「 わたしはまたその地に平和を与える。あなたがたはだれにも悩まされずに寝る。
わたしはまた悪い獣をその国から除く。剣があなたがたの国を通り過ぎることはない。 」
レビ記 26章 6節
古代ローマの人々の間では 「 汝が平和を欲するなら、戦争の備えをせよ 」 ということわざが、しきりに語られ、実際に
地中海にまたがる一大軍事帝国を建設しました。世界中の国々も同じようにしていたのですが、それによっては平和は生まれな
かったのです。
このことは現代の国々にも言えることではないでしょうか。力さえあればと、また、抑止力として他の武器を持つことによって
自国の平和を維持しょうとしています。この平和は、自分だけという平和という上に成り立っています。
ところがこのレビ記では、「 もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行なうなら、
わたしはその季節にしたがってあなたがたに雨を与え、地は産物を出し、畑の木々はその実を結び、 あなたがたの麦打ちは、
ぶどうの取り入れ時まで続き、ぶどうの取り入れ時は、種蒔きの時まで続く。あなたがたは満ち足りるまでパンを食べ、
安らかにあなたがたの地に住む。 」 レビ 26:3 ~ 5 とあります。
すなわち、神のみ言葉に従うとき、神は雨を与えて地は産物を出し、また国に平和を与えるので、恐れさすものはないというのです。
だから、神の言葉に従うよりも、衣食住の問題について思い煩ったり、どこかの国が攻めてくるのではないかと恐れて、
戦争の準備に心奪われるなら、本末転倒ではないしょうか。
聖書から少し
「神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。 」 詩編 1:6
「神に従う人は七度倒れても起き上がる。神に逆らう者は災難に遭えばつまずく。」 箴言 24:16
「神に従う者の行く道は平らです。あなたは神に従う者の道をまっすぐにされる。 」 イザヤ 26:7
「 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 だから、明日のこと
まで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」 マタイ 6:33~34