まるの日<へミシンクとミディアムな暮らし> まるの日圭(真名圭史)の公式サイト

ネコ20匹を世話するため、本を書いたりバイク乗ったり。見えない世界ととその狭間を見ながら日常を生活する一人の男の物語。

まだ忙しいですね。

2010-12-09 21:50:19 | 『日常』
今日は朝から冷たい雨が降っております。
というか、阿蘇ではミゾレのような感じ。ぼたぼたいってましたから。

さて、そんな冷たい雨のなかでも職場の改善と引越しは続いておりまして。
夜は宴会のデザート係となったので、その準備もあります。

しかし、新店舗での販売打ち合わせとか、人員の流れなどで意見の食い違いが結構出てくるので。未だにスムーズにいかないところです。
部門で収益を見る場合、人間は少なくて早く仕事終わらせたほうが得です。
なので、新しい機械を入れているのですが。
そこで、販売店舗を長く開けるので人員を配置しないといけない、となると人件費とそのあけている間にそれがペイできるのか、とかのバランス感覚が必要になってきます。
他の方は「会社がそう決めたのならばそうしましょう」的なノリなのですが。私はひねくれ者なので「いや、何の根拠も無いのにそれでいいのか?」と抵抗していたりします。
しかし、結局はその会社の雰囲気に飲まれざるを得ないのですけどね。
これがサラリーマンの悲しいところ。
今も新しい施設の打ち合わせとかで、自由にならない歯がゆさを感じるところでもあります。
ま、制限があるなかで過ごすのは、現実世界での魂の目的みたいなものですから。
サラリーマンという制度は、実は向うの世界とこちらの世界のシステムを表現した。一つの「世界」なのかな、なんて思うときもあります。
山奥で一人内面と対話するのもいいですが、俗世でサラリーマンで家庭と会社にもまれていくのも、一つの精神的な修行ですしね。
宗教的な組織になると、修行しているひとが偉いと思われそうなところですが。
会社で愚痴をこぼしながらでも安い給料で生活をして、その中から楽しみを見つける。
そういう生き方のほうが、偉いと思います。

私がアセンション的な思想が苦手なのは、「意識の革新が起こった人だけがアセンションできる」的な事をいう方が結構多かったからです。
そんな事はないと思います。
今を生きているすべての人に、その権利と導きは存在しているのですし。
そもそも、生きている事自体に、コレまでのいろいろな積み重ねを解消したり、開放したりする意味合いがあるのだと思いますよ。
良く、生きていると、輪廻を繰り返すとエゴがくっついてきているので、それを付けないように、開放しなから生きていきましょう。という話もありますが。
私は今を生きているだけで、一見「こいつ大丈夫かよ」的生き方をしている人も、すべて魂の開放の意味合いがあると思っています。
それが、今の社会でみると、良い事と悪い事に別れてしまうのですけどね。
それにも全てに意味があるのだと思いますよ。

という事を考えながら、今日も残業です。
意味があるとはいえ、それだけでは疲れは取れませんからね。どっかで休日を頂きたいものです。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
まるの日さん、こんにちは。 (りんパパ)
2010-12-09 21:57:13
 ほんと、忙しいですね。

 でも、この忙しさも、今だからできるのですね。

 まだ、若くて体力があるから、続くのですね。

 今のまるの日さんは、きっと、そう言う時期なんてすね。

 今日も、残業、お疲れ様です。
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どうして 悩ケン(ナヤケン)なのかと申しますと、借金を抱えて悩ケンではありません・・まあ、借金はありますけど(笑) (悩ケン)
2010-12-10 20:25:09
悩ケンの意味は、平和な生活 そうなることが普通に幸せである事とは思いながらも、私は日頃の何気ない平和な生活でも、なぜ人は社会の決められた条件の下で人生を歩み喜怒哀楽に一喜一憂しなければならないのかという生に対しての疑問が解けず悩んでいたからです。

圭さんが『制限があるなかで過ごすのは、現実世界での魂の目的みたいなものですから』と云われたことには共感いたします。

要は、どのような条件の下で生を送ろうとも、自らが納得した人生を送ることが重要ということでしょう。そのためのへミシンクでしょうか。

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