足利学校の創建については平安初期に小野篁が創建したという説。
鎌倉初期に足利義兼が創建した説。室町中期に上杉憲実が創建した説。
どれが正しい説であるかは現在も解明されていません。
足利学校の歴史が明らかになるのは室町時代中期で
上杉憲実が関東管領になると学校を整備し、書籍の寄進や庠主(校長)を
招き入れ、学生の養成をしました。16世紀の初頭には生徒は三千人を数え、
フランシスコ・ザビエルによって海外にも紹介されました。
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鍐阿寺=ばんな寺(大日様)
源姓足利氏2代目義兼が建久7年(1196)邸内に持仏堂を建て、守り本尊として
大日如来を祭ったのが始まりと言われています。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40, 000㎡あり
鎌倉時代の武家屋敷( 平城) の面影を今に伝えており、 大正11年3月
「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されています。いずれもHPより抜粋
境内の二重塔などを紅葉とともに撮ってみました。
マウス二枚です。
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祭りの街に足利銘仙を用いた着物姿が多く嬉しく思いました。
(昔は足利の街は織物の町として栄えていました。)
マウスしますと変わった和服の着方をした姿の女性です。
このような事も新発見の様で楽しいですね。
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≪八木節は、安来節、佐渡おけさと並び「日本三大民謡」と言われています≫
隣の群馬県の民謡と言われる事もありますが本当は足利が発祥地です。
例弊使街道の宿場『八木宿』(現在:福居町)で、江戸末期から明治初期にかけて
遊女の間で歌われていた『くどき節』(テンポの遅い歌)を、
初代堀込源太(本名:渡辺源太郎)が
荷馬車を引きながら早口に唄い替えたものが八木節です。
子供の頃は少しも良いと思わなかった民謡ですが今は懐かしい・・・
(写真をクリックしますと八木節のメロディが流れます。再クリックでとまります。)
(画像はHPからお借りしました。)