豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

引き寄せの原理

2014-09-15 08:08:02 | 日記
・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。



おはようございます。

天空と地上を繋ぐヴァイブレーションの中に自己を開放した皆様!


本日は、昨日から起きている豊田です。

中途半端に寝たり起きたりしていましたが、7時ごろから座禅1時間は無事に終えることができました。

もう少しで、変化が出てくる2ヶ月に到達するので、ここでやめるわけにはいきません。

心の悪想念は知性がいくら注意しても、意味が無いことが分かりました。

知性中枢と感情中枢は、まったくの別物で、関連しあっているとはいえ、独自の欲求と、独自の興味を持っているようです。



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悪想念が生まれているのは知性中枢ではなく、感情中枢のほうです。

ここに、普段の小さな思いが種のようにばら撒かれて、それが、いつしか現実に形となって現れてくるのですね。

僕は自分の不純さは、心にこそあることに気がついた。

この不純さを取り除くには、知性ではなく、感情が、直接、学ばなくてはならない。


『ザ・シークレット』のヒットで引き寄せの法則が有名になったので、思いは実現するという言葉を、皆さん、アチコチで聞かれる、または読まれたりしていると思います。

僕は連想の中で、凄まじく色んな欲望を妄想してきましたが、そんなものは全く実現してきませんでしたので、この説には懐疑的でありましたが、なぜか効果がある場合もあったりして混乱していました。

その本当の意味を、思いというのは、心の中の状態のことであると確信しました。

もちろん、あの書籍にも、感謝することが最大の引き寄せであるといったことが書かれていたようにも思いますが、どうもイメージが、引き寄せるという印象が強く、感情的な事柄には理解ができていなかったようです。

心で思っていることと頭で空想していることに距離がある人は、現実の中での実効性が、かなり低い生き方をしているのではないかと想像します。

僕が、そのとおりだったので、たぶん、当たっている。


空想のイメージの中、つまり、連想器官においては、心の欲求に従って、様々な映像が流れていきますが、これに対して、感情中枢が、否定的になっているのです。

この否定的になっている原因は、罪悪感です。

それで、この、罪悪感が、欲求と反してイメージを打ち消します。

例えば、お金持ちになろうとする人、いい女をゲットしようとする人が、そのイメージをするたびに、欲求に反して、それを否定的感情で捉えているということですね。

悪いことをしていると、心が思っていると、それは実現しても、悪いように実現していくことになるだろうと想像されます。


『原因と結果の法則』が、この世界を作っているわけですので、原因に悪想念があれば、必ず悪い結果になるわけですので、これは、僕の経験からは間違いないと思います。

環境が人を作るので、原因とは、現在自己意識の置かれた環境ですね。

この環境は、いる場所、仕事、家族等々でもありますが、もっと直接的には、自分の心の中身の問題です。

普段の心の底で、何を望んでいるか?

これが、とてつもなく重要で、普通は自分の欲求にフタをしているので、その欲求の大きさに気がついていません。


で、この欲求の質が、人生の計画図なのです!

とっても小さなことですよ。

普段、何気なく、満たされたい思いを投影していることです。

こうなったら満たされるのにな、とか、ああ、あれがしたい、これがしたいと反応的にやっている心の動きが、実は、とんでもなく自分を縛っている。

これは頭が考えていることではないのです!


重要なので繰り返してみますが、頭は自分のやっている正しいことにしか興味が無く、心は自分の欲求にしか興味が無いのです。

そして、この心の欲求は知性の欲求に反しています。

その心の欲求が体の欲求と、よりリンクしているからなのです。

体は、食欲、性欲、睡眠欲があり、心は、愛情欲求が満たされたいと思っていますが、これも、また相反している事実に、心は気がついていません。


グルジェフさんの例え話に、狼と羊とキャベツを川の向こうに運ぶにはどうするかというのがありました。

狼は肉体で、羊は感情、キャベツは知性を代表しています。

そして人間は霊魂です。

狼は羊を食べようとするし、羊はキャベツを食べます。

人間は全てを食べることができますが、自制することもできます。


川の向こうに渡すには、2度わたることと、注意して見守ることが大事だと思われます。

狼とキャベツをまず、川の向こうにわたし、その間、自分が食べてしまわないように忍耐しなければなりません。

更に、今度は自分だけ、もう一度、川を戻り、羊を乗せて、渡る。

狼とキャベツが肉体と知性を現すとすると、人間が知性中枢を使って、肉体の動作、本能、性の各中枢を覚醒させたあとで、もう一度、今度は感情中枢を覚醒させなければならないということになる。


この話は、非常に重要だと思われます。

現在自己意識は、知性中枢を自己だと思い込み、この知性中枢が、肉体と感情の反応を管理することができると思っていますが、実際は何もできていません。

反応するロボットが現状です。

しかし、この知性中枢は、動作と姿勢を見ることができます。

そういう役割を果たすときに、自己は感情の奥にある魂が揺さぶられて、目覚めてきます。

ここで、この魂の側が、知性中枢から独立権をもってこなくてはならないのです。

そうして初めて、感情中枢の悪想念が、知性中枢の連想器官を乗っ取っている事象に対して、魂の側の意志が働くようになり、為すことができるようになります。


この為すことは、感情中枢の変化のことを指しているのです!!!!


日々現れてくる、欲望と憂い、怒りと高慢が、小さなことから沸き起こってきていて、この小さな気持ちの累積が、大きな現実を創造している。

魂の潜在的傾向とは、この心の、本質のことを言っているのでしょう。


思いが実現するとは、文字通りの思いが現実に表れるという意味だったのです。

こうなったら皆さん!

例え、小さな日々の欲求であっても、ぜったいに悪想念をもっては不幸です。

悪想念が罪悪感を心に引き起こし、この思いは、必ず現実化してしまうのですよ!

ぶったまげますね。


ですから、僕は、何をやっても、向上しないのは、心の奥底の、思いが、知性の欲求とずれまくっているからなのです。

人格はワークに興味があるが、本質はそうではないか、また、その逆かはっきりしませんが、ずれていることは間違いありません。

おそらく、見過ごしている出来事の中に、とんでもない宝がある。


いろんな出来事に、心の動き、体の動き、頭の動きに気づいているのに、見過ごしている、その部分を変えなければ、環境は変わらないということだ。


我々は非常に正確に、見ているのに『スルー』しているのである。

これは知性が知っていることを感情や肉体が理解していないことが原因である。

教えてあげなければならない。

もしも、心が、ほんとうに心底、小さなことから思い続けていれば、何事も、実現する可能性があるのだと思う。

非常に危険であり、有益でもあるので、これを実践しない手は無い!