しかし、心にひそむ罪を、どうして知りえましょう。 どうか、隠れた罪からもきよめてください。
故意に悪に走ることからも引き止め、守ってください。 そうすれば、私は過ちを犯さず、大きな罪からも逃れることができます。
私の口のことばと、秘めた思いが、神様に喜ばれますように。ああ、私の岩、私の救い主、主よ。
詩篇 19扁 12~14節 リビング・バイブル
松明に ・・ ?
知識と悟りの区別について。
「 知識があるという事は、」 ・・・ 道を照らそうとして、松明を使う事。
「 悟ったとは 」 ・・・ 松明になる事
神学校で何年か学び、それで悟ったつもりで、人々に語り、果てには、愛の御言葉で、人々を傷付けていた私、その時思ったのです。
「 この人たちは信仰が弱いから、私の勧めが理解できないのだ 」 と。なんと高慢な者でしょう。
知識だけを振り回し、そこに何の実体もない事すら分からずに歩んでいた、
真実に一番惨めなのは私自身であるのに、その私を主は、抱き上げ、神の働きのために育ててくださいました。
「 私の松明となるように 」 と。今も松明になり切れているかは、甚だ自信のないものです。
ただ、主よ、私をあなたの御手の中にと、祈っています。
ダビデがここで話しているのは、知らずに犯した罪のことです。
私たちは、霊的に鈍くなっていて、罪を罪と認められないものがたくさんあります。
気づいていないところで犯している罪があります。
神さまとの交わりに罪が妨げになってほしくないと願っているダビデは、
知らずに犯している罪に対しても、その赦しを願っています。
ヨハネ 15:3
「あなたがたは、わたしがあなたに話したことばによって、もうきよいのです。」