いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。
ルカの福音書 12章 23節
それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。
では、信仰を持てばその段階で愚かさと決別できるのでしょうか。残念ですが、それは 「 否 」 です。クリスチャンであるキリスト者も、愚かになり得るのです。その場合の愚かさとは、思い煩い、または心配という形で現れます。このことは主を絶対的に信頼していない証拠でもあります。あの信仰の偉人である、ウェスレーは 「 何はともあれ、あなた方は、神の国を求めなさい 」この原則を適用して祝福を得た一人でした。