「 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」
イザヤ 46章 4節
マザー・テレサがこのように言っていました。
「今日の最大の病気は、ライでも結核でもなく、自分はいてもいなくてもいい、誰もわかってくれない、みんなから見捨てられていると感じることである。最大の原因は、愛の足りないこと、神から来るような愛が足りないこと ・・・ 」
背負う神と、背負われる神。人が背負わなければならないのが世の神々であり、人の重荷を背負われるのが真の神。
母親はどんなにその子を愛していても、いつか子供から離れないわけにはいかないが、永遠に生きておられる主はいつまでも、そして危機だけの時だけでなく、いつも親の働きを止めることなく、私たちを背負い担うと約束されました。何故なら神は愛だからです。それもあなた一人を目に入れても痛くないというほどにあなたを愛しておられます。
かつて「ビタミン愛」という本が出されました。ビタミンが人間の体に必要であると同様に、愛も不可欠なものです。ビタミンが欠乏するとビタミン欠乏症になります。同様に。「愛」が欠乏すると「自分はいてもいなくてもいい存在だ」と感じるようになります。イエス様は私たちが年老いて白髪頭になり歩みもおぼつかなくなっても私たちを背負い続けると言われました。
ただ、最後にこの愛は私たち自身には決してありません。愛の神から供給されなければ私たちにはすぐ隣人さえ心から愛することはできないのです。あなたはこの愛に出会いなさいましたか。もしまだと言われるのなら、どうぞ聖書を読み近くの教会へ足を運んでいただきたい。