川上和人著『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』
本書のテーマは、恐竜と鳥類の関係性を背景とした鳥類進化の再解釈と恐竜の生態の復元だ。著者の川上和人氏は、森林総合研究所主任研究員。普段は小笠原諸島に暮らす鳥類を中心に研究をしている鳥類学者である。
“鳥は恐竜から進化してきているので、その間は連続的であり、鳥と恐竜の違いをバッサリと分かつことはできない。鳥になる直前の恐竜は、すでに鳥っぽい特徴をもっていたであろうし、鳥になった直後の鳥は、まだ恐竜っぽい特徴を残していたと考えられる。しかし、いわゆる鳥と、いわゆる恐竜の間には、多くの相違点と共通点がある。(P84)
元恐竜大好き少女であり、これまで鳥類には然程興味がなかった私であるが、本書を読み終わった後には、恐竜と鳥類との意外なほどの共通点の多さと、似ていないところはまったく似ていない点に関心を持つようになっていた。
序章 恐竜が世界に産声をあげる
第1章 恐竜はやがて鳥になった
第2章 鳥は大空の覇者となった
第3章 無謀にも鳥から恐竜を考える
第4章 恐竜は無邪気に生態系を構築する
第1章は、生物学における種の認識と、恐竜と鳥類の具体的な関係についての概説。
種という概念と、生物の分類に対する考え方を確認してから、恐竜学では種はどのように語られているのか、また恐竜の子孫である鳥類の場合との差異はあるのかについての認識を深めていく。
言うまでもないが、恐竜は現生生物ではない。
恐竜学における種とは、形態から判断される種なのである。恐竜の種を定義するための情報は化石しかないのだが、化石からDNAを取り出すことにはまだ成功していない。化石から得られる判断材料は形態の情報だけだ。しかも丸々一体の骨格が綺麗に発見されることなど稀で、一部の骨の形態しかわからないという場合の方が多い。このため恐竜の種は、時代や各研究者の判断に大きく左右される。恐竜学の世界では別種と思われていたものが、のちに同種だとされることは珍しくないのだ。逆に同種とされている個体には本当は別種の可能性があるものも含まれている。
同じ種に対して、二つの名前が付けられてしまうことだってある。
私が子供時代にブロントサウルスという名で親しんでいた恐竜は、今はアパトサウルスという名がついている。別種だと考えられていたブロントサウルスとアパトサウルスが、実は同じ種だと考えられるようになったため、ブロントサウルスの名はなくなってしまったのだ。
このように恐竜学の世界においては、判断材料の乏しさゆえに、別種と考えられていたものが同種とされることは珍しい事ではないのだ。
例えば、トリケラトプスは頭のフリルなどの形がちがうことを根拠に、過去に十種以上のトリケラトプス属の恐竜が記載されていたが、最近では一種または二種にまとめられることが多い。別種とされていたトロサウルスもトリケラトプスのシノニムとする研究が発表されている。
また、ナノティラヌスは、ティラノサウルス・レックスの幼体である可能性が指摘されている。
鳥類にもツメバケイのように子供の時と大人になってからで大きく違った形態を示すものがある。また、オオタカやサイチョウ類の様に雄雌で異なる形態をもつ鳥もいる。我々が成鳥と幼鳥、雄と雌とを別種と見誤ることが無いのは鳥類が現生生物であるからで、これが化石からの判断では別種と考えてしまう可能性も低くはない。
化石の骨から種を判断することを難しくしている原因は何なのか。
それは、同種であっても生物には個体差があるからだ。性差、年齢差もある。種内の個体差が、種間の形態差よりも大きくなることは然程珍しくない。ある恐竜が骨の形態の似た別の恐竜と同種だったのか、あるいは別種だったのか。誰も生きている恐竜を見たことがないので、明確な基準に基づいた結論を出すことは困難だ。
恐竜学において認識される種とはあくまでも骨の形態が似ているものの集まりでしかないのだが、骨の形態も化石化する過程で変形することもある。恐竜学で使っている種とは現生生物を対象とした形態学的種概念とは別のものだと考えるべきなのだ。
それでは、鳥類と恐竜の類縁関係はいかにして明らかになったのか。
今でこそ、鳥類が恐竜起源だということは多くの研究者の共通認識になっているが、ここに至る道は平坦ではなかった。
恐竜と鳥類との関係を語るとき、一番に想起するのはシソチョウである。
シソチョウの化石は、1861年にドイツで発見された。シソチョウは、鳥類同様に羽毛を持つ一方で、爬虫類同様に骨のある尾と歯のある口を持つ。これが恐竜起源説の発端となる。
1868年、トーマス・ハクスリーは論文で、シソチョウと小型獣脚類コンプソグナトゥスの骨格が非常によく似ていることを指摘し、鳥と爬虫類が近縁であることを示唆した。直前の1858年に、ダーウィンが『種の起源』を発行している。『種の起源』では、系統的に近縁なグループの間には、中間の特徴をもった種がいるはずだと主張されている。
1870年には、ハクスリーは別の論文で、シソチョウと鳥脚類ヒプフォドンなどの骨との比較を行って、特に後肢の形態から、恐竜が鳥の祖先だろうと主張している。
しかし、鳥類に特徴的な叉骨が恐竜からは見つかっていなかったことから、その後100年ほど議論は停滞する。
1969年にジョン・オストロムが獣脚類ディノニクスを発表。
鳥と獣脚類では、手首の形態の共通する特徴があることを示し、獣脚類の恐竜が鳥の祖先だろうという主張を開始した。
叉骨問題は、恐竜から叉骨が見つかったことで解決した。
恐竜の叉骨は小さくて目立たなかったのだ。獣脚類ティラノサウルスでも、Ⅴ字型の叉骨が見つかり、この形状の叉骨が鳥になる前に進化したことも明らかになった。
シソチョウが見つかったのは約一億五千万年前の地層だが、最近では、シソチョウより古いジュラ紀後期の地層から発見されたアンキオルニスから羽毛が発見された。また、鳥類には近縁でない系統の種でも羽毛が見つかり始めており、様々な恐竜が原始的な羽毛を持っていたと考えられるようになってきている。
現生生物では、鳥だけが持つ気嚢システムを恐竜も持っていたと考えられる証拠も得るようになってきた。
白亜紀に生息していた獣脚類マジュンガサウルスにも、脊椎骨の形態から気嚢が存在していたと考えられているのだ。三畳紀に生息していた原始的な獣脚類タワ・ハラエも顎に気嚢を持っていたと考えられている。このため、気嚢は鳥類が進化するよりも古くから恐竜で進化してきたものと考えられるのだ。
恐竜からDNAを採取し、鳥と比較することにはまだ成功していないが、DNA以外の分子を用いた研究は行われている。ティラノサウルスの骨から抽出したコラーゲンを分析したものである。
コラーゲンはタンパク質の一種で、多数のアミノ酸を含んでいる。2007年に、このアミノ酸の配列を分析した結果、ティラノサウルスはワニやトカゲよりもニワトリやダチョウとの近縁であることが明らかになったのだ。
恐竜起源説の唯一の弱点となっていた、恐竜と鳥類の間の前肢の指を巡る大きな相違点についても、2011年に東北大学の田村宏治教授らの研究により解決された。
原始的な獣脚類ヘレラサウルスでは前肢の指が5本あったが、そのうちの第4,5指(薬指と小指)は退化し小型になっていた。より進化した獣脚類では、指が3本で、これらは退化せずに残った第1、2、3指と考えられていた。
一方、鳥の翼には退化した指の骨が3本ある。ニワトリの胚の発生を追跡した結果、これらは第2、3、4指(人差し指から薬指)であると考えられた。鳥が獣脚類から生まれたとすると、一度退化した第4指が再び現れて、第1指が退化するという複雑なイベントが生じなくてはならない。序章でも述べられているが、進化は「節約的」に考えることがルールとなっている。
田村教授らがニワトリの指の発生を追跡したところ、最初に第2、3、4指の場所で生まれた指の原型となる細胞が、途中でずれて第1、2、3指の位置に移動して指になることが分かったのだ。つまり鳥類の三本指も恐竜と同じ第1、2、3指なのである。
ここに、恐竜起源説に不利な最大の矛盾が解決された。恐竜起源説の浸透には、シソチョウ発見から実に150年もの時間がかかったのである。
系統関係が明らかになってくるにつれ、「鳥は恐竜である」という表現が使われるようになってきた。川上氏は、行動や生活を考えていく上では、むしろ「恐竜は鳥である」と指摘している。恐竜のことはわからないことだらけなのだから、鳥から類推するしかない。このことこそが、この本のテーマであり、ここから先への大前提なのだ。
川上氏の著作を読むのは初めてなので、これが氏のいつものスタイルなのかはわからないが、本書は序盤から脱線が多い。例えば、第2章Section1の記述。
“さて、鳥の体は、飛ぶためにできている。まずなによりも、翼がある。鳥の翼は前肢、すなわち人間でいえば腕に相当する部分だ。”
ここまでは普通である。しかし、この後妙な方向に話が展開する。
“天使の翼は、腕とは別に背中から生じているので、天使の翼と鳥の翼は別に起源を持つ器官だ。おそらく肩胛骨あたりが翼に進化した他人のそら似だろう。このように、似た機能をもつものが似た形態になることを「収斂」と呼ぶ。サモトラケ島で見つかった勝利の女神ニケの像には、腕がなく翼があるので、鳥の翼と同じかと思いこんでいた。しかし、あれは腕の部分が折れているだけらしい。調べてみると、人型有翼文化的生物、腕のかわりに翼をもつものかほとんどいない。天狗も迦陵頻伽もデビルマンも、腕と翼が両方ある。翼だけなのはせいぜいギリシャ神話の怪物ハルピュイアくらいだ。両方を欲する人間は実に貪欲である。”
天使だの天狗だのの翼の構造に興味を持ったことなんてなかった。挙句の果てにはデビルマンって…。しかし、言われてみれば腕と翼が同じ体に備わっている状態は、構造上ちょっと奇怪である。指摘されないと興味を持たないあたりが、凡人の凡人たる所以だが。
腕も翼もと、何でも欲しがるのは退行的進化とは正反対の欲求であり、この貪欲さが結局は種の進化の妨げとなるのだろう。
また、ヤブサメ(体長約10センチ、体重7~8グラム)は、チロルチョコと同じくらいの重さなんて指摘も楽しい(第2章Section4)。
ヤブサメは暖かい季節は名前通り藪の中を生息地としているのだが、冬季には海を越えて一千キロ以上移動する渡り鳥である。長距離飛行に適しているのは尖って長い翼だが、ヤブサメの翼は丸くて短い。死体だけを見たら、川上氏はこの鳥は長距離飛行をせず一生を藪の中で過ごす鳥と判断してしまうだろう、とのこと。
このようにちょくちょく脱線しつつも、その脱線をきちんと本筋に回収する話術はさすがである。
本書は2013年出版。
川上氏も述べているように恐竜学は日進月歩なので、2017年現在にはもはや古くなっている学説もあるだろう。また、川上氏独特の脱線癖が肌に合わない人もいるかもしれない。それらの点を考慮しても本書は読む価値のある一冊だと思う。恐竜目当てに本書を読み始めた私も、本書から鳥類学に興味を持ったくらいなのだから。
退化とは退行的進化という進化の側面の一つである。
鳥類はこの退行的進化に長けていた。翼竜の体は地上性爬虫類時代の痕跡を引きずっていたが、鳥類は過去を捨て去ることで飛翔に特化した体を得ることに成功し、大空の覇者となることが出来たのだ。
“ここで、敬意をこめて今までの認識を改めたい。鳥は「歯を失った」「腕を失った」「尾を失った」のではない。空を飛ぶために、むしろ「歯や腕、尾を捨てた」と表現されるべきである。鳥の体には、進化の歴史がぎゅうぎゅうにつまっている(P128)。”
この記述には胸が熱くなった。鳥類、カッコいい!
本書のテーマは、恐竜と鳥類の関係性を背景とした鳥類進化の再解釈と恐竜の生態の復元だ。著者の川上和人氏は、森林総合研究所主任研究員。普段は小笠原諸島に暮らす鳥類を中心に研究をしている鳥類学者である。
“鳥は恐竜から進化してきているので、その間は連続的であり、鳥と恐竜の違いをバッサリと分かつことはできない。鳥になる直前の恐竜は、すでに鳥っぽい特徴をもっていたであろうし、鳥になった直後の鳥は、まだ恐竜っぽい特徴を残していたと考えられる。しかし、いわゆる鳥と、いわゆる恐竜の間には、多くの相違点と共通点がある。(P84)
元恐竜大好き少女であり、これまで鳥類には然程興味がなかった私であるが、本書を読み終わった後には、恐竜と鳥類との意外なほどの共通点の多さと、似ていないところはまったく似ていない点に関心を持つようになっていた。
序章 恐竜が世界に産声をあげる
第1章 恐竜はやがて鳥になった
第2章 鳥は大空の覇者となった
第3章 無謀にも鳥から恐竜を考える
第4章 恐竜は無邪気に生態系を構築する
第1章は、生物学における種の認識と、恐竜と鳥類の具体的な関係についての概説。
種という概念と、生物の分類に対する考え方を確認してから、恐竜学では種はどのように語られているのか、また恐竜の子孫である鳥類の場合との差異はあるのかについての認識を深めていく。
言うまでもないが、恐竜は現生生物ではない。
恐竜学における種とは、形態から判断される種なのである。恐竜の種を定義するための情報は化石しかないのだが、化石からDNAを取り出すことにはまだ成功していない。化石から得られる判断材料は形態の情報だけだ。しかも丸々一体の骨格が綺麗に発見されることなど稀で、一部の骨の形態しかわからないという場合の方が多い。このため恐竜の種は、時代や各研究者の判断に大きく左右される。恐竜学の世界では別種と思われていたものが、のちに同種だとされることは珍しくないのだ。逆に同種とされている個体には本当は別種の可能性があるものも含まれている。
同じ種に対して、二つの名前が付けられてしまうことだってある。
私が子供時代にブロントサウルスという名で親しんでいた恐竜は、今はアパトサウルスという名がついている。別種だと考えられていたブロントサウルスとアパトサウルスが、実は同じ種だと考えられるようになったため、ブロントサウルスの名はなくなってしまったのだ。
このように恐竜学の世界においては、判断材料の乏しさゆえに、別種と考えられていたものが同種とされることは珍しい事ではないのだ。
例えば、トリケラトプスは頭のフリルなどの形がちがうことを根拠に、過去に十種以上のトリケラトプス属の恐竜が記載されていたが、最近では一種または二種にまとめられることが多い。別種とされていたトロサウルスもトリケラトプスのシノニムとする研究が発表されている。
また、ナノティラヌスは、ティラノサウルス・レックスの幼体である可能性が指摘されている。
鳥類にもツメバケイのように子供の時と大人になってからで大きく違った形態を示すものがある。また、オオタカやサイチョウ類の様に雄雌で異なる形態をもつ鳥もいる。我々が成鳥と幼鳥、雄と雌とを別種と見誤ることが無いのは鳥類が現生生物であるからで、これが化石からの判断では別種と考えてしまう可能性も低くはない。
化石の骨から種を判断することを難しくしている原因は何なのか。
それは、同種であっても生物には個体差があるからだ。性差、年齢差もある。種内の個体差が、種間の形態差よりも大きくなることは然程珍しくない。ある恐竜が骨の形態の似た別の恐竜と同種だったのか、あるいは別種だったのか。誰も生きている恐竜を見たことがないので、明確な基準に基づいた結論を出すことは困難だ。
恐竜学において認識される種とはあくまでも骨の形態が似ているものの集まりでしかないのだが、骨の形態も化石化する過程で変形することもある。恐竜学で使っている種とは現生生物を対象とした形態学的種概念とは別のものだと考えるべきなのだ。
それでは、鳥類と恐竜の類縁関係はいかにして明らかになったのか。
今でこそ、鳥類が恐竜起源だということは多くの研究者の共通認識になっているが、ここに至る道は平坦ではなかった。
恐竜と鳥類との関係を語るとき、一番に想起するのはシソチョウである。
シソチョウの化石は、1861年にドイツで発見された。シソチョウは、鳥類同様に羽毛を持つ一方で、爬虫類同様に骨のある尾と歯のある口を持つ。これが恐竜起源説の発端となる。
1868年、トーマス・ハクスリーは論文で、シソチョウと小型獣脚類コンプソグナトゥスの骨格が非常によく似ていることを指摘し、鳥と爬虫類が近縁であることを示唆した。直前の1858年に、ダーウィンが『種の起源』を発行している。『種の起源』では、系統的に近縁なグループの間には、中間の特徴をもった種がいるはずだと主張されている。
1870年には、ハクスリーは別の論文で、シソチョウと鳥脚類ヒプフォドンなどの骨との比較を行って、特に後肢の形態から、恐竜が鳥の祖先だろうと主張している。
しかし、鳥類に特徴的な叉骨が恐竜からは見つかっていなかったことから、その後100年ほど議論は停滞する。
1969年にジョン・オストロムが獣脚類ディノニクスを発表。
鳥と獣脚類では、手首の形態の共通する特徴があることを示し、獣脚類の恐竜が鳥の祖先だろうという主張を開始した。
叉骨問題は、恐竜から叉骨が見つかったことで解決した。
恐竜の叉骨は小さくて目立たなかったのだ。獣脚類ティラノサウルスでも、Ⅴ字型の叉骨が見つかり、この形状の叉骨が鳥になる前に進化したことも明らかになった。
シソチョウが見つかったのは約一億五千万年前の地層だが、最近では、シソチョウより古いジュラ紀後期の地層から発見されたアンキオルニスから羽毛が発見された。また、鳥類には近縁でない系統の種でも羽毛が見つかり始めており、様々な恐竜が原始的な羽毛を持っていたと考えられるようになってきている。
現生生物では、鳥だけが持つ気嚢システムを恐竜も持っていたと考えられる証拠も得るようになってきた。
白亜紀に生息していた獣脚類マジュンガサウルスにも、脊椎骨の形態から気嚢が存在していたと考えられているのだ。三畳紀に生息していた原始的な獣脚類タワ・ハラエも顎に気嚢を持っていたと考えられている。このため、気嚢は鳥類が進化するよりも古くから恐竜で進化してきたものと考えられるのだ。
恐竜からDNAを採取し、鳥と比較することにはまだ成功していないが、DNA以外の分子を用いた研究は行われている。ティラノサウルスの骨から抽出したコラーゲンを分析したものである。
コラーゲンはタンパク質の一種で、多数のアミノ酸を含んでいる。2007年に、このアミノ酸の配列を分析した結果、ティラノサウルスはワニやトカゲよりもニワトリやダチョウとの近縁であることが明らかになったのだ。
恐竜起源説の唯一の弱点となっていた、恐竜と鳥類の間の前肢の指を巡る大きな相違点についても、2011年に東北大学の田村宏治教授らの研究により解決された。
原始的な獣脚類ヘレラサウルスでは前肢の指が5本あったが、そのうちの第4,5指(薬指と小指)は退化し小型になっていた。より進化した獣脚類では、指が3本で、これらは退化せずに残った第1、2、3指と考えられていた。
一方、鳥の翼には退化した指の骨が3本ある。ニワトリの胚の発生を追跡した結果、これらは第2、3、4指(人差し指から薬指)であると考えられた。鳥が獣脚類から生まれたとすると、一度退化した第4指が再び現れて、第1指が退化するという複雑なイベントが生じなくてはならない。序章でも述べられているが、進化は「節約的」に考えることがルールとなっている。
田村教授らがニワトリの指の発生を追跡したところ、最初に第2、3、4指の場所で生まれた指の原型となる細胞が、途中でずれて第1、2、3指の位置に移動して指になることが分かったのだ。つまり鳥類の三本指も恐竜と同じ第1、2、3指なのである。
ここに、恐竜起源説に不利な最大の矛盾が解決された。恐竜起源説の浸透には、シソチョウ発見から実に150年もの時間がかかったのである。
系統関係が明らかになってくるにつれ、「鳥は恐竜である」という表現が使われるようになってきた。川上氏は、行動や生活を考えていく上では、むしろ「恐竜は鳥である」と指摘している。恐竜のことはわからないことだらけなのだから、鳥から類推するしかない。このことこそが、この本のテーマであり、ここから先への大前提なのだ。
川上氏の著作を読むのは初めてなので、これが氏のいつものスタイルなのかはわからないが、本書は序盤から脱線が多い。例えば、第2章Section1の記述。
“さて、鳥の体は、飛ぶためにできている。まずなによりも、翼がある。鳥の翼は前肢、すなわち人間でいえば腕に相当する部分だ。”
ここまでは普通である。しかし、この後妙な方向に話が展開する。
“天使の翼は、腕とは別に背中から生じているので、天使の翼と鳥の翼は別に起源を持つ器官だ。おそらく肩胛骨あたりが翼に進化した他人のそら似だろう。このように、似た機能をもつものが似た形態になることを「収斂」と呼ぶ。サモトラケ島で見つかった勝利の女神ニケの像には、腕がなく翼があるので、鳥の翼と同じかと思いこんでいた。しかし、あれは腕の部分が折れているだけらしい。調べてみると、人型有翼文化的生物、腕のかわりに翼をもつものかほとんどいない。天狗も迦陵頻伽もデビルマンも、腕と翼が両方ある。翼だけなのはせいぜいギリシャ神話の怪物ハルピュイアくらいだ。両方を欲する人間は実に貪欲である。”
天使だの天狗だのの翼の構造に興味を持ったことなんてなかった。挙句の果てにはデビルマンって…。しかし、言われてみれば腕と翼が同じ体に備わっている状態は、構造上ちょっと奇怪である。指摘されないと興味を持たないあたりが、凡人の凡人たる所以だが。
腕も翼もと、何でも欲しがるのは退行的進化とは正反対の欲求であり、この貪欲さが結局は種の進化の妨げとなるのだろう。
また、ヤブサメ(体長約10センチ、体重7~8グラム)は、チロルチョコと同じくらいの重さなんて指摘も楽しい(第2章Section4)。
ヤブサメは暖かい季節は名前通り藪の中を生息地としているのだが、冬季には海を越えて一千キロ以上移動する渡り鳥である。長距離飛行に適しているのは尖って長い翼だが、ヤブサメの翼は丸くて短い。死体だけを見たら、川上氏はこの鳥は長距離飛行をせず一生を藪の中で過ごす鳥と判断してしまうだろう、とのこと。
このようにちょくちょく脱線しつつも、その脱線をきちんと本筋に回収する話術はさすがである。
本書は2013年出版。
川上氏も述べているように恐竜学は日進月歩なので、2017年現在にはもはや古くなっている学説もあるだろう。また、川上氏独特の脱線癖が肌に合わない人もいるかもしれない。それらの点を考慮しても本書は読む価値のある一冊だと思う。恐竜目当てに本書を読み始めた私も、本書から鳥類学に興味を持ったくらいなのだから。
退化とは退行的進化という進化の側面の一つである。
鳥類はこの退行的進化に長けていた。翼竜の体は地上性爬虫類時代の痕跡を引きずっていたが、鳥類は過去を捨て去ることで飛翔に特化した体を得ることに成功し、大空の覇者となることが出来たのだ。
“ここで、敬意をこめて今までの認識を改めたい。鳥は「歯を失った」「腕を失った」「尾を失った」のではない。空を飛ぶために、むしろ「歯や腕、尾を捨てた」と表現されるべきである。鳥の体には、進化の歴史がぎゅうぎゅうにつまっている(P128)。”
この記述には胸が熱くなった。鳥類、カッコいい!