ヴァージニア・ウルフ著『オーランドー』
エリザベス朝から20世紀まで生きてきて、1928年に36歳、途中で男性から女性に変身したオーランドー。彼/彼女は、何者なのか?
本作の最大の特徴は言うまでもなく、男性から女性への変身である。その両性具有性には、フェミニズム的な価値観を認めることが出来る。オーランドーの両性具有が、最初から男女両性の完全性を備え、己の意思で使い分けているのではなく、時代の影響で変化した点には留意したい。
『オーランドー』は、〈伝記作家〉ヴァージニア・ウルフが、両性具有の詩人オーランドーの360年の人生を紐解く伝記という体裁で綴られている。
オーランドーは詩人である。エリザベス朝以来いつも書いている。オーランドーが書き続けた「樫の木」は、過去の英文学の歴史と伝統があってこそ生み出された現代詩であり、伝記『オーランドー』は、英文学史のパロディである(著名な作家がぞろぞろ出てくる)と同時に、一人の詩人の精神的成長の物語でもあるのだ。
奇書、と言ってよいだろう。非常にややこしい内容なので、まずは頭の整理のために筋を纏めておきたい。
【第一章】
オーランドーは、エリザベス朝のイングランドに生まれる。
菫色の瞳をした美少年のオーランドーは、エリザベス一世の寵臣となり、女王に薔薇水の鉢を捧げた。
数々の女性と浮名を流したオーランドーは、ロシア皇女マルーシャ・スタニロヴスカ・ダグマール・ナターシャ・イリアナ・ロマノヴィッチと知り合う。彼は皇女をサーシャと呼び、熱烈に愛した。婚約者のいる彼とロシア皇女との交際はスキャンダルとなる。サーシャという呼び名は、彼がかつて飼っていた狐と同名だったが、このロシア皇女はまさしく狐のごとき性質の女性だった。大洪水と大寒波の日、オーランドーはサーシャに裏切られる。
【第二章】
権力者たちの不興を買ったオーランドーは宮廷を追放される。
失意の彼は館に引きこもり、七日間の眠りの後目覚めて悲劇を書きまくる。創作熱に憑りつかれた彼は、わが民族最大の詩人となり、わが名に不滅の光輝を添えてみせるぞ、と誓う。館に人気作家ニック・グリーンを招き、批評を乞うために自作の悲劇を手渡すが、グリーンに風刺詩のネタにされ、徹底的にコケにされてしまう。
オーランドーは、再び失意のどん底から立ち直ると今度は屋敷を大改装し、近隣の貴族郷士を招いて華々しき饗宴を始める。そんな生活の中でも少年時代から書き続けてきた「樫の木・詩」のノートは、書いては消し消しては書いて大切にし続けるのだった。
せっかく生活を立て直したというのに、今度は変な声で笑う長身・馬面のルーマニア皇女ハリエット・グリゼルダに付きまとわれてしまう。ハリエットの行動は悪質なストーカーそのものであるが、オーランドーは立場的に強く抗議することが出来ない。万策の尽きたオーランドーは、特命大使としてコンスタンティノープルへ派遣していただきたい旨、チャールズ二世に願い出る。
【第三章】
トルコに派遣されたオーランドーは国家的公のレベルで極めて重要な役割を果たす。
また、私生活でも様々な逸話を残した。そして、ジプシーの血を引く踊り子ロジーナ・ペピータとの間に子供をもうける。
暴動のさなか、七日間の昏睡状態に陥ったオーランドーは、目覚めると30歳の女性になっていた。腰にピストルを二挺はさみ、エメラルドと真珠の首飾りを数連身体に巻き付けた彼女は、痩せ犬一匹を連れ、驢馬にまたがり、ジプシーの集団に身を投じてコンスタンティノープルを後にした。
ジプシーとともに旅を続けていたオーランドーであったが、ペンとインクの無い生活や、ジプシーとの価値観の違いから、望郷の念やむなくやがてイギリスに帰国する。
【第四章】
当世風の婦人服一式を纏ったオーランドーは、女性としての人生を謳歌する。
オーランドーは、男性だった頃の自分も含めた世の男性たちが、女性たちに対して一方的に押し付けてきた男女観に批判的になる。
「わたしたちにはアルファベット一つ教えようとしないくせに、自分たちは知識で完全武装してる」
「女性の暗き衣なる貧しさと無知を身にまとうている方がよい、この世の支配統制は男性族に任しといた方がよい、武勲の野心、権力愛その他あらゆる男性的野望なんかご免蒙りたい、そして、人間精神最高の歓び、つまり瞑想と孤独と愛を満喫するのだ」
しかしながら、この価値観の変革も法律の前では無力であった。
ブラックフライアーズの館についた途端に、オーランドーは自分が告訴されており、主たる訴訟三件及び数え切れぬほどの派生関連小起訴の被告であることを告げられる。
当時のイギリスにおいては女性に財産の相続権はなかった。つまり女性となったオーランドーは男性としては死亡したことになり、父の遺産を継ぐ権利を失ったということになるのだそうだ。ロジーナ・ペピータとの間に設けた三人の男子は、父(つまりオーランドー)の死亡にあたり、その全財産の相続権を主張しているのであった。
更に頭の痛いことに、オーランドーの元にあのハリエット皇女がまた押しかけてくるようになった。しかも、ハリエットは実は男性で、男性だったオーランドーに恋したために女装して求愛していたのだという。女性となったオーランドーに対して、ハリエット皇女はハリー大公として、ぬけぬけと求愛の仕切り直しをする。面白くないオーランドーは、ゲームでわざといかさまをしたり、大公の服の中に蟇蛙を入れたりして、大公が怒るように仕向ける。オーランドーは、人生と恋人探しのために社交界に出入りするようになる。そこで、アディソン、ポープ等と知り合い、文士達のパトロンとなった。
【第五章】
19世紀のオーランドーは、ヴィクトリア朝独特の時代精神に染まり、気の抜けた詩句しか書けないようになる。
周囲の人々の中で、自分だけが結婚指輪をしていないことに動揺したオーランドーは、結婚願望を強く抱くようになる。やがて荒野で知り合った海の男マーマデューク・ボンスロップ・シェルマーダインと婚約をする。チャペルで挙式すると、南西風とともに海に去る夫を見送った。
【第六章】
館に戻ったオーランドーは、航海で不在がちな夫との関係に悩みつつも創作に励む。
およそ300年ぶりに再会したニコラス・グリーンに託した「樫の木」の詩稿は、7版も重ね、バーデット・クーツ記念賞を受賞した。
もう20世紀だ。オーランドーは、1588年ごろに知った樫の木の根元に「樫の木」の本を埋めようとするが、埋めずに地面に落ちたままにしておいた。男子を出産し、36歳になったオーランドーは自分で車を運転し、立派な船長になった夫シェルを迎えに行った。1928年10月11日、木曜日の真夜中である。
物語の中でおよそ360年の時が流れているが、オーランドーは最後の章でようやく36歳だ(男から女に変身したのは30歳)。つまり、オーランドーは10年に1度しか歳をとらないのである。
オーランドーとは、ウルフの同性の恋人ヴィタ・サックヴィル及びサックヴィル一族の集合体である。オーランドーの性転換は、ヴィタに一族を収斂させるための仕掛けと考えられる。なお、36歳は『オーランドー』が発表された当時のヴィタの年齢である。
挿入された肖像のうち、英国に戻ったオーランドー、1840年頃および現在のオーランドーは、ヴィタの写真である。残りのオーランドーの肖像は、過去のサックヴィル家の人々の肖像画だ。『オーランドー』は、サックヴィル家の年代記でもあるのだ。
一人の詩人の伝記という体裁をとりながら、英文学史のパロディであり、サックヴィル家の年代記でもあり、さらにはウーマンリブ論も内包している。ファンタジック・ロマンスとして気軽に楽しむことも可能だ。男オーランドーとサーシャの恋と、女オーランドーとハリー大公の恋との対比にフェミニズムの匂いを感じることも可能だろう。もっとも後者は恋と言ってよいのか疑問なほどのディスコミュニケーションぶりだったけど。それから、シェルの存在感の薄さにも何か理由があるのかもしれない。
半端ではない情報量と幾層にも重ねられた仕掛けによって何度読んでも新たな発見が得られる傑作である。
エリザベス朝から20世紀まで生きてきて、1928年に36歳、途中で男性から女性に変身したオーランドー。彼/彼女は、何者なのか?
本作の最大の特徴は言うまでもなく、男性から女性への変身である。その両性具有性には、フェミニズム的な価値観を認めることが出来る。オーランドーの両性具有が、最初から男女両性の完全性を備え、己の意思で使い分けているのではなく、時代の影響で変化した点には留意したい。
『オーランドー』は、〈伝記作家〉ヴァージニア・ウルフが、両性具有の詩人オーランドーの360年の人生を紐解く伝記という体裁で綴られている。
オーランドーは詩人である。エリザベス朝以来いつも書いている。オーランドーが書き続けた「樫の木」は、過去の英文学の歴史と伝統があってこそ生み出された現代詩であり、伝記『オーランドー』は、英文学史のパロディである(著名な作家がぞろぞろ出てくる)と同時に、一人の詩人の精神的成長の物語でもあるのだ。
奇書、と言ってよいだろう。非常にややこしい内容なので、まずは頭の整理のために筋を纏めておきたい。
【第一章】
オーランドーは、エリザベス朝のイングランドに生まれる。
菫色の瞳をした美少年のオーランドーは、エリザベス一世の寵臣となり、女王に薔薇水の鉢を捧げた。
数々の女性と浮名を流したオーランドーは、ロシア皇女マルーシャ・スタニロヴスカ・ダグマール・ナターシャ・イリアナ・ロマノヴィッチと知り合う。彼は皇女をサーシャと呼び、熱烈に愛した。婚約者のいる彼とロシア皇女との交際はスキャンダルとなる。サーシャという呼び名は、彼がかつて飼っていた狐と同名だったが、このロシア皇女はまさしく狐のごとき性質の女性だった。大洪水と大寒波の日、オーランドーはサーシャに裏切られる。
【第二章】
権力者たちの不興を買ったオーランドーは宮廷を追放される。
失意の彼は館に引きこもり、七日間の眠りの後目覚めて悲劇を書きまくる。創作熱に憑りつかれた彼は、わが民族最大の詩人となり、わが名に不滅の光輝を添えてみせるぞ、と誓う。館に人気作家ニック・グリーンを招き、批評を乞うために自作の悲劇を手渡すが、グリーンに風刺詩のネタにされ、徹底的にコケにされてしまう。
オーランドーは、再び失意のどん底から立ち直ると今度は屋敷を大改装し、近隣の貴族郷士を招いて華々しき饗宴を始める。そんな生活の中でも少年時代から書き続けてきた「樫の木・詩」のノートは、書いては消し消しては書いて大切にし続けるのだった。
せっかく生活を立て直したというのに、今度は変な声で笑う長身・馬面のルーマニア皇女ハリエット・グリゼルダに付きまとわれてしまう。ハリエットの行動は悪質なストーカーそのものであるが、オーランドーは立場的に強く抗議することが出来ない。万策の尽きたオーランドーは、特命大使としてコンスタンティノープルへ派遣していただきたい旨、チャールズ二世に願い出る。
【第三章】
トルコに派遣されたオーランドーは国家的公のレベルで極めて重要な役割を果たす。
また、私生活でも様々な逸話を残した。そして、ジプシーの血を引く踊り子ロジーナ・ペピータとの間に子供をもうける。
暴動のさなか、七日間の昏睡状態に陥ったオーランドーは、目覚めると30歳の女性になっていた。腰にピストルを二挺はさみ、エメラルドと真珠の首飾りを数連身体に巻き付けた彼女は、痩せ犬一匹を連れ、驢馬にまたがり、ジプシーの集団に身を投じてコンスタンティノープルを後にした。
ジプシーとともに旅を続けていたオーランドーであったが、ペンとインクの無い生活や、ジプシーとの価値観の違いから、望郷の念やむなくやがてイギリスに帰国する。
【第四章】
当世風の婦人服一式を纏ったオーランドーは、女性としての人生を謳歌する。
オーランドーは、男性だった頃の自分も含めた世の男性たちが、女性たちに対して一方的に押し付けてきた男女観に批判的になる。
「わたしたちにはアルファベット一つ教えようとしないくせに、自分たちは知識で完全武装してる」
「女性の暗き衣なる貧しさと無知を身にまとうている方がよい、この世の支配統制は男性族に任しといた方がよい、武勲の野心、権力愛その他あらゆる男性的野望なんかご免蒙りたい、そして、人間精神最高の歓び、つまり瞑想と孤独と愛を満喫するのだ」
しかしながら、この価値観の変革も法律の前では無力であった。
ブラックフライアーズの館についた途端に、オーランドーは自分が告訴されており、主たる訴訟三件及び数え切れぬほどの派生関連小起訴の被告であることを告げられる。
当時のイギリスにおいては女性に財産の相続権はなかった。つまり女性となったオーランドーは男性としては死亡したことになり、父の遺産を継ぐ権利を失ったということになるのだそうだ。ロジーナ・ペピータとの間に設けた三人の男子は、父(つまりオーランドー)の死亡にあたり、その全財産の相続権を主張しているのであった。
更に頭の痛いことに、オーランドーの元にあのハリエット皇女がまた押しかけてくるようになった。しかも、ハリエットは実は男性で、男性だったオーランドーに恋したために女装して求愛していたのだという。女性となったオーランドーに対して、ハリエット皇女はハリー大公として、ぬけぬけと求愛の仕切り直しをする。面白くないオーランドーは、ゲームでわざといかさまをしたり、大公の服の中に蟇蛙を入れたりして、大公が怒るように仕向ける。オーランドーは、人生と恋人探しのために社交界に出入りするようになる。そこで、アディソン、ポープ等と知り合い、文士達のパトロンとなった。
【第五章】
19世紀のオーランドーは、ヴィクトリア朝独特の時代精神に染まり、気の抜けた詩句しか書けないようになる。
周囲の人々の中で、自分だけが結婚指輪をしていないことに動揺したオーランドーは、結婚願望を強く抱くようになる。やがて荒野で知り合った海の男マーマデューク・ボンスロップ・シェルマーダインと婚約をする。チャペルで挙式すると、南西風とともに海に去る夫を見送った。
【第六章】
館に戻ったオーランドーは、航海で不在がちな夫との関係に悩みつつも創作に励む。
およそ300年ぶりに再会したニコラス・グリーンに託した「樫の木」の詩稿は、7版も重ね、バーデット・クーツ記念賞を受賞した。
もう20世紀だ。オーランドーは、1588年ごろに知った樫の木の根元に「樫の木」の本を埋めようとするが、埋めずに地面に落ちたままにしておいた。男子を出産し、36歳になったオーランドーは自分で車を運転し、立派な船長になった夫シェルを迎えに行った。1928年10月11日、木曜日の真夜中である。
物語の中でおよそ360年の時が流れているが、オーランドーは最後の章でようやく36歳だ(男から女に変身したのは30歳)。つまり、オーランドーは10年に1度しか歳をとらないのである。
オーランドーとは、ウルフの同性の恋人ヴィタ・サックヴィル及びサックヴィル一族の集合体である。オーランドーの性転換は、ヴィタに一族を収斂させるための仕掛けと考えられる。なお、36歳は『オーランドー』が発表された当時のヴィタの年齢である。
挿入された肖像のうち、英国に戻ったオーランドー、1840年頃および現在のオーランドーは、ヴィタの写真である。残りのオーランドーの肖像は、過去のサックヴィル家の人々の肖像画だ。『オーランドー』は、サックヴィル家の年代記でもあるのだ。
一人の詩人の伝記という体裁をとりながら、英文学史のパロディであり、サックヴィル家の年代記でもあり、さらにはウーマンリブ論も内包している。ファンタジック・ロマンスとして気軽に楽しむことも可能だ。男オーランドーとサーシャの恋と、女オーランドーとハリー大公の恋との対比にフェミニズムの匂いを感じることも可能だろう。もっとも後者は恋と言ってよいのか疑問なほどのディスコミュニケーションぶりだったけど。それから、シェルの存在感の薄さにも何か理由があるのかもしれない。
半端ではない情報量と幾層にも重ねられた仕掛けによって何度読んでも新たな発見が得られる傑作である。