マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

平和のもと

2020年01月24日 | キリスト教

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」
                       

                              マタイ 5章 9~10節

 

キリストは、「心の貧しい人、悲しむ人、正義に飢え渇く人、平和のために働く人、正義のために迫害される人、

キリストのために人からののしられ、責められ、数々の悪口を言われる人」が「幸せである」と言っています。

キリストの言う「幸せな人」は、過去に満足している人ではなくて、

前向きな姿勢で理想をもって、努力している人たちです。また今の自分の人格に満足してしまったり、

あきらめたりするのではなくて、常に理想を目指して、自ら鞭打って努力することが人間として

本当に生きているという事なのです。

自分は他人に迷惑をかけていると気づく人、直そうと思ってもなかなか直せなく、

人格の至らなさを悲しむ人が「幸せな人」なのです。

 

日本で最初の迫害による殉教は、1597年2月5日、豊臣秀吉により処刑された26名の信徒であった。

殉教者は後にカトリック教会により、聖人の列に加えられ「日本二十六聖人」に叙されている。

これ以後日本ではキリスト教に対する迫害が苛烈となり、キリスト教徒でありたければ、

迫害は覚悟のうえでという時代が続いた。義とは神の前での正しさである。

信仰を貫き信仰のゆえに迫害された人々は、天国に迎え入れられるのである。

 

 

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