「それは、偽ることのない神が、永遠の昔から約束してくださった永遠のいのちの望みに基づくことです。」
テトス 1 章 2節
信仰とは、意志を働かせることによってまだ見ぬ将来の出来事を確信できる力を生み出してくれる魔法の力ではありません。
信仰とは、神の約束を現実のものとしてとらえ、それが真実であると信じ、それを知っていることを喜び、
神がそう言われたことで心からの安らぎを得るものです。
「 もっと信仰を与えてください 」 と言う祈りをよく耳にします。しかし注意深く聞き、その祈りの本質にある者は何かと考えてみると、
彼らは、信仰がさらに加えられるようにと望んでいるのではないことに気づきます。
彼らの望みは、信仰が目に見える現実へと変えられることなのです。
信仰は 「 これは私にとって益なのでしょうか。神から送られたものに違いありませんから 」 と言うのではなく、
「 神から送られてきたものですから、私にとって益になるに違いありません 」 と宣言するのです。
神と共に闇の中を歩いている時、ただ 「 しっかりと手を握ってください 」 と神に願うのが、信仰なのです。
飼い主なるお方は 「 あなたの信仰を信用しなさい 」 とは言われない。
ただ 「 神を信用していなさい 」 と言われる 「 私のもとに来なさい 」 と言われるとき
光の中でも闇の中でもみ旨を行うことを願い 信仰の働きについては イエスに委ねるように求めておられます。
聖書から
「なるほど、多くの神や、多くの主があるので、神々と呼ばれるものならば、天にも地にもありますが、
私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、
私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、
すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。」
Ⅰコリント 8:5 ~6