風吹くままに

温泉県に暮らすマリの日常

風紋  乃南アサ

2024-07-29 21:49:00 | 
あなたのお母さんが殺されたら?
それも不倫の果てに。




またかい?
そうです。
乃南アサさんです。
こうなったなら、とことん読んでやろうじゃないの。

両親、姉との4人家族の真裕子17歳。父は仕事だゴルフだと留守がち。姉は浪人中で、母と何かとぶつかり暴言吐きまくり、物を投げたりの家庭事情。それでも平凡な日々だった。
あの日、真裕子の進路指導で学校に顔を出した母が帰らなくなるまでは。
その日から真裕子の生活は一変した。
「お母さんが死んだ、殺された、、、」
「愛する人は死ぬ。私はもう誰も愛さない」
「お母さんに会いたい」
「お母さんに会いたい」
「お母さんに会いたい」
真裕子の悲痛な叫び。

人が殺されるということは、被害者家族、加害者家族の生活を一変させる。

これもグイグイと引っ張られました。
真裕子の目を通して描かれる父親、姉、叔母たち、そして真裕子自身。更に加害者の妻。
どうしてこんなに緻密に心を描けるの?

一応、上下巻で完結したが、私としては、加害者に疑問が残る。
殺すに至るまでをもっと知りたい。
裁判で明かされてはいるが、それは表面的で、もっと深く知りたいのだ。
そうしたら「晩鐘上中下」「風紋」のその後と言うのが目に入った。
加害者の心理が描かれるかは分からないけど読みたい度マックス。
Amazon高い。メルカリで見つけました。
乃南アサさんは続くのであった。

Amazonより
ある殺人事件をめぐる家族の物語――。事件後、報道によって明らかになる被害者の姿。それは、近しい人間を殺され、ただでさえ苦しい残された家族をさらに追い詰める。またそれは、加害者側にもいえることだった。真に迫る緻密な心理描写で他の追随を許さない著書の、後世に語り継がれるべき傑作が装いを新たに登場。読みだしたら最後、読み手の心を放さない。


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西郷孝彦さんの講演会

2024-07-29 09:35:00 | 日々のこと
行きつけの珈琲屋で、時々顔を合わせるOさんが、チラシを配っていた。




「不登校、発達障害」に目が止まる。
「服装自由、校則なし、定期テストなしの世田谷区立桜ヶ丘中学校を、ご存知ですか?」

知りません。

講師 西郷孝彦氏とある。
万太郎バァバ「何か参考になるかもしれない」
娘を誘って行ってきました。

プロジェクターで映像を流しながら話を進めていくのですが、最初とりとめがないように感じました。
もっと熱く理路整然と語ると思っていたのに拍子抜け。
でも、その熱く語るスタンスだと熱狂と共に圧を与え、思考を奪うのではないか?
西郷氏は、そうではない。
その日常会話のような気負うことのない語り口は、子どもたちを信じ信じられてきた証のようだった。
子どもたちを信じる、、、それは、彼らの思考を奪わず、彼らに考えさせる。
本来大人より自由で柔軟な発想を持っている。
それを信じる。

と言うことで、メモをとっていなかったので朧げな記憶の中から、西郷氏方式でとりとめなく書いて行きます。悪しからず。

今の日本は成果主義。
だから社会の役に立たない→殺してもよいの発想を持つ人が生まれている。相模原障害者施設殺傷事件の犯人。
有名なひろゆき氏の事も「成果をあげれば文句ないでしょの様な人だ」と喑に非難していました。

弱者に合わせた社会を(インクルーシブ)と言いながら、実際は合わせていない。
本来は、子ども一人ひとりの個性や特徴を認める。
100人いたら100にんの能力を伸ばそうと言う意味なのに。
生徒を一つの型に押し込めている。

例えば始業終業のチャイムが苦手な発達障害の子がいて、桜ヶ丘はやめました。
他校の先生にそれを話すと「それは良いですね」と口では言うけど相変わらず鳴らしている。

小中高の自殺者の数が出され、小学生の自殺が思っていたより多い(驚きました)
日本国中をバイクで旅した若者がそれをX投稿していて、最後に「みんなありがとう。これから自殺します」と言って亡くなった。
(予定投稿で、みんなが目にした時には亡くなった後)
それにショックを受けたと言ってましたね。

養護学校の赴任で「いま」をどう楽しく生きるかと言う事が大切だと学んだ。

居場所を作る。
教室に入れない子がいて、他所の学校も配慮はしていて、◯◯学級とか保健室だったりする。それだと教室から隔離されているようです。
桜ヶ丘中学校は、教室前のローカに机を置いて自由につかえる。勿論教室に抵抗のない子もローカ机を使ってよい。分けない決めつけない。
学校に行けない時の受け皿が欲しい、できないかなぁ、、、子ども食堂のような。

「困難を抱えている生徒」だけに居場所が必要なのではなく「普通」と言われる子どもたちにも桜ヶ丘中学は、大切な居場所になっていた。

最後質問が2、3ありました。

問「桜ヶ丘中学は区立ですから、教師は、移動があるのではないですか?
先生たち他所と違って困りませんか?」

西郷「テストや校則で縛っていますからね、戸惑うし、我が校の方針になかなか馴染めない。だから、できるだけガチガチ頭になっていない新卒を取りました。はい、桜ヶ丘から他所に転任した先生は、そこで苦労しているようです」

問「学校だけが変わるのでなく、親にもっと求めてよいのではないでしょうか?」

西郷「求めなくて良いのではないですか?親には親の事情がある事が多いです。学校が変わりましょう」と、きっぱり。
その言葉で西郷さんを信じたかな。

他者じゃない。
自分が変わらなきゃって。
皆んな一緒にやろうでなくて(同調圧力になりかねない)、まず自分が変わればついてくる人はいる。
そう受け取りました。

本当にとりとめもなく羅列しました。
西郷氏の話は次の2冊に書かれているので、興味ある方は読んでみてください。















コメント (8)
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