豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

あなたは神様です

2014-09-19 16:44:47 | 日記
・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
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こんばんは!

「それ」が望むものを常に愛で満たす皆様。


本日は14時半ごろに起床して座禅1時間を無事に終えました。

相変わらずの姿勢、筋肉の緊張、悪想念、妄念、心の痛み、憎しみ、等々の連想大爆走の状態ですが、戻していきます。

心の調整をするのが座禅ですかね。

そのあとで『グルジェフ弟子たちに語る』の読書です。

肉体・本質・人格のお話。



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肉体とは遺伝されてきた、動作する、この体ですね。

本質は、感覚と感情による情緒の働きですが、これは生まれもったもの、気質です。

人格とは、読んだり、聞いたりしたことから形成された自分ではないものです。


思考・感情・動作・本能・性の各中枢が、この肉体・本質・人格に影響していますが、これはイコールではないですね。

そして思考、感情、肉体(動作・本能・性)の中枢が3つの魂を著している。

どうも勘違いしていたようですが、グルジェフさんによれば、連想は、どの魂にも、発生していて、これが途絶えることは、即、死に繋がると書かれています。

これに対して、連想器官というのは、この各中枢の働き、連想に対応している機関であり、これには生命が無く、機械なのだとしている。

この機械は現在自己意識のことだろう。

この連想器官は、肉体・感情・思考の魂の記憶テープから生まれた連想を、ラベリングしてある場所から、適当な対応を引き出している。

ということは、僕が、胸から溢れてくる、悪想念と思っていたのは、感情中枢の連想を、処理している部分だけを指していて、そのほかにも、肉体中枢・思考中枢の連想を処理しているということだろう。

ここに『迷い』『怒り』『欲望』があって、これが、エゴ(連想器官)をして、生きているという錯覚を生ませているようだ。


この思考は本来の役割は、霊の声を、各中枢に到達させることである。

このように思考が→感情・肉体の『悪魔』を導ける状態へ移行することによって、なすことができる人間になるのである。

なったのではなく、起こったのではなく、意図的に望む行為を実現することができるようになるためには、心と体を変えなくてはならないということだ。


この変えるのは、肉体の緊張と、感情の感覚と情緒であるが、これを理性によって達成しようというのが、グルジェフさんの目指した方向である。

しかし、これは、無理なのだ。


肉体と感情と知性の中枢が別々であり、これに目覚めることは、どうしても必要なことであって、この着眼点と言うか、教えは、凄まじく、素晴らしい。

が、この内の、変化を及ぼすワークについては、統制では不可能なのである。

変えなくてはならないのは、感覚と感情である。


この変化はエネルギーによって為されるのであるから、このエネルギーをどのように生み出すかに力点を置かなければならないのだ。

自己を客観的に見ること、自己同一化の解除と、自己想起は肉体と感情に対する働きかけであるが、これは、意識と心を自己から引き剥がす作業である。

そうして自己が、つまり、エゴが解放されたときに、魂の側が、生きるということを目指していたのがワークであるが、この方法は、エゴの無い人になって、初めて生きてくる手法であって、普通に生きている、つまり、我々には適さないのである。

この高度な、修練を、普通の人に広めることも意味が無いし、また、この手法自体が、欠陥を抱えているのであるが、それは、過激さである。

自己破壊の衝撃が、眠りを突破させるのではなく、愛の力が突破させるのだ。

反応体の仕組みである、肉体→感情→思考→魂が、魂→思考→感情→肉体になる必要はないのである。


このようなものは、エネルギーの波によって、到達可能なものなので、思考センターにそれを記憶させる必要はなく、逆に有害になる。

到達してから、可能であることを、そうでない人に、伝えようとしても不可能だ。

しかも、可能であるというだけのことで、そうする必要も無いことなのである。

この世界で『為す』必要は無いのだ。

なぜなら、元々、この世界は、あなたの、あなただけの物語だからである。


エネルギーの波は、手放すことによって到達するのであって、意図的行為が、それを為すことなど絶対にない。

であるからして、悪魔ベルゼバブの手法は、感情の崩壊である。

ワークは絶望させることに主眼があるのであって、自己を想起すること、意図的に苦悩をすることが、その戦闘を激化するように常に煽るのである。

ついに崩壊の瞬間がきて、ワークは捨てられるが、その理論は、なんと、崩壊後も行き続けるのだ!!!!

だが、それは必要の無いことなのだ。


優しく包まれた記憶があるだろうか?

その空気感が、この世界を、満たしているとき、宇宙と人間、また、その眠りの意識、それぞれの認知、すべてが放たれていく。

アートマンもブラフマンも、神も仏も、悟りも、自覚も、目覚めも、天国も地獄も、そのほかにある生も、死も、病も、老いも、一切の認識が、、、

一切の戯論が宿滅したとき、無所有の境地が現れるという。

あなたは、どこにも、いないのだ。


無我であるのだから、元々、純粋にして穢れなどないのである。

この無我であるというのは、生きていることである。

この生きている世界に、あなたは、もともといないのだ。

それが、不生無始のわたしである。

大空と魂の認識や、わたしは在るの状態でさえ、すべて夢なのだ。


が、生きているwwww

宇宙と人間の、この奇蹟!!!!

この生きている世界、瞬間は、2度とやってこない、神の、贈り物なのである。

驚くべき、神々の、技であるが、その神々とは、あなたのことなのである(爆笑)