青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

少女地獄

2017-04-10 07:19:17 | 日記
創元推理文庫版の夢野久作傑作集『少女地獄』には、「死後の恋」、「瓶詰の地獄」の二編の短編と、中編「氷の涯」、オムニバス「少女地獄」が収録されている。

「少女地獄」は、「何でも無い」、「殺人リレー」、「火星の女」の三部で構成されている。三部とも手紙や新聞の見出しを多用した夢野久作らしい作風で、主人公の少女は物語の中で自ら命を絶つ。なかでも、命がけで嘘に噓を重ね続けた「何でも無い」の姫草ユリ子の壮絶な生涯には圧倒される。


「何でも無い」は、横浜で耳鼻科医院を開業する臼杵利平医師から、K大耳鼻科の白鷹秀麿助教授に宛てた手紙という形式をとっている。

手紙の冒頭から両氏が親しい間柄でないことはわかる。ほんの束の間言葉を交わしたことがあるだけの彼らを結ぶ唯一の存在が姫草ユリ子だ。
その姫草ユリ子が自殺したのだ。それも臼杵・白鷹両氏への恨みつらみを綴った遺書を残して。両氏と姫草ユリ子の間に何があったのか?

臼杵医師の手紙になかには、姫草ユリ子の遺書が丸々写されている。
その遺書の主張では、臼杵・白鷹両氏は無力で世間知らずな少女を弄んだ挙句、無情にも放り捨て、社会的地位の高さを笠に着て知らん顔を決め込んでいる外道ということになる。
しかし、姫草ユリ子の主張にはひとかけらの真実もないのだ。
自分たちの後にも新たな被害者が出ていることを知った臼杵医師は、特高の田宮課長に連絡を入れた。その上で、白鷹助教時にも手紙を書いたのである。

彼女の嘘に翻弄され、散々迷惑をかけられたことを自覚しているはずの臼杵医師に、“可憐な、清浄無垢な”と述懐させる姫草ユリ子とは、いったい何者なのか?
渺たる一少女に過ぎない彼女が、かくも長期間に渡って何人もの人々を騙し続け、その挙句、彼女自身の運命まで葬らねばならないほどの窮地に陥れて行くべく余儀なくされた、そのそもそもの動機は何なのか?

臼杵医師と姫草ユリ子との出会いは突然だった。
臼杵耳鼻科医院開業の前日、姫草ユリ子は紹介状もなしにバスケット一つで突然訪れ、看護婦に雇ってくれと懇願してきたのである。
年は十九歳。青森の県立女学校を出てから上京し、K大耳鼻科で看護婦をしていた。兄も上京していて、丸ビルで働いている。身元保証人の叔母は、下谷で髪結いをしている。問われるままに自らのプロフィールを語る姫草ユリ子を、臼杵医師はその場で採用することに決めてしまった。K大にも叔母にも身元の確認をせずに…。少し考えれば、彼女の弁にはいくつもの矛盾点や不安点が見つけられるのに、彼女のいじらしく健気な印象に幻惑されてしまったのだ。

姫草ユリ子の看護婦としての腕には確かなものがあった。
器用でよく気が付き可憐な印象の彼女は、たちまち臼杵耳鼻科のマスコットとして、患者たちから臼杵医師以上の信頼と親しみを寄せられるようになった。それに加えて、彼女の実家が時々送ってくる贈答品によって、臼杵医師は彼女が裕福な出自の人であると信じ込んでしまった。早くも給料アップを検討するほどに、姫草ユリ子を手放しがたい存在と考えるようになってしまったのである。

すべては、姫草ユリ子の創作であった。
人当たりの良さと巧みな話術に加えて、実家からと偽って身銭を切って贈り物をしたり、電話でアリバイ作りをしたりと念の入った工作に臼杵医師はすっかり騙されてしまった。
この辺で止めておけば、彼女の正体も暴露されず、臼杵医院もマスコットを失わず、万事上手くいっていたであろう。
ところが、あっさりと手に入った厚遇に退屈を感じ始めたのか、更なるスリルを求めたのか、姫草ユリ子は異常な活躍を始めた。その彼女の選択が、K大耳鼻科の白鷹助教授と臼杵医師の家庭、更には彼女自身をも悪夢の中に陥れ始めるのである。

診察の合間の雑談で、臼杵医師は姫草ユリ子から、度々「臼杵先生は白鷹先生にソックリよ」と言われるようになった。姫草ユリ子はK大耳鼻科で働いていたころ、白鷹医師から可愛がられていたらしい。
白鷹先生は、臼杵医師の大学の先輩であるが親交はない。しかし、毎日のようにソックリと好意的な口調で言われ続ければ、自然と親しみが湧いてくるというもの。大学の先輩後輩だし、姫草ユリ子という共通の知人がいるのだ。会ってみたい。社交的な質の臼杵医師は、姫草ユリ子に白鷹先生に連絡を取ってくれるように頼んだ。
やがて臼杵医師の元に白鷹助教授から電話が来るようになる。しかし、会う約束をしても、直前になるとキャンセルの電話を入れられてしまうのだ。
白鷹助教授の態度に憤慨する姫草ユリ子を、臼杵医師は「会おうと思えばいつでも会えるさ」と慰めた。この言葉が、彼女を恐ろしい強迫観念の無間地獄に陥れる。

姫草ユリ子は、自分の看護婦としての信用がいかに高いものかを、白鷹助教授の名によって立証すべく苦心していた。この時すでに、世間を騒がせている「謎の女」の新聞記事によって、社会的破滅の脅威に晒されている彼女の自己意識を満足させると同時に、彼女自身しか知らない彼女の過去を完全に偽装しようと試みていた彼女の努力は、本物の白鷹助教授と臼杵医師が対面すれば跡形もなく粉砕されてしまうのだ。

“どうしても会えない人間”―――最初に姫草ユリ子に疑惑の目を向けたのは臼杵医師の細君であった。臼杵医師は、細君は探偵小説趣味だからと述べているが、そうでなくても女性は同性のことをよく観察しているものだ。相手が魅力的な女性なら猶のこと。細君は、姫草ユリ子が気の緩んだ時に見せる十九歳にしては老け過ぎた横顔とひどく貧乏くさい惨めな風付きについて夫に語る。聞いているうちに、臼杵医師は、姫草ユリ子の正体がだんだん消え失せて行くように感じた。
細君の観察眼には一目置いている臼杵医師である。ぜひとも白鷹助教授に会おうと起こした行動が、姫草ユリ子の命運に鉄槌を下してしまうのだった……。


名前も年齢も出自も何一つ本当のものが無い、嘘に嘘を塗り固めた張り子の様な娘。
手紙の中で臼杵医師は、姫草ユリ子のことを何度も“嘘の天才”と呼んでいるが、所詮は世間知らずな若い娘の空想。一度綻びが生じれば、社会的地位のある医師や、国家権力の走狗である特高、世間擦れしたジャーナリストらが寄って集って彼女の虚構を暴くのは簡単だった。
アカの嫌疑をかけられ拘留された上に、色魔とまで言われた。それ以上に耐えがたかったのは、彼女の構築した虚構とかけ離れた彼女の実情を暴かれてしまったことだろう。
虚構の天国の夢を叩き破られて、再び冷たく空虚な現実の上に放逐されてしまうことは、死刑宣告以上に恐ろしい。そうした幻滅を回避するための死に物狂いの苦闘が、彼女自身を更なる窮地に陥れてしまう悪循環。それが彼女の落ちた地獄だ。

何でも無い事に苦しんで、何でも無い事に死んでいった。他人から見れば、それだけの人生だけど。
十九歳で故郷を飛び出してからもう六年。名前や経歴は偽り続けることが出来ても、年齢はいつまでも偽れない。彼女のこだわりが、優秀な看護婦であり続けることよりも、少女であり続けることにより重点を置いていたのなら、臼杵医師に出会わなくても遅かれ早かれ破滅していただろう。
カサカサに干からびた現実世界に背を向け、自分の空想が生んだ虚構を唯一無上の天国と信じ、命がけで抱きしめ、虚構の崩壊とともに命を絶った姫草ユリ子は、言ってみれば己の少女性に殉じたのだ。二十五歳であるらしい彼女の実年齢は、少女性を取り繕えるギリギリの年齢であったのかもしれない。
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忍者猫と木の芽時

2017-04-07 07:08:39 | 日記

桜、忍者の如く網戸を登る。網戸の目がヨレるからやめて欲しいのですが…(苦笑)。

娘・コメガネの学校が一学期の始業式を迎えました。
今年度で五年生です。新学期に備えてメガネのメンテもバッチリです。今年度こそは勉強頑張ってくださいね!


我が家の庭の植物たちも木の芽時を迎えました。
シンテッポウユリの直植え。


こちらはシンテッポウユリのコンテナ植え。やはり直植えの方が、育ちが良いですね。折を見て植え替えようと思います。


ヒメウツギ。


ヒオウギ。


柏葉紫陽花。


紫陽花。


満天星。


夏椿。


植えっぱなしで分球の進んだヒヤシンス。


スカシユリ。


紫蘭。


ジャーマンアイリス。


アリウムは去年より葉が小さいです。上手く養生させないと。


古い葉の間から新芽が出ている海老根。
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悟浄出立

2017-04-03 09:24:22 | 日記
『悟浄出立』

収録作は、「悟浄出立」、「趙雲西航」、「虞姫寂静」、「法家孤憤」、「父司馬遷」の五篇。
「西遊記」の沙悟浄、「三国志」の趙雲、項羽の愛妾・虞姫、始皇帝暗殺に失敗した荊軻と同音異字の京科という名の小役人、司馬遷の娘・榮…中国の古典に登場する脇役たちに着目し、彼らが脇役から主役へと鮮やかに変身する“過程”を描いている。

「悟浄出立」以外の四作は哀愁色が強い。
それでも読後感が悪くないのは、万城目氏が彼らの生き方を肯定的に捉えているからだろう。故郷に帰れなかった趙雲が船上で打つ太鼓も、死を決意した虞美人の舞も、切々と胸に迫るものがあるが暗くはない。
作中では、度々“過程”という言葉が繰り返されている。齢五十に差し掛かろうが、今まさに自刃する瞬間であろうが、何かを望み続ける限りは“過程”の人なのだ。効率や結果ばかりが重視される昨今にあって、“過程”を重視する万城目氏の世界観は健やかだ。

もっとも味わい深かったのは、「法家孤憤」だ。
主人公の京科は、四作の主人公たちの中でも最も印象の薄い、地味中の地味キャラだ。平々凡々なこの男が、秦王暗殺を企て処刑された男・荊軻と同音の名だったために、ちょっとした注目を浴びることになる。

京科は咸陽宮に勤める下級官吏だ。
日に日に大きくなる国に、新たに併呑されることになった地方への命令書を、そこで施行される新たな法を、ひたすら竹簡に記し続けることが彼の仕事である。秦王が刺客に襲われたその日も京科は宮殿で竹簡に法文を記していた。

事件は陛下が燕から来た使節との対面の場で起きた。
殿中では、近臣でさえ寸鉄をも帯びることが許されない。護衛の兵はいるが、彼らは常に建物の外に控え、陛下の命令が無い限り昇殿は赦されないのだ。殿中で武器を許されているのは、陛下唯一人。これは、秦の法が定めるところによる。
謁見する使節の面々は、髪の中から股の内側まで確かめられ、金属を隠し持つことなど不可能のはずだった。しかし、賊は使節団の中にいたのだ。

誰も陛下を助けることが出来なかった。
何しろ殿中の者は、一人として武器を持っていなかったからである。衛兵を招き入れることもできなかった。何故ならそれが許されるのは、陛下の命令があるときだけだからだ。だが、刺客に襲われている陛下はそれどころでない。陛下の命を救ったのは、武漢でも何でもない唯の医者だった。彼が必死で投げた薬袋が賊の顔を強打し、陛下自らの刃によって賊を殺害することが出来たのだ。
つまり、法によって陛下は死ぬところだったのである。滑稽だが、それが法治というものだ。

“ケイカ”
官吏たちの集う広場で、廷尉(司法長官)の李斯様は、いきなり京科の名を呼んだ。勿論、京科が賊であるはずがない。偶然、賊の名が京科と同じ読み方だったのである。

“荊軻”
京科の脳裏には、二年前、邯鄲の役場での風景が蘇った。役場の書記官のたった一人の補充試験の場で、京科は荊軻に出会っていたのだ。
奇縁だった。誰も法家のことなど知らぬ時から、荊軻は誠実な法家だった。不健康そうな青白い肌をしていた。何年も刀筆の吏(文書を司る官吏)になるために勉強を重ねてきたと言っていた。法が世を統べる。そんな主客の関係が存在することを京科に教えてくれたのは、あの荊軻だったのだ。

京科自身は官吏になるつもりなど毛頭なく、父親に言われるまま試験を受けに来ただけだった。父親の行商の手伝いをしていたおかげで、幼いころから読み書きと勘定はできた。とはいえ、その程度の知識では試験の内容は理解できない。試験は試験官の前で文書を読み上げ質問に答えるというものだったが、京科は頓珍漢な受け答えに終始して試験官たちに笑われながら退席することになった。
当然、試験には落ちたと思った。しかし、合格発表の場で名を呼ばれたのは、“ケイカ”だった。

“京科と荊軻”
同音の名のものが二人いたため、試験官が合格者の名を書き間違えたのだ。しかも、どういう訳か、“ケイカ”と読むが京科でも荊軻でもない別の名が記されていた。混乱した試験官たちは、いい加減な占卜に従って京科を採用することに決めてしまった。
京科にはわかっていた。お偉方が書き間違えただけで、その意中にあったのは荊軻の方だったことを。
きまりの悪さを押し隠しつつ家路につこうとしたとき、「アア、マッタク、残念ナコッチャ」という酷い衛訛りの声が聞こえてきた。荊軻だった。それがきっかけで、京科は荊軻と言葉を交わした。
荊軻は結果の不満は一切漏らさず、「私にはもう必要なくなった。きっと、これから君の仕事に役立つ」と言って竹簡の入った袋を押し付けてきた。それきり、二人が再会することはなかった。

竹簡には、文字に逐一指を添え、何度も読み返した跡があった。内容は、法家の師弟のやり取りだった。
京科が役場に勤め始めたころ、まだ、誰一人法家なんて知りはしなかった。そして、京科にも竹簡の字は読めても意味までは分からなかった。
そんなことくらい、荊軻にはわかっていただろう。荊軻が京科に竹簡を渡したのは、これから官吏となる京科に自分の知識を伝え、自分の代わりに活かして欲しいという純粋な気持ちからだったのだろう。仕事の経験を積み、知識が増えていくにつれて、京科にもきっと竹簡の意味が分かるようになる。そうやって、一人一人の精神に少しずつ法が染みつき、やがて大きな雲となって国全体を覆うだろう。そう信じていたのではないだろうか。

そんな男が、なぜ法を犯す凶賊に成り下がったのか。
この物語の主人公は、荊軻ではなく京科なので、そこのところははっきりしない。あくまでも京科という一凡人の知りえた事実と想像できる範囲から物語がはみ出ることはない。この辺の匙加減は巧みだと思う。主人公を愛し過ぎて、彼/彼女を超人化してしまう作家が時々いるが、万城目氏はそのような愚は犯してない。

企てが失敗に終わったにも関わらず、民衆は荊軻に熱狂した。
京科の同僚でさえ、荊軻の勇敢さを無意識のうちに認める発言をした。巷では「燕人刺秦」などという言葉で、その義挙が讃えられた。占卜の結果さえ違っていたなら、平凡な小吏として生涯を終えたであろう男は、匕首ひとつで大国と対峙する義士にまでなったのだ。

民衆の荊軻への熱狂ぶりは、続く「父司馬遷」の、市の広場で『荊軻刺秦』が演じられる場面にも描かれている。
人々は、荊軻が秦王に刃を向ける場面では興奮して声援を送り、荊軻の末期の言葉を聞くあたりではすすり泣く。そして、娘ということで父・司馬遷から学問を授けられなかった榮が、再会した父に初めて授けられた文が、「荊軻とは衛の人なり――」なのだ。

一体人々は、何を見ているのか?あの「アア、マッタク、残念ナコッチャ」と悲しげに呟いていた朴訥な法家の男はどこに行ってしまったのか?
卑小を純粋と讃え、蛮を義に取り違え、人々は新たな荊軻の物語を競って紡ぐ。法家がこれから生み出そうとする新たな世界を、彼らは全く見ようとしない。それは、彼らの荊軻がかつて目指した世界だというのに。

“お前の荊軻”
上役は過剰な諧謔の響きを載せて口にしたが、たしかに荊軻は京科の荊軻であった。京科にとって、荊軻は彼を別人に産み直した男だ。
荊軻から貰った竹簡を燃やしても、もう二度と荊軻の名を口にすることは無くても、荊軻の志を荊軻自身が踏み躙っても、荊軻が京科の出発点であることに変わりはないのだから。
今はまだ、あの男に産み落とされた一片の影に過ぎなくても。ケイカ、ケイカと叫ぶ自分の声が、自分を呼んでいるのか、あの男を呼んでいるのか分からなくても。京科の道は荊軻より先へ続く。

“お前はあの日、何も知らぬ俺に道を授けた。そして、お前はこの道を捨てた。”

“あと少しで、この世界は一つになる。せいぜいあの世で反省しろ。本当はお前が進むべきだった道の行方をしかと見届けろ。ときに苛烈に振る舞うことがあっても、法こそがこの世界を束ね、人々を公平に導く唯一の存在だと俺は信じている。この竹簡はお前に返す。もう、お前から続く道ではない。これからは、俺一人が進む道なのだ。”

世界を変えるのは火花の様に過激な義士ではない。彼らに出来るのは破壊活動だけだ。
新しい世界を創造し維持していくのは、歴史に名を刻むことの無い凡人たちの手だ。万城目氏の筆は、伝説となった義士ではなく、黙々と法文を記し続ける小役人の生き方を肯定している。「法家孤憤」とは、誠実に生きる凡人への賛歌なのだ。
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