今日は最初に、頂いたイラストから御紹介。
なんか、雑誌か何かのコーナーみたいな紹介ですが。
こちら、私のブログ読者の方に書いていただいたものでして。
イラスト見た瞬間に、一発で気に入ってしまい。
あつかましくも「ブログ、載せていいですか?」という事で載せさせていだたきました。
ルリカさんが最初に目に入ったのですが。雰囲気があっていいですねぇ。
私のイラストでは伝わらないニュアンスが含まれていて、本人の雰囲気を良く表していまして。私はすぐに「あ、ルリカさんだ」と気付きました。
ジーラも私も書いていただいてますし。雰囲気出てます。
メールでのお話しでは、何かこういうイメージが降りてきたという事でした。
こういうのって、向うの世界とつながっている瞬間なのですよね。
こういう風に、イラストにしたり、詩にしたり。向うの世界での体験はいろいろな表現がありますし、体感するものもあります。
ぜひ、直感的に感じたものを形にしてみられると、向うの世界を感じやすくなってくると思いますよ。
しかし、この絵はいいです。
ちょっとヨーロッパあたりの童話の挿絵にありそうな雰囲気で。
ルリカさんの目つきも良い感じです。
さて、今日のヘミシンク。
このイラストから触発されて、久々三者会談(快談?)です。
「ところで、見えないものを『感じる』にはどうすればいいのですか?」
「その衝動に身を任せればいいのよ。そしたら、新しい自分に目覚めるわよ。」
「なんか、官能小説にありそうな下りですね。」
「あなたは、愛や夢、を感じることはできるの?」
「たぶん」
「どうやって?」
「それ聞かれると困りますね。なんかいい感じ、としかイメージできませんし。」
「ある程度定義されている言葉はあるけど、それを体感するのは人それぞれ。あなたの言う「なんか良い感じ」程度の貧しい表現力では人に上手く伝わらないでしょうし。」
「貧しくて悪かったですね。そもそも、愛を感じるには、愛するか愛されるかしないと分からないものでしょうけど。そこに情愛とか親愛とか人間愛とか家族愛とかいろいろ入ってくるとどれが愛の真の姿なのか分かりにくくなりそうですよね。」
「真実の姿を探そうとするから分かりにくいのよ。」
「愛に真実は無いと?」
「真実。と思いこんでいるものはあるわよ。」
「一般的な真実はないのですかね?」
「愛とは心を受け入れる事。そんなものかしら。」
「相手の心を受け入れるだけなら、憑依も同じようなものじゃないので?『憑依ラブ』とかあまり聞かないですけど。」
「相手の心が侵入してくるのとは違うのよ。受け入れるのは同意があって始めて可能となるのだし。」
「でも、恋愛ざたのドロドロ感は、愛というより束縛に見えますが。」
「でも、双方納得して相手を受け入れているんでしょう?それでいいじゃない。その過程は様々よ。」
「愛憎の末にストーカーとかになっても?」
「それは一方的な思い込みでしょう。」
「でも、一時は愛があったかもですよ?」
「相手の心を受け入れていれば、ストーカーになる前に気付くはずです。どこかで、相手の心を自分の都合のいいように解釈して加工して受け入れた。だから、それは愛ではないの。相手の心をこちらの解釈ナシで受け入れられる場合に、『愛』がつくのよ。」
「でも、ここで言う『愛』はルリカさんの定義の愛でしょう?他の人から見たらまた違うんじゃ?」
「私はあなたのガイドなのよ。他の人の解釈なんてどうでもいいわよ。あなたが納得できるように説明してあげているんだから。」
「他の人に対して、愛の無い言葉ですねぇ。」
「そこ勘違いしない。相手の考えを受け入れているつもりで、実は自分の考えと同じ部分だけを選択して受け入れているだけの場合もあるのよ。それ以外は見えないようにしてね。
だから、他の人が私の話をどう解釈しても構わないと言うのは。
その人が私の言葉から、自分が受け入れやすいものだけを受け入れるのが分かっているから。」
「私に対しては?」
「あなたは私にガイドされているんだから。私のいう事を全面的に受け入れるしかないのよ。」
「選択肢ないんですかね?」
「あなたが『選択肢』と思えるものは用意してあるわよ。」
「でも、ルリカさんの言う通りにして、まともに上手くいったことないじゃないですか。」
「MINIは?」
「アレくらいでしょう。初期のころは煮え湯ばかり用意されていた気がします。」
「あなたが私の言う事を受け入れなくて。都合のいいところだけを受け入れていたからでしょう?最近、それがなくなってきたから良い車も手に入ったんじゃない。」
「まだローン会社のものですけどね。」
「それがあなたの更なる労働意欲に結びつく事も見越して、ローンにしているのよ。」
「もっと、ガイドの導きで人生的に余裕のあるものにしてもらえれば、もっと多くの人が愛を感じることができて、世界も豊かになりそうな気もするのですが。」
「あなたには余裕がないの?」
「無いですね」
「食べ物は周りにあるし、欲しい情報もすぐに手に入る。安全にも気を使わなくてもいいし。生きる上での余裕はたくさんあるじゃない。」
「でも、仕事が忙しいですよ。」
「いろんな経験できていいじゃない。人間関係もいろいろと得られるものあるでしょう?」
「ありますけど、生活に余裕も欲しいですね。」
「どういう生活が余裕のある生活なの?」
「ローンが無くて、休みもいっぱいあって、働きたい時に働ける状態ですかね。」
「そんなの簡単よ。家も車も売り払えばローンはなくなるし。仕事も辞めたら休みもいっぱいあるし。日雇いで行けば仕事も好きな時にできるし。やってみれば?」
「それやったら、家族が路頭に迷うでしょう。」
「離婚すればいいじゃない。生活保護で二人は自分たちで生活できるわよ。あなたは一人で余裕のある生活を楽しめばいいじゃない。」
「それって、余裕のある生活なんですか?」
「あなたの希望にあわせると、こういう生き方もある、って事ね。」
「こう、豊かで余裕のある生活がいいのですけど。」
「豊かさとは何?」
「モノとお金がたくさんある事?」
「精神的な豊かさもあるわよ。」
「じゃあ、それを手に入れるには?」
「手に入れると考えるから無理なのよ。自分のところにとどめておこうとするから、ムリがかかって。それを保持しようとするから余裕もなくなるの。
欲しいものは受け入れて、その分の何かを手放して循環させていけばいいのよ。」
「それが、結果的に家族離散ですか。」
「そうじゃないの。欲しいものを手に入れるには、お金を循環させればいいし。欲しい情報を得るには、人と人との間で情報をめぐらせていくといいし。上手い事大きく循環させていけば、いろんな豊かさが手元にめぐってくるわよ。」
「でも、それやったら時間的余裕が無くなるでしょう。」
「それはあなたが危機感という恐怖心をもっているから。」
「そりゃあ、持つでしょう。」
「循環させたい時にさせると、それでいいじゃない。必要な人にはそれくらいでちゃんといきわたるから。そして、かえってくるわよ。」
「でも、それじゃあ循環させる人が少ないじゃないですが。少ないとめぐってくるのも遅くなるし時間かかるでしょう。」
「そうかしら?最初の数は小さいかもしれないけど、その循環させるものにエネルギーがあるのならば、世の中を上手くめぐるようになっているのよ。」
「エネルギーですが。それが無い場合は?」
「次々循環させていけば、小さな流れもいずれは大きな川になるみたいな、そんな感じになるわよ。」
「それを信じられるようになると、いいのですけどね。」
「そのためにも、どんどん循環させなさい。あなた達は体験するためにここに居るのだから。そこから学ぶのよ。」
「モット楽な循環のさせかたないですかね?」
「それが出来るようにあなたはできてないの。諦めなさい。」
「じゃあ、豊かになるには、地道な循環が必要なわけですか。」
「何でもそうよ。」
「愛も?」
「愛が欲しければ、自分から愛を発信しないと。それを続けていれば、いずれは自分のところに戻ってきます。愛が少ない、幸が無い、と思う人は、小さなところから愛を循環させていけばいいの。」
「どうやって?」
「愛を感じる事から始めるといいわよね。」
「それが出来ないから、悩むんでしょう。」
「まず、相手の心を受け入れてみるといいわよ。その葛藤の中から見つかるものもあるから。」
「葛藤が必要なんですか。」
「相手の心をそのまま一度受け入れてみると、そこには自分にとって受け入れやすい部分と、そうでない部分が出てきて。
それを自分なりに納得させる事が必要になってくるわ。
その過程で、相手の心を知り、理解し、受け入れる事が出来るようになるのよ。
あなた達はリンゴをそのまま丸呑みにしないでしょう?いちど、噛み砕いてから飲み込んで、消化されてからだの栄養になります。
まずは噛み砕く努力が必要よ。」
「噛み砕く力がなかったら?」
「私達の助けに常に耳を澄ませて、目を凝らして。周りを注意しておくといいわ。そこに助けがあるから。」
「それ、本当ですか?」
「あなたの場合も実践させているじゃない。」
「そりゃあ、そうですけどね。」
「ガイドは自分なのだから。自分で気がつかないと、ガイドをみつけられないわよ。」
「お、ちょっとガイドぽい事言いますね。」
「素敵なガイドですから。」
「自分で言うかね。しかし、ジーラなにしているんですか?一応、さっきから居るけど。」
ジ「話を聞いている。」
「それだけ?」
ジ「別に私が言う事は何も無い。」
「なら、なんで居るの?」
ジ「一応、ガイドだからな。」
ル「イラストのように配置したら、必要だっただけよ。」
「可愛そうに、背景扱いじゃないですか。」
ジ「ガイドは目立たないものだからな。」
「思いっきり目立つのもいますけどね。」
という感じで。ジーラが居てもいなくても関係ない雑談はこんなものです。
いろいろとあっちこっち話しも飛んでますが。
まあ、なんとなく言いたい事は分かりましたね。
循環させていかないと。
先日のバスの席の話題と同じようなものですね。
なんか、雑誌か何かのコーナーみたいな紹介ですが。
こちら、私のブログ読者の方に書いていただいたものでして。
イラスト見た瞬間に、一発で気に入ってしまい。
あつかましくも「ブログ、載せていいですか?」という事で載せさせていだたきました。
ルリカさんが最初に目に入ったのですが。雰囲気があっていいですねぇ。
私のイラストでは伝わらないニュアンスが含まれていて、本人の雰囲気を良く表していまして。私はすぐに「あ、ルリカさんだ」と気付きました。
ジーラも私も書いていただいてますし。雰囲気出てます。
メールでのお話しでは、何かこういうイメージが降りてきたという事でした。
こういうのって、向うの世界とつながっている瞬間なのですよね。
こういう風に、イラストにしたり、詩にしたり。向うの世界での体験はいろいろな表現がありますし、体感するものもあります。
ぜひ、直感的に感じたものを形にしてみられると、向うの世界を感じやすくなってくると思いますよ。
しかし、この絵はいいです。
ちょっとヨーロッパあたりの童話の挿絵にありそうな雰囲気で。
ルリカさんの目つきも良い感じです。
さて、今日のヘミシンク。
このイラストから触発されて、久々三者会談(快談?)です。
「ところで、見えないものを『感じる』にはどうすればいいのですか?」
「その衝動に身を任せればいいのよ。そしたら、新しい自分に目覚めるわよ。」
「なんか、官能小説にありそうな下りですね。」
「あなたは、愛や夢、を感じることはできるの?」
「たぶん」
「どうやって?」
「それ聞かれると困りますね。なんかいい感じ、としかイメージできませんし。」
「ある程度定義されている言葉はあるけど、それを体感するのは人それぞれ。あなたの言う「なんか良い感じ」程度の貧しい表現力では人に上手く伝わらないでしょうし。」
「貧しくて悪かったですね。そもそも、愛を感じるには、愛するか愛されるかしないと分からないものでしょうけど。そこに情愛とか親愛とか人間愛とか家族愛とかいろいろ入ってくるとどれが愛の真の姿なのか分かりにくくなりそうですよね。」
「真実の姿を探そうとするから分かりにくいのよ。」
「愛に真実は無いと?」
「真実。と思いこんでいるものはあるわよ。」
「一般的な真実はないのですかね?」
「愛とは心を受け入れる事。そんなものかしら。」
「相手の心を受け入れるだけなら、憑依も同じようなものじゃないので?『憑依ラブ』とかあまり聞かないですけど。」
「相手の心が侵入してくるのとは違うのよ。受け入れるのは同意があって始めて可能となるのだし。」
「でも、恋愛ざたのドロドロ感は、愛というより束縛に見えますが。」
「でも、双方納得して相手を受け入れているんでしょう?それでいいじゃない。その過程は様々よ。」
「愛憎の末にストーカーとかになっても?」
「それは一方的な思い込みでしょう。」
「でも、一時は愛があったかもですよ?」
「相手の心を受け入れていれば、ストーカーになる前に気付くはずです。どこかで、相手の心を自分の都合のいいように解釈して加工して受け入れた。だから、それは愛ではないの。相手の心をこちらの解釈ナシで受け入れられる場合に、『愛』がつくのよ。」
「でも、ここで言う『愛』はルリカさんの定義の愛でしょう?他の人から見たらまた違うんじゃ?」
「私はあなたのガイドなのよ。他の人の解釈なんてどうでもいいわよ。あなたが納得できるように説明してあげているんだから。」
「他の人に対して、愛の無い言葉ですねぇ。」
「そこ勘違いしない。相手の考えを受け入れているつもりで、実は自分の考えと同じ部分だけを選択して受け入れているだけの場合もあるのよ。それ以外は見えないようにしてね。
だから、他の人が私の話をどう解釈しても構わないと言うのは。
その人が私の言葉から、自分が受け入れやすいものだけを受け入れるのが分かっているから。」
「私に対しては?」
「あなたは私にガイドされているんだから。私のいう事を全面的に受け入れるしかないのよ。」
「選択肢ないんですかね?」
「あなたが『選択肢』と思えるものは用意してあるわよ。」
「でも、ルリカさんの言う通りにして、まともに上手くいったことないじゃないですか。」
「MINIは?」
「アレくらいでしょう。初期のころは煮え湯ばかり用意されていた気がします。」
「あなたが私の言う事を受け入れなくて。都合のいいところだけを受け入れていたからでしょう?最近、それがなくなってきたから良い車も手に入ったんじゃない。」
「まだローン会社のものですけどね。」
「それがあなたの更なる労働意欲に結びつく事も見越して、ローンにしているのよ。」
「もっと、ガイドの導きで人生的に余裕のあるものにしてもらえれば、もっと多くの人が愛を感じることができて、世界も豊かになりそうな気もするのですが。」
「あなたには余裕がないの?」
「無いですね」
「食べ物は周りにあるし、欲しい情報もすぐに手に入る。安全にも気を使わなくてもいいし。生きる上での余裕はたくさんあるじゃない。」
「でも、仕事が忙しいですよ。」
「いろんな経験できていいじゃない。人間関係もいろいろと得られるものあるでしょう?」
「ありますけど、生活に余裕も欲しいですね。」
「どういう生活が余裕のある生活なの?」
「ローンが無くて、休みもいっぱいあって、働きたい時に働ける状態ですかね。」
「そんなの簡単よ。家も車も売り払えばローンはなくなるし。仕事も辞めたら休みもいっぱいあるし。日雇いで行けば仕事も好きな時にできるし。やってみれば?」
「それやったら、家族が路頭に迷うでしょう。」
「離婚すればいいじゃない。生活保護で二人は自分たちで生活できるわよ。あなたは一人で余裕のある生活を楽しめばいいじゃない。」
「それって、余裕のある生活なんですか?」
「あなたの希望にあわせると、こういう生き方もある、って事ね。」
「こう、豊かで余裕のある生活がいいのですけど。」
「豊かさとは何?」
「モノとお金がたくさんある事?」
「精神的な豊かさもあるわよ。」
「じゃあ、それを手に入れるには?」
「手に入れると考えるから無理なのよ。自分のところにとどめておこうとするから、ムリがかかって。それを保持しようとするから余裕もなくなるの。
欲しいものは受け入れて、その分の何かを手放して循環させていけばいいのよ。」
「それが、結果的に家族離散ですか。」
「そうじゃないの。欲しいものを手に入れるには、お金を循環させればいいし。欲しい情報を得るには、人と人との間で情報をめぐらせていくといいし。上手い事大きく循環させていけば、いろんな豊かさが手元にめぐってくるわよ。」
「でも、それやったら時間的余裕が無くなるでしょう。」
「それはあなたが危機感という恐怖心をもっているから。」
「そりゃあ、持つでしょう。」
「循環させたい時にさせると、それでいいじゃない。必要な人にはそれくらいでちゃんといきわたるから。そして、かえってくるわよ。」
「でも、それじゃあ循環させる人が少ないじゃないですが。少ないとめぐってくるのも遅くなるし時間かかるでしょう。」
「そうかしら?最初の数は小さいかもしれないけど、その循環させるものにエネルギーがあるのならば、世の中を上手くめぐるようになっているのよ。」
「エネルギーですが。それが無い場合は?」
「次々循環させていけば、小さな流れもいずれは大きな川になるみたいな、そんな感じになるわよ。」
「それを信じられるようになると、いいのですけどね。」
「そのためにも、どんどん循環させなさい。あなた達は体験するためにここに居るのだから。そこから学ぶのよ。」
「モット楽な循環のさせかたないですかね?」
「それが出来るようにあなたはできてないの。諦めなさい。」
「じゃあ、豊かになるには、地道な循環が必要なわけですか。」
「何でもそうよ。」
「愛も?」
「愛が欲しければ、自分から愛を発信しないと。それを続けていれば、いずれは自分のところに戻ってきます。愛が少ない、幸が無い、と思う人は、小さなところから愛を循環させていけばいいの。」
「どうやって?」
「愛を感じる事から始めるといいわよね。」
「それが出来ないから、悩むんでしょう。」
「まず、相手の心を受け入れてみるといいわよ。その葛藤の中から見つかるものもあるから。」
「葛藤が必要なんですか。」
「相手の心をそのまま一度受け入れてみると、そこには自分にとって受け入れやすい部分と、そうでない部分が出てきて。
それを自分なりに納得させる事が必要になってくるわ。
その過程で、相手の心を知り、理解し、受け入れる事が出来るようになるのよ。
あなた達はリンゴをそのまま丸呑みにしないでしょう?いちど、噛み砕いてから飲み込んで、消化されてからだの栄養になります。
まずは噛み砕く努力が必要よ。」
「噛み砕く力がなかったら?」
「私達の助けに常に耳を澄ませて、目を凝らして。周りを注意しておくといいわ。そこに助けがあるから。」
「それ、本当ですか?」
「あなたの場合も実践させているじゃない。」
「そりゃあ、そうですけどね。」
「ガイドは自分なのだから。自分で気がつかないと、ガイドをみつけられないわよ。」
「お、ちょっとガイドぽい事言いますね。」
「素敵なガイドですから。」
「自分で言うかね。しかし、ジーラなにしているんですか?一応、さっきから居るけど。」
ジ「話を聞いている。」
「それだけ?」
ジ「別に私が言う事は何も無い。」
「なら、なんで居るの?」
ジ「一応、ガイドだからな。」
ル「イラストのように配置したら、必要だっただけよ。」
「可愛そうに、背景扱いじゃないですか。」
ジ「ガイドは目立たないものだからな。」
「思いっきり目立つのもいますけどね。」
という感じで。ジーラが居てもいなくても関係ない雑談はこんなものです。
いろいろとあっちこっち話しも飛んでますが。
まあ、なんとなく言いたい事は分かりましたね。
循環させていかないと。
先日のバスの席の話題と同じようなものですね。
人間、欲望はきりがないですね。
よく、愛を与えるとか、日々感謝の気持ちを持つとか言いますが、これって、以外と難しいですね。
その気持ちはあるのですが、心から感謝の気持ちがわいてこないのですね。
ただ、心では思いますよ。感謝しなくてはと。
でも、心からの気持ちではないですね。
この気持ち、簡単なようで、難しいですね。
三人ともぼかした感じに色が塗られているところが光を表してるようですね。
ルリカさんとの会話も笑えます?。ツッコミの入れやすいガイドさんですね。
以前まるさんが紹介されてましたCDを二枚使う方法。せつこさんのCDでしたかね。瞑想の本を読んでから何故かそれをやってみたくなりまして、ヘミシンク+私の場合は水琴。そして、何とも言えない幸福感を味わいました?
もっと驚きなのは、水琴のCDの中に私が幼い頃に祖母に教わって唄っていた曲の頭の部分が入っていたことです。何か点が線になりました。
ここで、いきなりの質問で申し訳ないのですが、
フォーカス世界には、音楽があるのでしょうか?
もし、歌や楽器があるとしたら、聴かせてもらったり、教えてもらったり出来るのでしょうかね?
そして、そこでの経験を現実世界にもいかせるのだとしたら良いのになぁ~、と考えると夢が膨らむのでありました。
こんな感じのいいお部屋でゆっくりと過ごしてみたいわ~
わたしの中でジーラさんはスナフキン的なイメージで定着しちゃいました。
こんなカフェの片隅でまったりできたら気持ちいいだろうなー。
(なかなかまるの日カフェには行けないのです。ネオチばっかり。)
今回のイラストを拝見して、確信しました。
それは今年の3月、相模原で行なわれたムンクさんの
「ヘミシンク小祭り」の時です。
そこで「フォーカス10でガイドさんに会おう」というコーナーがあり、
その時、動く映像でルリカさんが登場しました。
壁に寄りかかって微笑みながらこちらを見てました。
涼しげな表情でしたので、何となく「あれ?ルリカさんかな?」
とは思ったのですが、まるの日さんのイラストよりも若干若く、
髪も少し短く見えたので、自分のガイドさんだと思ってました。
ただ、あまりにも鮮明な印象だったので、妙だなとは思っていました。
でも今回のイラストを見て「あっ!やっぱり」と驚きました。
雰囲気と言うか、意思の強そうな目元の感じとか、あの時の方です。
その日はムンクさんも「ルリカさんもいらっしゃってます」と
おっしゃっていましたので間違いないと思います。
まるの日さんやムンクさんのレベルだとありえるというか
割と普通の事かもしれませんが
僕にとってはこれは感激です。相当嬉しいです。
どうぞルリカさんによろしくお伝え下さい。
良い経験させて頂きました。ありがとうございます!
ちらっと見た瞬間に、ルリカさんの雰囲気が伝わってきました。
長いおつきあいですが、初めて靴履いている姿見た気がします(笑)。
山月さんはルリカさんと会われていたんですね。失礼な事していないか心配ですが。
このイラストに雰囲気がとてもよく出ていると思います。
空やんさんのご質問ですが。
向こうの世界には音楽はありますし、とても心地良いリズムが流れている事は良くあります。
ただ、それをこちらに表現できる人は良いのですが。
わたしには残念ながらそのセンスがないものでして。
音楽も楽器も、いろいろと探すと出てくると思いますよ。
作曲家のかたも向こうとつながっているようなものですしね。