「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」
マタイ 5章 9~10節
キリストは、「心の貧しい人、悲しむ人、正義に飢え渇く人、平和のために働く人、正義のために迫害される人、
キリストのために人からののしられ、責められ、数々の悪口を言われる人」が「幸せである」と言っています。
キリストの言う「幸せな人」は、過去に満足している人ではなくて、
前向きな姿勢で理想をもって、努力している人たちです。また今の自分の人格に満足してしまったり、
あきらめたりするのではなくて、常に理想を目指して、自ら鞭打って努力することが人間として
本当に生きているという事なのです。
自分は他人に迷惑をかけていると気づく人、直そうと思ってもなかなか直せなく、
人格の至らなさを悲しむ人が「幸せな人」なのです。
日本で最初の迫害による殉教は、1597年2月5日、豊臣秀吉により処刑された26名の信徒であった。
殉教者は後にカトリック教会により、聖人の列に加えられ「日本二十六聖人」に叙されている。
これ以後日本ではキリスト教に対する迫害が苛烈となり、キリスト教徒でありたければ、
迫害は覚悟のうえでという時代が続いた。義とは神の前での正しさである。
信仰を貫き信仰のゆえに迫害された人々は、天国に迎え入れられるのである。