写真は昨日の通詞島の風景になりますが。
今日は夜に娘の友人のご家族にお呼ばれしていたので、そちらに行っておりました。
先日交通事故を起こされたので、その快気祝い?的な意味合いもありましたもので、妻がケーキなどを購入して。
そんな手土産持って閑静な別荘地へと向かいます。
そちらにおうちがあるのですが、周りの雰囲気と、今日の天気が霧深い感じだったので
「ここはスコットランドみたいだ(行ったことはないけど)」
と思えるようないい場所でして。ご主人のお手製料理などをいただいてたりしました。
というか、事故にあったのはこの方なんですけど。
特に後遺症もないということでちょっと安心です。
ご主人は海外の方で、奥様も英語の堪能な方なので。家のなかでは英語が普通に飛び交っていて、こういう環境で育つと子供も自然に英語が身につくのだな。
と思える感じでしたね。日常の会話だとなんとなく意味もわかりますし。
なんか、海外の家にお邪魔したような錯覚を持ってしまう感じでした。
いや、ここは九州の村なんですけどね。
で、なぜか金縛りの話からチュパカブラの話まで。
スピな話というよりは普通の会話のなかでそういう話で盛り上がっていたりするので、まぁ、なんというか。
そういう話にも抵抗のない開けた感覚の方々であります。
海外の話などでもいろいろと面白い話も聞けまして、ゆったりとした時間を過ごすことができました。
昨日は通詞島、通訳のいる島的なニュアンスのとこから、今日はハーフの娘さんのいるおうちにお邪魔していたりして。
なんだか、そういう異文化交流の流れに中に今いるのだろうか?
と思えるとこがありますね。
イルカは地球意識に強く繋がる存在、別宇宙と繋がる存在である人間。その関わりがその前の日にあったというのも、何か流れがそうなっているのかなと思えるとこです。
ということで、申し訳ないですが、明日からご質問とかにお答えさせていただきますね。
お二方に質問ですが、
この世に生まれて来た時、「死後の世界」「前世」「生まれ変わり」の記憶が、なぜ無いのでしょうか。
なにか理由があるのでしょうか?
この世に生まれて来た理由について、スピリチュアルではよく学びの為とか言われます。そしてだんだん成長していく…。
しかし私が思うには、前世等の記憶が無い状態で再び生まれ変わり人生が始まるというのは、
例えるなら、私たちは朝起きて一日が始まりますが、
昨日までの記憶が無い状態でリセットされて、一日が始まるのに似ています。
その日を一生懸命生きても、翌朝は再度リセット状態になります。毎朝毎朝その繰り返しです…。
仕事でもそうですが、人生何十年の経験と一日だけの経験では、比較になりませんし、仕事になりません。成長など期待できません。
このような無駄とも思える繰り返しは、何でしょうか?
学ぶとは、そもそも何を学ぶのでしょうか?
学んで行き着く先は何でしょうか?
そして、人間存在の根本とも言えるこれらの問いを、人間が知らないのはなぜでしょうか?
九州は、外国的な風景が多いのですかね。
スコットランドのような、場所で傷をいやすのは良いですね。
日本人は、そういう感覚がいまいちありませんね。
ま、まるの日さんの住んでいるところ自体が、別荘みたいですから、まるの日さんもいいところに住んでいるのですね。