マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

最後はこの体をもって

2021年12月24日 | キリスト教

「息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。」

  詩篇 150編 6節

最後は、神のくださった最高の楽器、すなわち私たちの息、歌声であります。

なんという、すばらしい終わりでしょうか。

すべてはただ、主をほめたたえることです。すべてのことは主に栄光です。ハレルヤ。

 

この詩篇の最後の言葉は、私たちに賛美の総動員をかけています。

どうして聖書は「神をほめよ」「神を賛美せよ」と言うのでしょうか。

第一は、神にこれほど愛され、イエス・キリストの十字架の血潮という代価によって

救われた私たちが「喜んで」いたら、神はほんとうに喜んでくださるでしょう。

しかし、それほど愛されている私たちが、うなだれ、悲しんでいるなら、神はとても悲しまれるでしょう。

 

第二の理由は、弱い自分勝手な私たちは、賛美が下手だからではないでしょうか。

神に祈る時、ただ、純粋に神を賛美し感謝することによって、

今までの私の神に対する姿勢が、「どうか、どうか」だけだったとわかります。

例えば、私たちがリコーダーのような小さな楽器であったとしても、独り子イエス・キリストまで犠牲にして

私たちを赦してくださる父なる神を、心一杯賛美しなければと思います。

 

黙示録 19 : 5 ~7
また、玉座から声がして、こう言った。「すべて神の僕たちよ、/神を畏れる者たちよ、

/小さな者も大きな者も、/わたしたちの神をたたえよ。」

わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、

こう言うのを聞いた。「ハレルヤ、/全能者であり、/わたしたちの神である主が王となられた。

わたしたちは喜び、大いに喜び、/神の栄光をたたえよう。……。」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする