・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。
おはようございます!
ありとあらゆる人々の心の奥にいる真我(神)を信じ切る、素敵な皆様。
本日は5時に起きて座禅1時間は無事に終えました。
妄念攻撃すごいですね。
日々、姿勢の悪さ、否定的感情、妄念を観察するのが座禅ではないのだろうかと思ってしまいますw
この3点が繋がってかの有名無実なる『エゴ』公爵が生まれているのですねえ。
自動的生成される自然の働きには、毎日、驚かされるばかりです。
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座禅を終えてからは『奇蹟を求めて』の1917年夏の章を読みました。
この僕が生まれる60年前のエッセントゥキの夏に行われた最初の本格的なワークは、非常に価値のある濃密な時間であったとウスペンスキー公はおっしゃられます。
愛は見出してなさそうですがw
この理論大好きなウスペンスキーさんの文章からは『愛』という波動が感じられないのですが、師匠のグルジェフさんの文章からは『人間愛』を凄まじく感じます。
「非常に正確に書かれているが、重要な何かが欠けている」と書籍をもって出版許可を求めてきたウスペンスキー婦人にグルジェフさんが言ったそうですが、普通の人が読んでみても、欠けているものは明瞭に分かると思われます。
理論と実践は、重要ですが、自己の知性は限界があるので、理解と言うのは知性ではないとグルジェフさんが言ったのであり、しかも、この理解は感情を通してしか捉えられないし、達成されないのだとまで言っているのに、理論の探求に生涯をささげたのかもしれませんね。
単に僕個人の想像ですので、違う可能性も大です(ごめんw)
しかし、ワークの理論哲学を描いた本の中で最高級の重要度を持つ、この書籍を世界に公開してくれた彼の偉業には感謝しかありません。
また、このワークを日本に紹介してくれた様々な方々の尽力があって、僕がこの、偉大なる隠された知識の断片に触れることができた!
神様に感謝ですね。
まったく、これが、なければ、ぼくの挫けた心は、どうなっていたことか!
元気の秘密を学ぶことも絶対になかっただろうと言い切れるのであります。
太陽の光が世界を照らす、その光と闇を照らしているのが、あなたの意識で、その意識は魂の質、なのだ!
この魂は虚無、眠り、夢見、目覚めの全ての状態で、あなたのスクリーンとして機能しているのである。
このスクリーン自体は、存在しない存在が存在していると表されるでしょう。
要するに深い意識です。
が、これは、胸から溢れ出る、とてつもなく柔らかな精気なのですよ。
その精気の中で、ありとあらゆる『お戯れ』を為されているのが、あなたという神!
鏡に映った世界で、それを忘れた意識の子供たちが、暴れまわる。
鏡も意識も、どちらも魂が創りだしている(爆笑)
監督、自分
シナリオ、自分
演出、自分
演技、自分
出演者、神
この『自分』とか『神』というのは『エゴ』ではありませんよw
自分の中には複数の人格とひとつの本質があるのです。
この本質とは、光と生命という神のエネルギーのことで、これが本来の主人であるのに、知性の『エゴ』の側が、自分が勝手に主人だと名乗り出ているのです。
結局、第四の道も、辿りつく地点では同じなのですが、それが、辿りついた後の有益性という意味では、他の道と格段の差がでるのであります。
まあ、僕には、ちょっと敷居が高いですが、間違いなく、呼吸と血液の流れ、また性のエネルギーこそが最後の鍵です。
これを『衝動的セクシャルエモーション』と勝手に名づけましょう(爆笑)
それが溢れ出る愛への扉を開けるのですwwww
愛ではありませんが、その、愛を閉ざしている扉(心)をあける鍵が、これなのです。
もしも、この接触点が変性されだしたら、もう、見失うことは、ぜったいに、あ、り、ま、せ、ん。
間違いなく、確実に、疑いなく、本性の自己に、気がつくからです。
疑いが残る場合は、ぜったいに、幻想の中にいるのだと、僕は個人的に思います。
なぜなら、このリアルよりも、もっとリアルなものが、真実だからなのです。
普段の理解よりも明確な実質的な、心の解放が、解放を呼ぶのです。
ここまで辿りつくまでには、様々な過程がありますが、興味のある方は『奇蹟を求めて』を購入されることを強くお勧めいたします。
僕の人生を変えた素晴らしい名著ですからねw
人間は機械である、機械でないものは何一つとしてない!!!!
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日々、姿勢の悪さ、否定的感情、妄念を観察するのが座禅ではないのだろうかと思ってしまいますw
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この僕が生まれる60年前のエッセントゥキの夏に行われた最初の本格的なワークは、非常に価値のある濃密な時間であったとウスペンスキー公はおっしゃられます。
愛は見出してなさそうですがw
この理論大好きなウスペンスキーさんの文章からは『愛』という波動が感じられないのですが、師匠のグルジェフさんの文章からは『人間愛』を凄まじく感じます。
「非常に正確に書かれているが、重要な何かが欠けている」と書籍をもって出版許可を求めてきたウスペンスキー婦人にグルジェフさんが言ったそうですが、普通の人が読んでみても、欠けているものは明瞭に分かると思われます。
理論と実践は、重要ですが、自己の知性は限界があるので、理解と言うのは知性ではないとグルジェフさんが言ったのであり、しかも、この理解は感情を通してしか捉えられないし、達成されないのだとまで言っているのに、理論の探求に生涯をささげたのかもしれませんね。
単に僕個人の想像ですので、違う可能性も大です(ごめんw)
しかし、ワークの理論哲学を描いた本の中で最高級の重要度を持つ、この書籍を世界に公開してくれた彼の偉業には感謝しかありません。
また、このワークを日本に紹介してくれた様々な方々の尽力があって、僕がこの、偉大なる隠された知識の断片に触れることができた!
神様に感謝ですね。
まったく、これが、なければ、ぼくの挫けた心は、どうなっていたことか!
元気の秘密を学ぶことも絶対になかっただろうと言い切れるのであります。
太陽の光が世界を照らす、その光と闇を照らしているのが、あなたの意識で、その意識は魂の質、なのだ!
この魂は虚無、眠り、夢見、目覚めの全ての状態で、あなたのスクリーンとして機能しているのである。
このスクリーン自体は、存在しない存在が存在していると表されるでしょう。
要するに深い意識です。
が、これは、胸から溢れ出る、とてつもなく柔らかな精気なのですよ。
その精気の中で、ありとあらゆる『お戯れ』を為されているのが、あなたという神!
鏡に映った世界で、それを忘れた意識の子供たちが、暴れまわる。
鏡も意識も、どちらも魂が創りだしている(爆笑)
監督、自分
シナリオ、自分
演出、自分
演技、自分
出演者、神
この『自分』とか『神』というのは『エゴ』ではありませんよw
自分の中には複数の人格とひとつの本質があるのです。
この本質とは、光と生命という神のエネルギーのことで、これが本来の主人であるのに、知性の『エゴ』の側が、自分が勝手に主人だと名乗り出ているのです。
結局、第四の道も、辿りつく地点では同じなのですが、それが、辿りついた後の有益性という意味では、他の道と格段の差がでるのであります。
まあ、僕には、ちょっと敷居が高いですが、間違いなく、呼吸と血液の流れ、また性のエネルギーこそが最後の鍵です。
これを『衝動的セクシャルエモーション』と勝手に名づけましょう(爆笑)
それが溢れ出る愛への扉を開けるのですwwww
愛ではありませんが、その、愛を閉ざしている扉(心)をあける鍵が、これなのです。
もしも、この接触点が変性されだしたら、もう、見失うことは、ぜったいに、あ、り、ま、せ、ん。
間違いなく、確実に、疑いなく、本性の自己に、気がつくからです。
疑いが残る場合は、ぜったいに、幻想の中にいるのだと、僕は個人的に思います。
なぜなら、このリアルよりも、もっとリアルなものが、真実だからなのです。
普段の理解よりも明確な実質的な、心の解放が、解放を呼ぶのです。
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