・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。
おはようございます。
優しい地球の風が内的状態に白銀の光を届けている皆様。
本日は7時半ごろに起床しまして、座禅1時間、無事に終えました。
自動的反応の観察ですね。
でも今日は、エネルギーについて、観察したことがあるのです。
伊勢神宮で神殿の前に立つと、白い布が垂れていて、その向こうから石に反射した白銀の光とそよ風が、頭の上から、垂れ込めてきますね。
このような神秘のエネルギー、清涼なるエネルギーは、いつでも、どこでも、あります。
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そこに眉間が繋がったときに、光と風が内面を洗うのです。
人は個人的行為を見て、誰それは、善人だ悪人だと裁いてしまいますが、本来は、みんなが救われている、神の心を生きている。
この白銀の光は、天空から降り注いで、第三の眼を打ちます。
この光が内的状態に影響を及ぼして、悪想念は、すべて消えてしまいます。
なにをしているときにでも、エネルギーさえ、あれば、繋がれます。
この光は額と頭の後ろと胸とを繋ぐ、高次のエネルギーなのですが、これが自己意識の覚醒した状態ですね。
そうして、この光が、今度は、ハートを開かせます。
これは、この光が、地球の空と大地にむかって円を描いて広がっていくときです。
自己の内側で開いた光が、胸を打ち、このハートが、この世界と融合したときに、自己が消失して、世界が自己になるのです。
これが、無我の境地であり、最終段階なのです。
釈迦が『無所有処』と『悲想非非想』という境地を達しても満足せずに追い求めた境地は、あるがままに生きることなのです。
この普通の世界で、生きることが、即、忘我に繋がっているのです。
なんと、素晴らしいことか!
この状態にたどり着くには、この上ないインチキの見極めをする。
この成長の過程で、グルジェフさんは人間を7段階に分けました。
人間
第1番、身体中枢に重心がある
第2番、感情中枢に重心がある
第3番、思考中枢に重心がある
ここまでが、普通に生活している人です。
ここで重要なのは、みんなが同じではないと言うことです。
さらに人間、
第4番、身体中枢と思考中枢が同時に働いている
第5番、身体中枢と感情中枢が同時に働いている
第6番、思考中枢と感情中枢と身体中枢が同時に働いている
第7番、思考中枢と感情中枢と身体中枢と自動性が同時に働いている
という具合に、順を追って発展していきます。
グルジェフさんは正確な知識を伝えようとするので難しいですが、これは、簡単にしてしまうと昨日書いた記事と同じことなのです。
①姿勢の観察
②姿勢と感情(内的状態)の関連性の観察
③正しい姿勢になって、筋肉を弛緩させること
④感情の不調和をエネルギーの流入によって解消すること
だけです。
人間第7番は、現在自己意識が客体化された状態です。
無我の境地とまったく同じですが、それを、独自の表現で、解説したのです。
正確な仏陀の像を見ると、これが正確に創られています。
あれは、客観芸術なのです。
①ある姿勢で座った仏陀のポーズ(動作センター・丹田)
②頭の後ろにある円盤(本能センター・脊髄)
③胸に両手を当てている祈り(感情センター・心臓)
④眉間にある○点(知性センター・松果体)
です。
しかも、よく見てください、この座っている仏陀の足の下、つまり大地の下には5人の人が描かれています。
中央に、そのポーズで座主、仏陀がおり、その左右に2人ずつ、仏陀のほうを見て、何やら話しかけているように見えます。
これは、各、中枢部が、仏陀、つまり、魂に、欲求を語っている様です。
この仏陀は、実際のリアルの仏陀に比べて、比較にならないほど、小さく、しかも地下に生きているのですwwwww
これを作った人の理解がどれほどのものか、わかるでしょう(爆笑)
普通の仏陀像が宇宙的自己と人間としての自己、更には各中枢部と、全体とのかかわり方、その修練の方法、天地照応の真理、すべて、を表現しているのです。
この、ひとつ、ひとつを超詳しく解説することもできます。
なぜなら、この円盤や、眉間の点や、胸におかれた両手、姿勢の表現しているものは、すべて、覚醒の段階を表しているからです。
どれもが、気がついたときには「俺は覚醒した!」と勘違いするほどに、びっくりすることなのです。
ちなみにスピリチュアルで大騒ぎしている、ワンネス状態は、この円盤が、全体性を反映していることに気がついただけのことなのです(爆笑)
これは訓練の始まったスタート地点にたどり着いた状態で、そこから、真理に向けて、ありとあらゆる苦難を超えていかねばならないのですが、この反映に、つまり、自我の肥大が重なって、もはや、すべてを『得た』と言っている人が、いるのです。
もちろん、全ての人がそうではありませんし、悪気がある人も、ひとりもいません。
真理は、想像ではなく、まったく、ここに、ほんとうに、超リアルにあるものなのです。
ですから、インチキは、すぐにバレるのです。
この覚醒の方法は、すべて、エネルギーの流入によって為されます。
そのために様々な修練があるわけですが、もっと簡略化すると、このエネルギーとは神の愛です。
そして、もっと簡略化した訓練の究極系は、全身全霊で神を愛することなのです。
解放することが、解放を呼ぶのであって、この大いなる流れの中へと入っていくことなのです。
それは、今、生きていることの全面的、肯定です。
全身が愛の風に溶けいることなのです。
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
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優しい地球の風が内的状態に白銀の光を届けている皆様。
本日は7時半ごろに起床しまして、座禅1時間、無事に終えました。
自動的反応の観察ですね。
でも今日は、エネルギーについて、観察したことがあるのです。
伊勢神宮で神殿の前に立つと、白い布が垂れていて、その向こうから石に反射した白銀の光とそよ風が、頭の上から、垂れ込めてきますね。
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そこに眉間が繋がったときに、光と風が内面を洗うのです。
人は個人的行為を見て、誰それは、善人だ悪人だと裁いてしまいますが、本来は、みんなが救われている、神の心を生きている。
この白銀の光は、天空から降り注いで、第三の眼を打ちます。
この光が内的状態に影響を及ぼして、悪想念は、すべて消えてしまいます。
なにをしているときにでも、エネルギーさえ、あれば、繋がれます。
この光は額と頭の後ろと胸とを繋ぐ、高次のエネルギーなのですが、これが自己意識の覚醒した状態ですね。
そうして、この光が、今度は、ハートを開かせます。
これは、この光が、地球の空と大地にむかって円を描いて広がっていくときです。
自己の内側で開いた光が、胸を打ち、このハートが、この世界と融合したときに、自己が消失して、世界が自己になるのです。
これが、無我の境地であり、最終段階なのです。
釈迦が『無所有処』と『悲想非非想』という境地を達しても満足せずに追い求めた境地は、あるがままに生きることなのです。
この普通の世界で、生きることが、即、忘我に繋がっているのです。
なんと、素晴らしいことか!
この状態にたどり着くには、この上ないインチキの見極めをする。
この成長の過程で、グルジェフさんは人間を7段階に分けました。
人間
第1番、身体中枢に重心がある
第2番、感情中枢に重心がある
第3番、思考中枢に重心がある
ここまでが、普通に生活している人です。
ここで重要なのは、みんなが同じではないと言うことです。
さらに人間、
第4番、身体中枢と思考中枢が同時に働いている
第5番、身体中枢と感情中枢が同時に働いている
第6番、思考中枢と感情中枢と身体中枢が同時に働いている
第7番、思考中枢と感情中枢と身体中枢と自動性が同時に働いている
という具合に、順を追って発展していきます。
グルジェフさんは正確な知識を伝えようとするので難しいですが、これは、簡単にしてしまうと昨日書いた記事と同じことなのです。
①姿勢の観察
②姿勢と感情(内的状態)の関連性の観察
③正しい姿勢になって、筋肉を弛緩させること
④感情の不調和をエネルギーの流入によって解消すること
だけです。
人間第7番は、現在自己意識が客体化された状態です。
無我の境地とまったく同じですが、それを、独自の表現で、解説したのです。
正確な仏陀の像を見ると、これが正確に創られています。
あれは、客観芸術なのです。
①ある姿勢で座った仏陀のポーズ(動作センター・丹田)
②頭の後ろにある円盤(本能センター・脊髄)
③胸に両手を当てている祈り(感情センター・心臓)
④眉間にある○点(知性センター・松果体)
です。
しかも、よく見てください、この座っている仏陀の足の下、つまり大地の下には5人の人が描かれています。
中央に、そのポーズで座主、仏陀がおり、その左右に2人ずつ、仏陀のほうを見て、何やら話しかけているように見えます。
これは、各、中枢部が、仏陀、つまり、魂に、欲求を語っている様です。
この仏陀は、実際のリアルの仏陀に比べて、比較にならないほど、小さく、しかも地下に生きているのですwwwww
これを作った人の理解がどれほどのものか、わかるでしょう(爆笑)
普通の仏陀像が宇宙的自己と人間としての自己、更には各中枢部と、全体とのかかわり方、その修練の方法、天地照応の真理、すべて、を表現しているのです。
この、ひとつ、ひとつを超詳しく解説することもできます。
なぜなら、この円盤や、眉間の点や、胸におかれた両手、姿勢の表現しているものは、すべて、覚醒の段階を表しているからです。
どれもが、気がついたときには「俺は覚醒した!」と勘違いするほどに、びっくりすることなのです。
ちなみにスピリチュアルで大騒ぎしている、ワンネス状態は、この円盤が、全体性を反映していることに気がついただけのことなのです(爆笑)
これは訓練の始まったスタート地点にたどり着いた状態で、そこから、真理に向けて、ありとあらゆる苦難を超えていかねばならないのですが、この反映に、つまり、自我の肥大が重なって、もはや、すべてを『得た』と言っている人が、いるのです。
もちろん、全ての人がそうではありませんし、悪気がある人も、ひとりもいません。
真理は、想像ではなく、まったく、ここに、ほんとうに、超リアルにあるものなのです。
ですから、インチキは、すぐにバレるのです。
この覚醒の方法は、すべて、エネルギーの流入によって為されます。
そのために様々な修練があるわけですが、もっと簡略化すると、このエネルギーとは神の愛です。
そして、もっと簡略化した訓練の究極系は、全身全霊で神を愛することなのです。
解放することが、解放を呼ぶのであって、この大いなる流れの中へと入っていくことなのです。
それは、今、生きていることの全面的、肯定です。
全身が愛の風に溶けいることなのです。