青い花

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新釈 走れメロス 他四篇

2017-04-24 07:18:50 | 日記
森見登美彦著『新釈 走れメロス 他四篇』は、太宰治の「走れメロス」、中島敦の「山月記」、芥川龍之介の「藪の中」、坂口安吾の「桜の森の満開の下」、森鴎外「百物語」の5編の名作を現代の京都を舞台に生まれ変わらせた連作短編集。パロディと呼ぶにはオリジナル色が強いこれらの愉快な短編たちを何と呼べばよいのだろう。

あとがきによれば「ここに選んだ短編は、必ずしもその作家の最高作と言われるものとはかぎらず、さらに言えば、個人的に一番好きな短編を選んだという訳でもない」とのこと。原典を知っている方が登美彦氏の意図を理解しやすいだろうという配慮から、日本文学史上特に有名な作品を選んだのだろうか。


最も登美彦氏らしさが表れていたのが表題作の「走れメロス」。
詭弁論部は、新入生たちに「我ら詭弁を弄して万人に嫌われて悔いない」という宣言を強い、彼らの人としての幸せを台無しにするのを年中行事としている偏屈なクラブである。その唾棄すべき行事は大文字の火床に立って京都の夜景に唾を吐きながら「詭弁踊り」を踊り狂うことで締めくくられる。

芽野と芹名は、詭弁論部に所属している学生だ。
芽野がメロス、芹名がセリヌンティウスにあたる。この二人は奇人変人の吹き溜まりである詭弁論部の中でも、阿呆の双璧と名高い究極の阿呆学生である。

その日の午後、「たまには講義に出てみるか」と考えた芽野が一乗寺の下宿から大学に出てみると、詭弁論部の部室が閉鎖されていた。部員の証言によると、先日、「自転車にこやか整理軍」と名乗る男たちが乗り込んできて部室を封鎖し、詭弁論部の看板を引きはがして、代わりに生湯葉研究会の看板を掲げて行ったというのである。根性なしの部長は権力機構に恐れをなして逃走してしまった。芽野は激怒した。

「自転車にこやか整理軍」を使嗾しているのが、図書館警察である。そして、暴君ディオニスにあたるのが図書館警察の長官なのだ。
図書館警察とは、そもそもは大学の付属図書館の図書を返却しない学生から図書を回収すべく設置された学生組織である。しかし、その実態は長官の個人的な欲望を実現すべく私設軍隊「自転車にこやか整理軍」を指揮し、大学内外に情報網を張り巡らせることで学生たちの個人情報を把握して、歯向かう者にはその者の恥ずかしい秘密を全学部の掲示板に張り出すという制裁を加える恐怖政治団体なのだ。

長官の下へ直談判に行った芽野は、長官の怒りを買う。
そして、詭弁論部を救いたければ、グランドに設置してあるステージの上で、楽団が奏でる『美しく青きドナウ』に合わせてブリーフ一丁で踊り、今宵の学園祭のフィナーレを飾ることを要求されてしまうのだった。

それに対して芽野は、これから姉の結婚式に出なければならないので、一日だけ猶予をくれないか。明日の日暮れまでには必ず戻ってきて、ブリーフ一丁でフィナーレを務める。信じられないのならば人質に親友の芹名を置いていくので、俺が逃げたら代わりに奴を躍らせろと返答した。

長官は人間不信だった。元々友人の少なかった彼であったが、唯一の親友と初恋の女性に裏切られたことで意固地になってしまったのだ。しかし、心底にはもう一度友情というものを信じてみたいという願いがあったのだろう。芽野のまっすぐな瞳を受け、彼の冷たく封じられていた魂には暖かい光が差すようであった。長官は芽野の要求を受け入れた。
しかし、そんなピュアな長官に、人質の芹名が暴言とも言うべき爆弾発言を放ったのだ。

「あいつに姉はいないよ」

ショックである。サイテーである。長官は傷つき怒り狂ったが、一番怒ってよいはずの芹名は平然としている。

「俺の親友が、そう簡単に約束を守ると思うなよ」

太宰のメロスは、人質になった親友を救うために走るが、森見版メロスの芽野はまったくの逆。姉の結婚式に出るための猶予をくれと嘘をつき、刻限まで逃げきり、人質になってくれた親友にブリーフ踊りを押し付けるために走る。しかも、逃げている最中に漫画喫茶で「北斗の拳」を読み耽り、自分が逃走中であることを忘れてしまうのだ。
その後、「自転車にこやか整理軍」に見つかり、逃走を再開した芽野が思うことは、「芹名よ。君ならば見事にやり遂げてくれることだろう!」である。親友を犠牲にすることに一切ためらいが無い。クズ過ぎて痺れる。

この時点で謎なのは芹名の心の内である。
芹名は芽野に姉がいないことも彼に帰ってくる気が無い事も知っている。それなのに何を思って人質になることを受け入れたのだろう。

芽野と芹名の友情の始まりは、「パンツ番長戦」である。
「パンツ番長戦」とは、最も長期間同じ下着を履き続けた者が「パンツ番長」の称号を得られるという恥晒しな戦いである。しかし、その馬鹿馬鹿しさ故に勝負魂に火が付くのが詭弁論部の詭弁論部たる所以なのだ。
詭弁論部に入部した年の「パンツ番長戦」において、芽野と芹名は歴史的激闘の末に引き分けとなった。「パンツ番長並立」という詭弁論部始まって以来の異常事態を引き起こした二人は運命を感じた。熱しやすい芽野と冷静な芹名。正反対な二人であるが、「詭弁論部に芽野と芹名あり」と自分たちだけで豪語し、切磋琢磨して誰にも理解できない高みを目指し続けた。

今回の件、刻限までに戻って潔くブリーフ踊りをした方が楽である。
追っ手の追跡は厳しい。友情を踏みにじった卑劣漢として生きていくのはもっと厳しい。しかし、芽野の心は折れなかった。彼にだけは芹名の心が分かっていたから。

「やはり俺はここで約束を守る訳にはいかない。そんなつまらぬ羽目になっては芹名に申し訳ない。彼の期待に応えなければ!」

つまり、約束を破ることこそが、芽野が芹名に捧げる誠、二人の友情の証なのだ。
芽野を追跡するのは「自転車にこやか整理軍」だけではない。長官のかけた懸賞金につられ、町中の人々が血眼になって芽野を追う。その中には芽野が片想いしていた女性もいた。詭弁論部の仲間さえもいた。彼らは口々に芽野を「友情を何だと思っているのだ」「往生際が悪い」と罵りながら掴み掛ってくる。最早身に着けているものは、首に巻いたバスタオルとブリーフのみ。既に十分恥を晒している。
誰がどう考えたって、京都の街中をブリーフで逃げ惑うより、大学の構内でブリーフ踊りを踊る方がマシだろう。しかし、それでも芽野は逃げるのだ。

「あるのだ。そういう友情もあるのだ。型にはめられた友情ばかりではないのだ。声高に美しき友情を称賛し、甘ったるく助け合い、相擁しているばかりが友情ではない。そんな恥ずかしい友情は願い下げだ!おれたちの友情はそんな物ではない。俺たちの繊細微妙な関係を、ありふれた型にはめられてたまるものか。クッキー焼くのとはわけがちがうのだ!」

「約束を守るも守らないも問題ではないのだ、信頼するもしないも問題ではないのだ。迷惑をかけてもいいだろう。裏切ってもかまわん。助け合いたければそれもいい。何であってもいいのだ。そんなことはどうでもいいのだ。ただ同じものを目指していていればそれでいい。なぜならば、だからこそ、我々は唯一無二の友なのだ!」

登美彦氏お得意の阿呆学生が織りなすドタバタコメディに見せかけた、痛いほど真摯な友情物語だ。見ようによっては「山月記」以上に過酷な求道物語であり、「藪の中」以上に閉塞的な愛の物語でもある。芽野は作中で多くの人と言葉を交わしているが、彼が本当に語り掛けているのは常に芹名だ。彼は誰の共感も欲していない。芹名さえ認めてくれれば本望。寧ろそれ以外は不純物。お互い以外はただの背景としか認識していないような、若さゆえの極端に純粋で視野狭窄な価値観。余人には理解できない信頼と情熱であった。
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