「私のいつもの夕食」
毎晩の夕食とは冗談で、これはもう何年前になるか
絵の仲間でスケッチ旅行の時のメニューです。
何時になったら又皆で楽しいあんな宴をやれるのだろうか。
東京都だけで自宅待機者が2万8千人を超えているという。
その人達は訪問治療とか観察や、保健所からの定期的な繋ぎのある人は僅かで、
大半の人は放置され苦しみながらただ寝ているだけだという。
これでは無医村ならぬ無医都市であり国家である。砂漠の真ん中に1人で住んで
いるようなものである。
今回で保健所というものの、脆弱さ無力さ(人員が少ない事に起因するが)体制の
矛盾と不備が目立ち、これは終息の暁には一旦解体して作り直すか大改良することだ。
人員も大幅増員して(融通も利かせられる様に)、本来の役目を全う出来る組織に作り
替えるべきだ。食中毒では颯爽と活躍しているが、疫病などに対しても機能出来る
しっかりした体制に作り直すのが急務だ。
それと日本の「掛かり付け医」と言う認識を変えるべきだ。
ドイツなどの制度を見習い大きく見直す必要があるのも露呈してしまった。彼等は軽い病気
や慢性病の老人だけを見て(厄介な患者は直ぐ大病院に廻し、いざとなると責任を押しつけると、
これは現に私が大病院の医師から聞いた事である)、ぬくぬくと太っているのではなく、
自分の患者に対して何処までやれるかやるかと言う意識改革をしなければならない。
例えば今の自宅待機者に対して、町の医者の出番はないのか、積極的にPCRやワクチンを
やれないのか。不自由者には訪問してやれないのか。
こうした事を町医者に促す様なシステムを構築しなくては、幾ら日本は医院が多いと自慢を
しても意味はない。ここは「医は仁術なり」の昔に戻って考えて欲しいものだ。
酸素供給センターとか混合カクテルとか3回目のワクチン、中等患者収容の大規模施設とか
の言葉が飛び交いだしたが、一刻も早く実現して欲しい。
横浜の選挙で負けた首相では、もうその力はないのだろうか。
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