「息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。」
詩篇 150編 6節
最後は、神のくださった最高の楽器、すなわち私たちの息、歌声であります。
なんという、すばらしい終わりでしょうか。
すべてはただ、主をほめたたえることです。すべてのことは主に栄光です。ハレルヤ。
この詩篇の最後の言葉は、私たちに賛美の総動員をかけています。
どうして聖書は「神をほめよ」「神を賛美せよ」と言うのでしょうか。
第一は、神にこれほど愛され、イエス・キリストの十字架の血潮という代価によって
救われた私たちが「喜んで」いたら、神はほんとうに喜んでくださるでしょう。
しかし、それほど愛されている私たちが、うなだれ、悲しんでいるなら、神はとても悲しまれるでしょう。
第二の理由は、弱い自分勝手な私たちは、賛美が下手だからではないでしょうか。
神に祈る時、ただ、純粋に神を賛美し感謝することによって、
今までの私の神に対する姿勢が、「どうか、どうか」だけだったとわかります。
例えば、私たちがリコーダーのような小さな楽器であったとしても、独り子イエス・キリストまで犠牲にして
私たちを赦してくださる父なる神を、心一杯賛美しなければと思います。
黙示録 19 : 5 ~7
また、玉座から声がして、こう言った。「すべて神の僕たちよ、/神を畏れる者たちよ、
/小さな者も大きな者も、/わたしたちの神をたたえよ。」
わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、
こう言うのを聞いた。「ハレルヤ、/全能者であり、/わたしたちの神である主が王となられた。
わたしたちは喜び、大いに喜び、/神の栄光をたたえよう。……。」