「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。」
ガラテヤ 6章 2節
キリスト教の特徴の一つは、分かち合いの精神です。私たちが人生の各段階で背負う重荷は、実に様々ですが、
もしその折々の苦しみや辛さを、誰かが熱心に聞いてくれたら、ずいぶんと慰められると思います。
それはすぐ、その苦しみの解消にはつながらないでしょうが、じっと自分の話に耳を傾けてくれる人がいるという、
その事だけで、私たちは自分の重荷を背負い直し、生きていく勇気与えられます。
「分かち合う喜びは二倍の喜び、分かち合う苦しみは半分の苦しみ」という美しい諺があります。
誰でも何か嬉しいことがあったら、すぐに家族や友人たちに知らせて、一緒に喜んで欲しいと思うでしょう。
同じように辛いことや、悲しいことが起こったとき、その苦悩を分かち合える人がいたら、どんなに大きな心の支えとなるでしょう。
クリスチャンは、それぞれが独立して、一匹狼のように生きたりする存在ではありません。
あるいは、自分の悩み相談室のように、自分の悩みが解決されることだけを求めて教会に来るのでもありません。
孤立するのでもなく、依存するのでもない、「互いに重荷を負いあう」仲が、クリスチャンの間に必要なのです。
キリストはだれも担えない重荷を私たちに代わって担ってくださったという事実があります。
そのことによって、私たちは救われた(贖われた)のです。私たちはキリストの十字架という贖罪の恵みを受けたのですから、
キリストにある兄弟たちが互いに重荷を負い合うことは当然のことなのです。
そして、それによって「キリストの律法を成就することになる」のです。