し付けは一切ない。山尾悠子は、小説を己の主義主張を表現する道具にしていないのだ。そこに、言葉そのものに対する深い愛着と信頼を感じる。作品が、作者の思想や信条に寄りかからずに屹立しているのである。
山尾作品との出会いは、大げさでなく一つの世界との出会いだ。読書から、成長とか発展へのヒントを得たい人、泣けるナントカを求めている人には、まったくお勧めできない。虚構の世界で遊ぶことの楽しみを知っている人だけが、手に取るべき作品である。宝石のような言葉の一つ一つをゆっくりと慈しみたい。
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