マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

故郷へ

2024年07月12日 | キリスト教

ややにちかし あまつわがや こころにえがきて われはまてり  

          そなえられし わがすまいは かがやける まちのなかにぞある 

                                 聖歌 364 より
へブル 11:16
しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。

それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。                                                 

                                                                                 天の故郷です。地上に思いをはせるのか、それとも天におもいをはせるのか。地上も捨てたものではないですが、

天に比べたら、地上は月とスッポンです。だから、この地上における不便も喜んで耐え忍びました。
 
                                                                         
ピリピ  1:23
私は、その二つのもの (死と生) の間に板ばさみとなっています。

私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。  

 

クリスチャンは、単に後の世のことを思って、この世で苦しみ悩んでいる存在ではありません。

なぜなら、主にあって豊かな実が結ばれていくからです。けれども、同時に、この世には何の未練もありません。

なぜなら、天に用意されているものが、どれだけすぐれているかを知っているからです。

ここは苦しいから、はやく天国に行きたいでもないし、ここは楽しいから死にたくない、でもないのです。どちらも自分にとっては益なのです。


                                                                                    

      もしよろしければ、聖書をお開きになって、この聖句の文脈をお確かめ下さい。

       聖書には死後のことも、今の命をどのように生きるかも書かれています。

           聖書は、決して死を待ち望むようには命じてはいません。

             天国を待ち望むべきであるとごく頻繁に命じています。  

                               マシュー・ヘンリー 

 

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