「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。
主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。」
コロサイ 3章 13節
赦すことへの勧めですが、「赦す」という意味を考えなければいけません。
それは、端的にいうと「過ぎ去らせる」ということです。お互いの間に、何が意見の不一致があって、
気まずい思いになったとしましょう。このときに陥りやすい罠は、「私はこのように話した、
あの言葉が、このように言い換えればよかったのね。」云々と、細かいことの分析をすることです。
自分たちのことを掘り起こしたところで、何も良いものが生まれません。
むしろ、キリストにあって互いにこの問題を過ぎ去らせ、再び新たに関係を気づくことが大切です。
ウィリアム・バークレイはクリスチャンとして私たちが人を許すために三つのことを
学ばなければならないといいます。そしてその第一は「理解すること」であるというのです。
「人の行動はいつも理由がある。粗野な人、失礼な人、気難しい人には、心配事があるか、
他の苦痛があるのかもしれない。人を疑ったり嫌ったりする人は、相手に対して誤解があるか、
相手の言動を曲解しているのかもしれない。あるいは環境や遺伝のせいかもしれないし、
また、気難しい気質のため問題が多く人間関係がうまくいかないのかもしれない。
人を非難する前にその人を理解しょうと努めれば許すことも容易であろう。」と。いっています。
そして、他の二つの許しのカギは「忘れること」と「愛すること」と言っています。