『庭の小さな花シリーズー(10/10)』
ここ数日、腰が痛くてまともに歩けない位だった。昨日辺り少しは軽くなったが、とても幾ら
老人ピンポンでもダメそうで見学だけにしようと覚悟していた。
しかし不思議なことに4日目の今朝はだいぶ楽になった。床に落ちた球は拾えないけれど、
立ったままでショート打ちに徹すれば出来そうだった。
前に何度も同じことがあった。ピンポンの神様が私に運動させよう、体を動かすようにとして
呉れているようにさえ思える。
朝方は寒い位だったが、天気が良く午後にはしっかり暑くなった。
午後からの公民館へ12人の参加だった。
先週はサザンの混雑を理由に休んでしまった。今日が85歳の初めてのピンポンだったが、特に
調子が悪くも良くもなく相変わらずの典型的な自己流の老人ピンポンだ。
2週間もラケットを握らずにいたのに、少しもいつもと変わらないのが、我々のピンポンの
強みであり特徴なのだろうか。
昔の愛ちゃんなんか、3日もやらないと調子が戻るのに1週間は掛かると言っていたのに、我々
のピンポンは便利でそして何と強いものなのだ。
私の最近の体調不良は、この間も書いたが服用している何種にもなる薬の所為かも知れないが、
もう一つ大きな原因であるのが。何人も逃れることのできない厳粛にして絶対的な生けるものの
宿命、老化現象という事実だろう。
これは先日、循環器の先生に「貴方は若い積りでいるのでしょうが、年配者なのですよ! 誰でも
体のいろいろが、心臓も含めて硬くなっているのですよ!」
と言われたことが強く心に残っていて、こんなことを特に考えたのかも知れない。
そこで年を取るというという事の体や心に与える影響について少し考えてみたいと思った。
自分で納得と諦観を得るためにもそう思った。
同時に他の要因として自律神経のアンバランスとか気の持ち様などの心の問題そして生活態度習慣
(運動不足、暴飲暴食,偏食とか)なども不調に関係しているのかも知れない。
そんなことを含めてこれから機会ある毎に、老いという現象を見つめ直してみようと思っている。
10月の日記には何回かにでも分けて考えてみよう。
今日はいざ出掛けようという時に、バッテリー上がりでエンジンは掛からずで
急遽自転車になって遅刻したのだが、これは来月から自転車になるとなかなか苦しいぞと思った。