「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、
弟子たちにたとえを話された。」
ルカ 18章 1節
いつでも祈り、失望せずに祈り続けることは、目的があります。
それは、神が選民のために裁きを必ず行ってくださる、ということです。
キリスト者としてこの地上に生きている時に、私たちはたとえ物理的な迫害を受けていなくても、
むしろ迫害がないところにある霊的誘惑の中にいつもさらされています。
神はいらない人たちの制度がしっかりしているから、という強い圧力を感じます。
神なしで生きていくように仕向けていきます。ですから、私たちは今まで以上に強い圧迫を受けており、
しっかりと立っていないといけません。そこで必要なのは、しつこい祈りです。
神の正しい裁きがなされるよう祈っていて、果たしてそれが聞かれるのか疑問に思います。
けれども主は、聞いてくださいます。けれども、イエスが実行に移そうとしている時に、
その時まではたして信じ続けている信仰が見られるのかどうか、と案じておられます。
あきらめて信仰が揺らいでしまう試練の時なんだよ、とイエスは教えておられるのです。
いかがでしょうか、私たちは長いこと祈り忘れている祈りの課題はありませんか?
あきらめてしまっていることはないですか?祈りをしつこく行っていますか?
ここに私たち、終わりの日に生きる者たちが試されるところです。
神を信じる者は決して失望に終わりません、と、イエスは教えられるのです。
エペ 6:18
「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、
目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」