青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

千両、万両2017

2017-12-11 07:07:25 | 日記

我が家のわんにゃんシッポ隊。左から桜、柏、蓬、凜。
寒さが増して、ますます仲良し。串団子のようにくっついています。私も入隊したい。






今年も我が家の千両、万両の実が色づきました。
千両は赤・黄とも、敷地のデッドスペースに植えているので写真が撮りづらかったです。花壇の土を踏まないように、縁に足をかけて屈伸運動みたいなポーズで撮影していたら、後ろから娘に「お母さん、馬鹿っぽいよ」と言われてしまいました。

それはともかく、二十四節気の大雪を迎え、我が町も一日の最低気温が5℃を切るようになりました。耐寒性の低い植物の鉢は室内に取り込みましたよ。
おもてに冬花の鉢をいくつか置いていますが、それでも庭や玄関まわりが一気に寒々しい印象になりました。

そんな中で、鮮やかな色の実をつける千両、万両には救われています。
赤い千両は、去年は剪定に失敗して実が付かなかったので、二年ぶりに見る赤い実に喜びもひとしおです。

室内に取り込んだ鉢はなるべく二階に上げているのですが、ブーゲンビレアの鉢は大きすぎて、枝を半分くらい剪定しても階段の踊り場を曲がれないので、仕方なく一階に置いています。
もう取り込む前から解っていたことですが、取り込んですぐに、蓬と柏が枝にぶら下がって鉢を倒してくれました。柏に至っては、ブーゲンビレアの葉っぱをモグモグしてゲロまで吐いてくれましたよ…猫って奴は。二匹は生後九ヶ月、ヤンチャ盛りですね。

もうすぐクリスマスですが、今年は蓬と柏の悪戯が激しいので、室内の飾りつけは諦めました。玄関にリースだけ出しています。
猫は仔猫より成猫の方が可愛いですね。
来春で七歳になる桜は、毛皮の色が少し褪せて、動作もお年寄りっぽくなってきましたが、気心が知れていてしみじみ可愛いと思いますよ。
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犬猫、ヒーターに群がる

2017-12-07 07:04:07 | 日記





我が家の犬猫、凜、桜、蓬、柏。
毎朝、ヒーターの点火音を聞くと、温風の吹出し口にノソノソと群がります。我が家の一番良い場所は彼らのものです。


桜はヒーターの上にも乗ります。お尻があったかい。
後ろの水槽が青いのは、金魚たちが薬浴中だからです。
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ヒトはなぜヒトを食べたか―生態人類学から見た文化の起源

2017-12-04 07:02:28 | 日記
マーヴィン・ハリス著『ヒトはなぜヒトを食べたか―生態人類学から見た文化の起源』

原題は『CANNIBALS AND KINGS The Origins of Cultures』だが、カニバリズムについて述べられているのは一章くらいで、副題の方が本書の内容をよく表している。

コスト=ベネフィットという観点から、女児殺しや戦争がバンドや村落における人口調整手段となった過程、女性が男性に従属するようになった過程、いくら懸命に働いても見返りがごくわずかだった者が最小の労働で最大の見返りを得るにいたった過程、供犠の肉が禁断の肉となった過程などを考察し、文化様式が現在のように出来上がったわけを解き明かしていく。

本書はプロローグとエピローグを除くと15章に分かれている。
以下の各章で示すように、諸文化の進化の経路は、生産、再生産、生産強化、資源枯渇の諸過程についての知識をもってすればだいたいは予測できる、と言うのがハリスの主張だ。


プロローグ
1文化と自然
2エデンの園の殺人
3農耕の起源
4戦争の起源
5タンパク質と獰猛な人びと
6男性優位とエディプス・コンプレックス
7第一次国家の起源
8コロンブス以前のメソ・アメリカにおける諸国家
9食人王国
10慈悲の小ヒツジ
11禁断の肉
12聖なる雄ウシの起源
13垂直利用の落とし穴
14資本主義の起源
15産業社会の泡
エピローグ、および道徳に関する独白


“再生産の圧力、生産の強化、環境資源の枯渇が、家族組織、財産関係、政治経済、食事の嗜好や食物禁忌を含む宗教的信仰などの進化を理解する鍵となる”

人間は行為の型を選択する際、その直接的なコスト=ベネフィットを計算したうえで試行し決定する、と言うのが文化決定論者としてのハリスの主張である。農耕、経済、習俗、宗教、国家形態など、人類の生産様式・再生産様式がそのように発展したのは、その選択によってコストを上回るベネフィットを得られるから、という訳だ。

興味深い見解だし、それなりに真理をついてはいると思う。
たとえば、我が国の少子化がちっとも解消されないのは、コスト=ベネフィットの見解からすれば、単純明快だ。子供を育てるコスト(主に教育費)が、ベネフィットを有り得ないほど大きく上回っているからである。
本書の内容で言えば、メソ・アメリカで日常的に生贄の儀式が行われたのは、生贄にされた人間の死体が貴重なタンパク源だったからとか、イスラム教で豚肉を食べることが禁忌になったのは、砂漠地帯での豚の飼育がハイコストだから、という主張も、そうだろうね、と納得できる。

しかし、その一方で、人間の思考や文化はそこまで単純なものでもないとも思う。
ハリスは、自由意志や道徳的選択は、社会生活の体系がこれまで進化してきた方向に、事実上何の重大な影響も与えて来なかった、と考えている。個人の思考と行動は常に文化的および生態学的な拘束と機会によって導かれ、こうして導かれる方向を決定するのは、主として連続的に表れる生産様式・再生産様式である、とも述べている。

私は信仰心を持ち合わせてはいないし、特別にヒューマニストという訳でもない。コスト=ベネフィットと言う損得勘定に拠ってすべての行為を選択できるのなら、寧ろこの世界はもっと単純明快、平和になって良いかもしれない、とすら思っている。
私がハリスの主張を面白いと思いつつも、些か抵抗を覚えたのは、あらゆる文化現象や国家・バンドを行動決定論の立場から分析しようとするあまり、各領域に固有な法則性を軽視しているよう感じたからだ。原著の出版が1977年、日本での初版が1990年とかなり古いのに、日本ではこの本の名があまり知られていないことからも(他国でどうかは知らない)、ユニークだけど諸手を挙げて賛同できる内容ではないな、と感じた読者が多かったのではないかと考えている。

人類の文化様式・生産様式を語るうえで、コスト=ベネフィットは重要な鍵であるという点には賛同しつつも、それだけでは取りこぼしてしまうものがいくつもあるだろう、というのが本書を読んだ私の感想だ。ハリスが懐疑的な見解を示しているフロイト流の理論など、鍵は他にいくつもあるはずだ、と思うのは私の精神が感傷主義に侵されているからだろうか。

それと本書のテーマから少しずれるが、温暖多雨で食の豊富な地域に生まれた私たち日本人の先祖は幸運だったのだな、なんてこともノホホンと思った。他人を押しのけ、血眼になってタンパク質(人肉も含めて)を追い求める必要が無かったのだから、情緒的にもなるだろう。本書で描かれているような食をめぐる仁義なき戦いが、半ば別世界の出来事としか思えないのだ。日本人ならではの譲り合い精神もこういう非ハングリー精神に基づいているのかもしれない。
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