『サンタ・サングレ/聖なる血』(1989年)は、イタリア・メキシコ合作の映画。アレハンドロ・ホドロフスキー監督。主人公フェニックスを演じたアクセル・ホドロフスキーとフェニックスの少年時代を演じたアダン・ホドロフスキーはともに監督の息子である。
《精神病院の独房。裸の青年が巨大な止まり木の上で蹲っている。胸には鷹の刺青。医師の言葉に反応しない。
フェニックスは、メキシコシティのサーカス団の一人息子。父オルゴは色気違いのサディスト。母コンチャはカルト教団の指導者だった。フェニックスは、全身刺青の女から虐げられている聾唖の少女アルマにほのかな好意を寄せていた。
コンチャの教団では、強姦魔に両腕を切り落とされて死んだ少女を信奉していた。視察に訪れたカトリックの司祭は、赤い絵の具を血に見立てたプールや両腕の無い少女の偶像、信者たちの狂乱に憤慨する。司祭から異端と糾弾された教団は、ブルドーザーで教会を破壊された。
フェニックスが可愛がっていたサーカス団の象が血を吐いて死んだ。葬儀の後、象の死体はゴミ捨て場に投げ捨てられると、たちまち貧民たちの餌食となった。
象の葬儀から帰宅したフェニックスは、オルゴに椅子に縛りつけられ、胸に鷹の刺青を入れられる。胸から血を流し、苦痛に耐えるフェニックスに、アルマは鳥が羽ばたくパントマイムを演じて見せた。
ある夜、オルゴと刺青女との浮気現場を目撃したコンチャはオルゴの性器に硫酸をかけた。激怒したオルゴはコンチャの両腕を切り落とし、自分も喉をかき切って自殺した。刺青女はアルマを連れて逃走する。その一部始終を目撃したフェニックスは発狂し、精神病院に収容された。
数年後、狂気のまま成人になったフェニックスは、ある夜、他の患者たちとともに映画館に連れて行かれる。フェニックスたちは、引率の医師と看護師が車中で乳繰り合っている間に、麻薬の売人に薬を与えられ、売春婦の屯する界隈に連れて行かれた。そこで、フェニックスはあの刺青女の姿を目撃した。
翌朝、病室で目覚めたフェニックスは彼の名を呼ぶ声に気が付く。窓の下を見ると、そこには腕のないコンチャがいた。コンチャに導かれ、『コンチャと魔法の腕』という劇団で、舞台に立つようになったフェニックス。赤い付け爪をして、コンチャの両腕として二人羽織芸を披露するのだ。そして、コンチャに命じられるまま、赤い付け爪の手で、自分に近づく女たちを次々と殺害していく。
刺青女は自分だけでなく、アルマにも客を取らせていた。ある夜、アルマが客から逃げ出した直後に、フェニックスが刺青女を惨殺する。翌朝、戻ってきたアルマは刺青女の死体に驚くが、壁に貼られたフェニックスの写真を見て平静を取り戻す。そして、町で貰った『コンチャと魔法の腕』のチラシを頼りに、フェニックスを尋ねることにした…。》
ホドロフスキー監督が、初めて商業を意識したという本作。エログロと言われているが、グロに関しては、幻想美と思える範囲の絶妙なバランス。サーカス、カルト教団、刺青、フリークス、血だまりにたかる鶏と野犬の群、全編を漂う南米音楽…。絵の具をぶちまけたようなケバケバしい色のセットや衣装、赤い照明などが現実と幻覚の境を曖昧にして、見世物小屋を彷徨っているような酩酊感を醸し出す。どれだけ血飛沫が飛び散ろうとも臭いを感じさせない嘘っぽい映画が多い中で、血の臭いと温かみを感じさせるホドロフスキー監督の手腕は素晴らしい。エロは…どうだろう?ドリフのコントみたいなステージで昭和の女学生みたいなセーラー服を着た厚化粧の女優が裸になるシーンはあったけど、生ぬるい笑いが漏れるばかりだった。それと、どう見ても男なのに豊満な乳房のレスラー(やはり厚化粧)には、倒錯美を見出せないことも無かったが、これもエロかどうか…。恍惚とした表情を浮かべて彼女たちを見つめるフェニックスに若干疑問を感じたりした。
それよりも、フェニックスがコンチャの腕として生活しているシーンの方が官能的だった。着衣のまま、食事をしたり、ピアノを弾いているだけなのだけど、羽毛をあしらった真っ白い衣装に、ひらひら揺れる赤い付け爪が映えて、実に美しかった。
思うに、フェニックスは、性的不能者ではないだろうか?母親の命令にかこつけて、刺青女を髣髴とさせる派手で肉感的な女性ばかりを襲ったのも、性への強い欲求とそれを果たせぬが故の憎悪との捩れの表出ではなかったかと思うのだ。
アルマとの再会によって、フェニックスは正気に返り、事件の真相にぶち当たってしまう。現実には、コンチャは両腕を切り落とされた時に死んでいて、コンチャだと思っていたのは腕の無い人形だった。女たちを殺せと命じていたのはコンチャではなく、フェニックス自身であったのだ。そんなフェニックスの前で、アルマは再び鳥の羽ばたくパントマイムを演じてみせた。その姿は儚く、もの悲しかった。
アルマとはスペイン語で魂という意味なのだそうだ。アルマはフェニックスの魂を歪んだ欲望から解放した。しかし、それは新たな地獄の始まりではなかったのか?己が猟奇殺人鬼であるという現実を知ったフェニックスの魂は、この先何処へ羽ばたけるのだろうか?フェニックスを支え続けるには、アルマはあまりにも不幸で非力なのだった。
《精神病院の独房。裸の青年が巨大な止まり木の上で蹲っている。胸には鷹の刺青。医師の言葉に反応しない。
フェニックスは、メキシコシティのサーカス団の一人息子。父オルゴは色気違いのサディスト。母コンチャはカルト教団の指導者だった。フェニックスは、全身刺青の女から虐げられている聾唖の少女アルマにほのかな好意を寄せていた。
コンチャの教団では、強姦魔に両腕を切り落とされて死んだ少女を信奉していた。視察に訪れたカトリックの司祭は、赤い絵の具を血に見立てたプールや両腕の無い少女の偶像、信者たちの狂乱に憤慨する。司祭から異端と糾弾された教団は、ブルドーザーで教会を破壊された。
フェニックスが可愛がっていたサーカス団の象が血を吐いて死んだ。葬儀の後、象の死体はゴミ捨て場に投げ捨てられると、たちまち貧民たちの餌食となった。
象の葬儀から帰宅したフェニックスは、オルゴに椅子に縛りつけられ、胸に鷹の刺青を入れられる。胸から血を流し、苦痛に耐えるフェニックスに、アルマは鳥が羽ばたくパントマイムを演じて見せた。
ある夜、オルゴと刺青女との浮気現場を目撃したコンチャはオルゴの性器に硫酸をかけた。激怒したオルゴはコンチャの両腕を切り落とし、自分も喉をかき切って自殺した。刺青女はアルマを連れて逃走する。その一部始終を目撃したフェニックスは発狂し、精神病院に収容された。
数年後、狂気のまま成人になったフェニックスは、ある夜、他の患者たちとともに映画館に連れて行かれる。フェニックスたちは、引率の医師と看護師が車中で乳繰り合っている間に、麻薬の売人に薬を与えられ、売春婦の屯する界隈に連れて行かれた。そこで、フェニックスはあの刺青女の姿を目撃した。
翌朝、病室で目覚めたフェニックスは彼の名を呼ぶ声に気が付く。窓の下を見ると、そこには腕のないコンチャがいた。コンチャに導かれ、『コンチャと魔法の腕』という劇団で、舞台に立つようになったフェニックス。赤い付け爪をして、コンチャの両腕として二人羽織芸を披露するのだ。そして、コンチャに命じられるまま、赤い付け爪の手で、自分に近づく女たちを次々と殺害していく。
刺青女は自分だけでなく、アルマにも客を取らせていた。ある夜、アルマが客から逃げ出した直後に、フェニックスが刺青女を惨殺する。翌朝、戻ってきたアルマは刺青女の死体に驚くが、壁に貼られたフェニックスの写真を見て平静を取り戻す。そして、町で貰った『コンチャと魔法の腕』のチラシを頼りに、フェニックスを尋ねることにした…。》
ホドロフスキー監督が、初めて商業を意識したという本作。エログロと言われているが、グロに関しては、幻想美と思える範囲の絶妙なバランス。サーカス、カルト教団、刺青、フリークス、血だまりにたかる鶏と野犬の群、全編を漂う南米音楽…。絵の具をぶちまけたようなケバケバしい色のセットや衣装、赤い照明などが現実と幻覚の境を曖昧にして、見世物小屋を彷徨っているような酩酊感を醸し出す。どれだけ血飛沫が飛び散ろうとも臭いを感じさせない嘘っぽい映画が多い中で、血の臭いと温かみを感じさせるホドロフスキー監督の手腕は素晴らしい。エロは…どうだろう?ドリフのコントみたいなステージで昭和の女学生みたいなセーラー服を着た厚化粧の女優が裸になるシーンはあったけど、生ぬるい笑いが漏れるばかりだった。それと、どう見ても男なのに豊満な乳房のレスラー(やはり厚化粧)には、倒錯美を見出せないことも無かったが、これもエロかどうか…。恍惚とした表情を浮かべて彼女たちを見つめるフェニックスに若干疑問を感じたりした。
それよりも、フェニックスがコンチャの腕として生活しているシーンの方が官能的だった。着衣のまま、食事をしたり、ピアノを弾いているだけなのだけど、羽毛をあしらった真っ白い衣装に、ひらひら揺れる赤い付け爪が映えて、実に美しかった。
思うに、フェニックスは、性的不能者ではないだろうか?母親の命令にかこつけて、刺青女を髣髴とさせる派手で肉感的な女性ばかりを襲ったのも、性への強い欲求とそれを果たせぬが故の憎悪との捩れの表出ではなかったかと思うのだ。
アルマとの再会によって、フェニックスは正気に返り、事件の真相にぶち当たってしまう。現実には、コンチャは両腕を切り落とされた時に死んでいて、コンチャだと思っていたのは腕の無い人形だった。女たちを殺せと命じていたのはコンチャではなく、フェニックス自身であったのだ。そんなフェニックスの前で、アルマは再び鳥の羽ばたくパントマイムを演じてみせた。その姿は儚く、もの悲しかった。
アルマとはスペイン語で魂という意味なのだそうだ。アルマはフェニックスの魂を歪んだ欲望から解放した。しかし、それは新たな地獄の始まりではなかったのか?己が猟奇殺人鬼であるという現実を知ったフェニックスの魂は、この先何処へ羽ばたけるのだろうか?フェニックスを支え続けるには、アルマはあまりにも不幸で非力なのだった。