『 冬の海岸 』
コロナの2年目も、もう師走だ。
幾ら何もしない私でも、周りの所為か何かと気忙しくなる。
今月は特に大仕事の年賀状書きと言う作業がある。今でも200枚位の遣り取りだが、
それでも欠礼や年とったので賀状止めますの通知で年々大分減っては来ている。
私も賀状書きはいささか億劫にはなっては来たが(年に一度くらい互いの安否を確認したり、
挨拶や昔のお礼を忘れずに感謝の気持ちを表す位は礼儀だと思い軽々に止めるなんてしないぞ、
と思ってきた)、何もなく突然止めると、知人方は正月早々から「どうしたのだ、彼もとうとう
死んだかな」と思われるだろう。それも正月早々に何だから今年も頑張って書くしかあるまい。
或る人から或る日、TELがあって「元気?」の次に「ピンポンまだやっているの?」と言われた。
思わず苦笑。私の体調など知る人はそう思うらしい。
しかしまだピンポンを続けているのは、何としても続けなくてはと言う気持ちがまだ少しは残って
いるからである。
もし、このピンポンが無かったらどうなるだろうかと想像してみる。
1週間毎日ぼうっとして何もなく全く虚しく過ぎてしまうことだろう。
そして確実に言えるのは、運動の「ウ」の字もしなくなることだ。
週一とは言え、例え休み休みの2時間であっても、これが私の最低限の肉体を支えて呉れている
ような気がする。足腰の弱り、ポッチャリ腹の防止とか冠動脈の維持などにも何がしかは役立って
いると信じている。
そして更にそれ以上に大きいのは、週に1日でも計画や予定があるという事は心の張りになるもので、
何も無くなったらと思うとますますぼっとしてしまうだろう。
そして人と話を交わしたり笑い合うそして楽しいと感じることで、脳に爽快な刺激を受けているはずだ。
こう考えると、心身共に衰えをめっきり覚える最近だが、それでも今のこの程度でも生きて居れるのは
ひょっとするとピンポンのお陰じゃないかとさえ思っている。
私と同年輩で(体調のことで)残念ながらこの間、青鳩を退会した真弓さんは毎日どうしている
だろうと、余計なお世話だと叱られそうだがふと気になる事がある。
彼のことだから毎日海岸を散歩やら、エレベーターを使わず階段で5階から降りたり昇ったり、
新聞を隅から隅まで読んでは政治を怒って脳を刺激はしているだろう。
でも……と心配になる。どうか気を付けて元気にしていて欲しいものだ。
さぁ、そろそろ年賀状書きに重い腰をあげようか。その前に賀状に使う絵を描かなくてはならない
から大変だ。