「 弱い人、乏しい人を憐れみ/乏しい人の命を救い」
詩編 72篇 13節
神の国、天国では公正な福祉がなされています。
ここの12節に「王が助けを呼び求める貧者や、助ける人のない悩む者を救い出す」とあります。
私たちの社会でも、神からの愛による福祉がなされたら素晴らしいと思います。
ただ私たちは、誰かを助けようとするとき、同情したり、自己満足に陥ったりします、助けてあげよう、
時間が余っているので、その人のためにしてあげようではなく、
この事をしているのは主イエス・キリストにしているのだという意識が大切です。
実際に主イエス・キリストは言われました。貧しい人、渇いている人、困っている人にしてあげたのは、
私にしてくれたのだと。ですから貧しい人や困っている人を助けてあげているという気持ちからではなく、
これをすることは主イエス・キリストにしていることなのだという意識をもって互いに仕え合うなら、
そこには理想的な真の福祉が実現するのです。
この主イエス・キリストこそ、全地の王として統べ治めるにふさわしい方なのです。
今現在。世界あちこちで聞かれる、弱い人々の悲惨な状態は、キリストの統治の中で完全に解決されます!
マタイ 25:~40
「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、
旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、
牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、
正しい人たちが王に答える。
『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、
のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。』