ややにちかし あまつわがや こころにえがきて われはまてり
そなえられし わがすまいは かがやける まちのなかにぞある
聖歌 364 より
へブル 11:16
しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。
それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
天の故郷です。地上に思いをはせるのか、それとも天におもいをはせるのか。地上も捨てたものではないですが、
天に比べたら、地上は月とスッポンです。だから、この地上における不便も喜んで耐え忍びました。
ピリピ 1:23
私は、その二つのもの (死と生) の間に板ばさみとなっています。
私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。
クリスチャンは、単に後の世のことを思って、この世で苦しみ悩んでいる存在ではありません。
なぜなら、主にあって豊かな実が結ばれていくからです。けれども、同時に、この世には何の未練もありません。
なぜなら、天に用意されているものが、どれだけすぐれているかを知っているからです。
ここは苦しいから、はやく天国に行きたいでもないし、ここは楽しいから死にたくない、でもないのです。どちらも自分にとっては益なのです。
もしよろしければ、聖書をお開きになって、この聖句の文脈をお確かめ下さい。
聖書には死後のことも、今の命をどのように生きるかも書かれています。
聖書は、決して死を待ち望むようには命じてはいません。
天国を待ち望むべきであるとごく頻繁に命じています。
マシュー・ヘンリー