・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。
こんにちは。
雄大なる自然の中に我を委ねた至高の魂である、皆様。
本日は10時半ごろに起床して、座禅1時間は無事に終えました。
体の感覚が非常に不自然な状況が相変わらずですが、これは、上空のヴァイヴレーションに接続すると一気に変わります。
今日は、まったく、そこへ至ることができませんでした。
観察できたことは、肉体の力が、感情に与える影響ですね。
しかし、これは座禅中ではなく、朝起きて、夢と現実の狭間にいるときに気がつきました。
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どうも寝起きには、いろんなことに気がつくことが多いのです。
睡眠中に自我の観照から外れた真我が、必要なことを、整理しているのかもしれない。
そうして次の日には、メッセージが受け取りやすい状況になっている。
まあ、それは、いいとして。
いままで感情の不調和は頭のコントロールで、直接、怒りを静めておこうとジタバタしていましたが、この作戦に身体が加わると、非常に有効であることに気づいたのです。
身体の姿勢と筋肉の緊張が、奪っている力(エネルギー)をゆったりさせることで、かなり効果的に、怒りに作用することができます。
もちろん、呼吸の力や、意志の飛躍も必要ですが、この、しつこい「怒り」エネルギーが、個人ではなく、宇宙的な力に委ねられたときには、勝利できるのです。
まあ、これも客体化と手放しという、方法論から外れてはいませんね。
問題は、どのようにして、この清廉なるヴァイヴレーションに乗るのかです。
大乗仏教は大いなる乗り物に載って、衆生救済を目指すそうですが、この法の、乗り物に入っている状態を、作り出さなくてはならない。
知性→肉体→感情→精気→塩(結晶化)←性←呼吸←食べ物←印象
頭の中の世界で生きている我々が、肉体に働きかけることで、感情に不調和が生じてくるが、この不調和に対して、肉体に更にエネルギーを蓄えることによって対応していく。
そうして、この余力エネルギーが十分に高まったときに、この世界の繊細なる物質が、空気として得られ、呼吸、血液の流れでハートに届き、このハートが、大空に開かれた、天空のヴァイヴレーションと繋がることで、精気を体内に送り込むのだ。
この精気は人間の最高次物質である、性と、ハートで融合して、体内に、血液の流れと共に、この、聖プラーナ氏を循環させ出すのである。
そうして、この精気と性から得られた男性性、女性性の力は、対象と自己とに分断された意識を、上空点においても、相対点においても、破壊して、自己同一化を解除する。
自己同一化が解除されれば、私たちは、個人的な存在ではなくなる。
世界がわたしになるのである。
この世界であるわたしは、実は、すべてが有る場所である。
ここに欲望と怒りと迷いがあり、取ろうとすることで、我々は執着の中で、輪廻を繰り返している。
この世界は、眠りの意識の中にある。
これは、上空のヴァイブレーションの世界の、更に上位の世界である。
ここに至るのは、肉体→感情の変性が十分に染みとおった時点で、世界を貫通することである。
つまり相対の壁や、上空の壁ではなく、世界自体の壁が眠りの意識なのであるが、これを貫通することなのである。
この世界の、認識の、向こう側が、彼岸であり、そこは、あらゆる想定を超えている、世界なのである。
不生無始の状態であり、これは、言葉を超える。
この地点に到達する必要はないかもしれないが、問題は、日常生活での、上空のヴァイヴレーションへの飛躍を実現していくことである。
塩が無ければ結晶化はされない。
水の中に、大量の塩が投入されると、ある点を越えると、塩のまま残る。
これを結晶化というのである。
この塩は、感情中枢部に投下される、福力である。
この『福力』とは幸いであること、至福であることであり、それは、世界の向こうから来ているのではあるが、この世界の中では上空のヴァイブレーションから来る。
であるからして、大円、大空の意識と自己の意識を統一させて、肉体を、この上位のエネルギーの中で完全に、脱力、リラックス、させることである。
これは、大空と肉体が共鳴することなのだ。
エネルギーの余剰分が、呼吸と印象に働きかけることで、結晶化がはじまるが、この結晶化とは、性の内転である。
この性の内転を起こさせるのは、非常に、繊細なる印象、その呼吸による受容であり、それが胸を打つことで、はじまるのである。
この胸にいる『かぐや姫』が喜ばしきものに出会ったときに目覚め、この、目覚めが世界を浮遊させるのだ。
日常生活に落とし込めば、
①姿勢・動作の観察
②全身の筋肉を緩めること
③怒りが全身に広がらないようにする
④頭のおしゃべりを沈黙させる
ということになり、これは、エネルギーを増幅させて、余力を生むためにすることなのである、そして、これは、悟るための力ではない。
このエネルギーの蓄積が大量になったときに、自己の意識とは、関係なしに、変性がはじまっていくのである。
そうして最期に、手放すことだけが残る。
放心することである。
この、ことの、理解をするのは、知性ではない。
ハートが理解するのであって、知性は、到達できない領域なのである。
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今日は、まったく、そこへ至ることができませんでした。
観察できたことは、肉体の力が、感情に与える影響ですね。
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睡眠中に自我の観照から外れた真我が、必要なことを、整理しているのかもしれない。
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いままで感情の不調和は頭のコントロールで、直接、怒りを静めておこうとジタバタしていましたが、この作戦に身体が加わると、非常に有効であることに気づいたのです。
身体の姿勢と筋肉の緊張が、奪っている力(エネルギー)をゆったりさせることで、かなり効果的に、怒りに作用することができます。
もちろん、呼吸の力や、意志の飛躍も必要ですが、この、しつこい「怒り」エネルギーが、個人ではなく、宇宙的な力に委ねられたときには、勝利できるのです。
まあ、これも客体化と手放しという、方法論から外れてはいませんね。
問題は、どのようにして、この清廉なるヴァイヴレーションに乗るのかです。
大乗仏教は大いなる乗り物に載って、衆生救済を目指すそうですが、この法の、乗り物に入っている状態を、作り出さなくてはならない。
知性→肉体→感情→精気→塩(結晶化)←性←呼吸←食べ物←印象
頭の中の世界で生きている我々が、肉体に働きかけることで、感情に不調和が生じてくるが、この不調和に対して、肉体に更にエネルギーを蓄えることによって対応していく。
そうして、この余力エネルギーが十分に高まったときに、この世界の繊細なる物質が、空気として得られ、呼吸、血液の流れでハートに届き、このハートが、大空に開かれた、天空のヴァイヴレーションと繋がることで、精気を体内に送り込むのだ。
この精気は人間の最高次物質である、性と、ハートで融合して、体内に、血液の流れと共に、この、聖プラーナ氏を循環させ出すのである。
そうして、この精気と性から得られた男性性、女性性の力は、対象と自己とに分断された意識を、上空点においても、相対点においても、破壊して、自己同一化を解除する。
自己同一化が解除されれば、私たちは、個人的な存在ではなくなる。
世界がわたしになるのである。
この世界であるわたしは、実は、すべてが有る場所である。
ここに欲望と怒りと迷いがあり、取ろうとすることで、我々は執着の中で、輪廻を繰り返している。
この世界は、眠りの意識の中にある。
これは、上空のヴァイブレーションの世界の、更に上位の世界である。
ここに至るのは、肉体→感情の変性が十分に染みとおった時点で、世界を貫通することである。
つまり相対の壁や、上空の壁ではなく、世界自体の壁が眠りの意識なのであるが、これを貫通することなのである。
この世界の、認識の、向こう側が、彼岸であり、そこは、あらゆる想定を超えている、世界なのである。
不生無始の状態であり、これは、言葉を超える。
この地点に到達する必要はないかもしれないが、問題は、日常生活での、上空のヴァイヴレーションへの飛躍を実現していくことである。
塩が無ければ結晶化はされない。
水の中に、大量の塩が投入されると、ある点を越えると、塩のまま残る。
これを結晶化というのである。
この塩は、感情中枢部に投下される、福力である。
この『福力』とは幸いであること、至福であることであり、それは、世界の向こうから来ているのではあるが、この世界の中では上空のヴァイブレーションから来る。
であるからして、大円、大空の意識と自己の意識を統一させて、肉体を、この上位のエネルギーの中で完全に、脱力、リラックス、させることである。
これは、大空と肉体が共鳴することなのだ。
エネルギーの余剰分が、呼吸と印象に働きかけることで、結晶化がはじまるが、この結晶化とは、性の内転である。
この性の内転を起こさせるのは、非常に、繊細なる印象、その呼吸による受容であり、それが胸を打つことで、はじまるのである。
この胸にいる『かぐや姫』が喜ばしきものに出会ったときに目覚め、この、目覚めが世界を浮遊させるのだ。
日常生活に落とし込めば、
①姿勢・動作の観察
②全身の筋肉を緩めること
③怒りが全身に広がらないようにする
④頭のおしゃべりを沈黙させる
ということになり、これは、エネルギーを増幅させて、余力を生むためにすることなのである、そして、これは、悟るための力ではない。
このエネルギーの蓄積が大量になったときに、自己の意識とは、関係なしに、変性がはじまっていくのである。
そうして最期に、手放すことだけが残る。
放心することである。
この、ことの、理解をするのは、知性ではない。
ハートが理解するのであって、知性は、到達できない領域なのである。