『 山下公園の黄葉 』
岡田 勉さん 撮影
相変わらずイスラエルが攻撃しハマスが反撃、互いに罵り合うという図式が続いている。
どうもどちらが悪でどちらが善かと決めつけられる程、単純なことではないようだ。
何百年にわたる虐待、流血,放浪といった悲劇が、民族意識と宗教の違いといったことと
交錯して、互いに幾ら時が経っても消えることのない憎しみ、怒り、報復の感情が育ち、
双方に深く沈殿してしまったのだろうか。
そうした感情の機微は、単一民族で陸上に国境線を持たない島国民族の我々には分かり難い
感情なのだろう。
あの当時あまり関心もなかったのでうろ覚えなのだが、中学校の社会科で習ったのは、イスラエル
(ユダヤ人)は欧州(ドイツ他に)で迫害された流浪の民で気の毒な民族という認識だった。
戦後イスラエルが建国された時、その地の先住民族だったアラブ人(パレスチナ)がそこを追われた。
そしてそれから何十年かして彼等はパレスチナ自治地区として安住の地を得たというストーリーだった
ような気がする。この程度の知識しかないのだが、両国の互いのあの憎しみぶりを見ていると、
昔虐められてきた血が騒ぎ理性を超えて今度は相手を虐めるという構図なのかもしれない。
気の毒な歴史である。
現代の我々の世界で、親にいじめられて育った子が、やがて自分の子を虐めるというケースが多く見られる
そうだが、なんだかこのケースに類似しているような気がして仕方がない。哀れな悲しいことである。
そんな連鎖を断ち切れるものは一体何なのだろうか。