マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

学びました

2017年01月06日 | キリスト教

「 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」

                                            詩編 119篇 71節

万物が成長を止める冬こそ、土壌にとっては安息の時であり、その間に来年の目覚ましい活躍のための復活の力が

蓄積されるのです。実にいきとどいた神の愛の御配慮ではないでしょうか。

私たちはこの寒い冬の中にあっても、なおその中に秘められた神の愛のみ心を悟って、

この寒い冬のためにも感謝することを学びたい。

とひろで自然界に冬が来るだけでなく私たちの人生にも冬があります。時には花咲く順調な春もあるでしょう。

あるいは額に汗して労する勤労の夏もあるでしょう。成功の実を楽しむ収穫の秋もあるでしょう。

しかし、また日の光さえ見えない逆境の冬も何回となく回ってくるのです。

自然界の冬を与え、草木のために配慮し、人間のために最善の取り計らいをしてくださる神は逆境の中にも、

必ず恵みを備えてくださると言うことを学びたい。

ヘブル  12:10 ~11

「なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」

 

あなたが心身とも健康で満たされていれば、神の教えなど不必要だと考えることでしょう。だから苦しみが必要なのです。

ただ、神の教えを受け入れるのに、別に苦しむ必要はありません、

けれども、自分が苦しまなかったら、この神の教えに聞き入ることはしなかったことでしょう。

痛み苦しみ艱難はあなたを清め神に近づけることでしょう。もし神に行かねば、それは永遠に続く痛みであり不安なのです。

 

 

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