・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。
こんにちは。
柔らかで優しい空気感とひとつになっている皆様。
本日は14時ごろに起床して座禅1時間は無事に終わりました。
『グルジェフ弟子たちに語る』の読書も楽しみ、お茶漬けを食べる。
千鶴さんと悠聖1歳の誕生日の予定を調整するが、仕事なので、勢和多気でのお祝いは短時間での訪問となりそうです。
本当は鳥羽水族館に連れて行ってあげる話もあったけど、まあ、千鶴さんたちで楽しんできてくれたら、いいかな、笑
のんびり煙草吸って、ぐだぐだしていたら、千鶴さんが『女性自身』に載っている、座禅の記事を「これだけ、あんたにやるわ」と言って見せてくれました。
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東京にある禅寺の住職さんのお話。
「不安や心配を捨てるために座禅をするのですが、それは、何かを得ることではないのです」
これは、完璧回答じゃないか。
やっぱり、きちんと戒律を守って修行してきた禅僧の人は違うよなあと思います。
大峰山の千日回峰行をされた僧侶の方の話も感動したけど、知識が、身になっているんですよね。
それで、普通の生活の中で、楽しんでいるのですね。
一生懸命、生きることを、臨機応変に、固定化されずに、人を大切にして過ごしている。
頭でっかちではないですね、苦笑
僧侶に限らずとも日本の文化には「助け合い」というものがある。
お陰様という言葉もあり、和をもって尊しとすという聖徳太子の名言もある。
大和とは、大きな和の国という意味だろうか。
ほんらい、とてつもなく生活に染み込んだ優しさを持っている。
しかし時代は厳しいので、その流れも、欲にまみれた戦争という悲劇の洗礼を受けながら、一方では着々と受け伝えられてきたに違いない。
もともと「自然なる神」を体感するのが当たり前の文化である。
正月に神社の森を拝むことが延々と太古から繰り返されている、素晴らしい、無私の文化を持っているのが日本人ではないか。
日本人は自己主張が苦手であるというのは、エゴがないからです。
西洋文化がもたらした「人間中心主義」は、人々の間を切り裂いてしまった。
まあ、昔から綺麗ごとだけで済んできたわけではないけれど、根底に『自然の詩』を楽しむ精神が日本人には浸透していると思う。
『もののあはれ』という無常観と自然林を愛でる生命観が、大和という史上最強の精神文化を育んできたのだ。
元々、日本人は文字の文化をもたなかったらしいし、言葉の音を非常に大切にしていたらしい。
言霊は、この精神文化の中に、様々な個性を大調和させる、つまり『大和』という国家を作るのに『概念』や『固定化された文字』に拘らない姿勢を表すだろう。
日本人は「改善」が得意だと言われるが、この改善の中には脈々と流れくる古代からのオリジナルな精神性が、こめられているのである。
神道・仏教・キリスト教・人間中心主義・資本主義・民主主義・心霊主義等々の形を持つ思想や、またそのほかの文化、文明に対して、調和の心を、もつのである。
これは人を大切にしているからである。
正に、神の慈悲を、生活の中で実践してきた仏集団こそ、日本ではないか!
大きな流れで見れば、このように素晴らしい文化は、インド、中国、日本の古代には存在していたに違いない。
もちろん餓鬼の氾濫は常にあったわけだが、この『もののあはれ』を知る我々は、常に、この世界において、あらゆるできごとの無常観と生命観を心に持っている。
大いなる流れの中で、ひとり、ひとりが、夢のような日々を送っているのだ。
人も逝く、我も逝く、人生、夢のまた夢。
全て善し!
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柔らかで優しい空気感とひとつになっている皆様。
本日は14時ごろに起床して座禅1時間は無事に終わりました。
『グルジェフ弟子たちに語る』の読書も楽しみ、お茶漬けを食べる。
千鶴さんと悠聖1歳の誕生日の予定を調整するが、仕事なので、勢和多気でのお祝いは短時間での訪問となりそうです。
本当は鳥羽水族館に連れて行ってあげる話もあったけど、まあ、千鶴さんたちで楽しんできてくれたら、いいかな、笑
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「不安や心配を捨てるために座禅をするのですが、それは、何かを得ることではないのです」
これは、完璧回答じゃないか。
やっぱり、きちんと戒律を守って修行してきた禅僧の人は違うよなあと思います。
大峰山の千日回峰行をされた僧侶の方の話も感動したけど、知識が、身になっているんですよね。
それで、普通の生活の中で、楽しんでいるのですね。
一生懸命、生きることを、臨機応変に、固定化されずに、人を大切にして過ごしている。
頭でっかちではないですね、苦笑
僧侶に限らずとも日本の文化には「助け合い」というものがある。
お陰様という言葉もあり、和をもって尊しとすという聖徳太子の名言もある。
大和とは、大きな和の国という意味だろうか。
ほんらい、とてつもなく生活に染み込んだ優しさを持っている。
しかし時代は厳しいので、その流れも、欲にまみれた戦争という悲劇の洗礼を受けながら、一方では着々と受け伝えられてきたに違いない。
もともと「自然なる神」を体感するのが当たり前の文化である。
正月に神社の森を拝むことが延々と太古から繰り返されている、素晴らしい、無私の文化を持っているのが日本人ではないか。
日本人は自己主張が苦手であるというのは、エゴがないからです。
西洋文化がもたらした「人間中心主義」は、人々の間を切り裂いてしまった。
まあ、昔から綺麗ごとだけで済んできたわけではないけれど、根底に『自然の詩』を楽しむ精神が日本人には浸透していると思う。
『もののあはれ』という無常観と自然林を愛でる生命観が、大和という史上最強の精神文化を育んできたのだ。
元々、日本人は文字の文化をもたなかったらしいし、言葉の音を非常に大切にしていたらしい。
言霊は、この精神文化の中に、様々な個性を大調和させる、つまり『大和』という国家を作るのに『概念』や『固定化された文字』に拘らない姿勢を表すだろう。
日本人は「改善」が得意だと言われるが、この改善の中には脈々と流れくる古代からのオリジナルな精神性が、こめられているのである。
神道・仏教・キリスト教・人間中心主義・資本主義・民主主義・心霊主義等々の形を持つ思想や、またそのほかの文化、文明に対して、調和の心を、もつのである。
これは人を大切にしているからである。
正に、神の慈悲を、生活の中で実践してきた仏集団こそ、日本ではないか!
大きな流れで見れば、このように素晴らしい文化は、インド、中国、日本の古代には存在していたに違いない。
もちろん餓鬼の氾濫は常にあったわけだが、この『もののあはれ』を知る我々は、常に、この世界において、あらゆるできごとの無常観と生命観を心に持っている。
大いなる流れの中で、ひとり、ひとりが、夢のような日々を送っているのだ。
人も逝く、我も逝く、人生、夢のまた夢。
全て善し!