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ネコ20匹を世話するため、本を書いたりバイク乗ったり。見えない世界ととその狭間を見ながら日常を生活する一人の男の物語。

ネコ紹介

2009-07-01 19:43:31 | オープニング・ザ・ハート
昨日は一日子猫観察の日でしたが。
家の中で、小さくてふわふわしたのが走り回る様子を見るのは楽しいものですね。それぞれにちゃんと性格もあって。こういう動物のしぐさを見ているだけでも癒されます。

              

家には妻の連れ子である、年で言えば高校2年生になる老猫もいて、家の中は猫と人間の数が同じという状態になっています。
まあ、雨の日でも退屈しませんね。ただし、子猫なんでどっかに行方不明になりやすいのが要注意ですが。
嵐の一日であった今日は、売り上げもたいしたことなく。寂しい感じでした。
こんな日もありますよね。

さて、今日のヘミシンク。
ここ数日ネット上でも『愛』について考えさせられるような出来事がおこっていたりしますね。
私は基本、ヘミシンクは個人の探求の道具だと思っていますので、他の方の体験は、その人にとって意味があるからそこにその体験が来ているのだと思っています。
なので、共同探索で見えても見えなくても、それはその人にとって、今必要なものが見えているのでしょうね。という感じです。
その体験から何を学ぶか。そこが自分を高めていく足がかりになっていくと思います。

それは、非物質世界だけの話ではありません。現実世界も含めた話しです。
スピリチュアルに傾倒する方に特徴的なのは、現実世界の営みをおろそかにしがちなところです。
私達は、いくら政治家が腐敗していようと、官僚の天下りで無駄な税金が使われていようと、公共のサービスに頼って、今を生きているのですから。
こうやって早いネット環境でブログをやるのも、いい道路がそこにあるのも、無駄な税金を使い込んでいる官僚のおかげですし。どこかに発生する利権というものを利用して活動する方々がいるから、今そこにあらゆる便利なサービスが存在しているのですしね。
まず、その自分がお世話になっている事実は事実として受け入れる必要があると思います。
そこで、やっぱりおかしいよね?と思ったらそれを変えるべく動くべきでして。
という事で、選挙には皆さんちゃんと行きましょうね。スピリチュアルな話しだけでは今ここに存在できないのですから。

ちょっと話しは逸れましたが。

非物質世界で得た学びは、現実世界でも使えます。そして、現実世界で得た学びは、非物質世界でも使えます。
非物質世界の探求をするならば、まずこちらの世界での探求も同時に行う必要があると思うわけですよ。
周りを見て、そこにあるものはどうしてそこに存在しているのか?それを感じることを皆さんで始められれば、実は愛のある世界なんてすぐに出来上がるとおもうのですけどね。
それを感じる一つのアクセス方法として、スピリチュアルな考え方が存在しているのだと思います。

ヘミシンクをやっていると、そういう両方の世界の関係が見えてきて、次第に「現実世界って、案外素晴らしいよね!」と思えるようになってきたりします。
サービス残業ばかりとか、早朝出勤でも何も手当てつかないとか、年間休日もまともに取れていないとか、無駄な会議や研修がたくさんあるとか、とこれは私の場合ですけど。そういう世界ですら愛おしくなってきます。
ヘミシンクをする前は、そういう環境に嫌気がさしていて、かなりなストレス抱え込んでいたころもありました。私も鬱になりかけていた頃もありました。夫婦間も不仲になりかけていた頃もありました。
自分が不安定だと、周囲も不安定にさせてしまうものです。

そこですべてを悲観していたら、たぶん今のこの気付きを得られていなかったと思います。
そんな現実世界を、心地よいものに変化させてくれたもの、それがヘミシンクだった訳ですね。
私がヘミシンクをおススメする理由はそこです。現実世界を豊かにする道具として。
非物質世界で得た愛の導きをこちらの世界でも表現するために。
と高尚なこと言いながら、まだまだですけどね。
こうやってブログ書いていること自体、まだまだな証拠です。
自分で、「それが普通」と思えるようになったら、あまり書いたりしなくなるものですからね。
最近私がレトリーバルを書かなくなったのは、普通にそのへんでやっているからです。ちょっとした仕事の合間に。ふと車の運転中に。妻に肩こりのある時とか。
自分にとって、それが「普通」になった時、人にはあえて言わなくなるのだと思いますよ。

さて、そんなこともありつつ、ちょっと基本的に『愛』についてそのあたりの事を聞いてみようと思いまして、オープニング・ザ・ハートの4枚目を聞きながらヘミシンクです。

まあ、当ても無くさまよっていると、そこに女性の手が見えてきました。優しい波動のある手です。
それは私をそっと導いてくれます。そこでメッセージが
「愛はもらうものではありません。愛はそこにあるものです。」と。
そして、その女性は「さあ、来て!」と言って私を誘います。
目の前にある、その女性らしき存在とハグすることで、限りない安心感を感じます。
豊かなエネルギーの流れを感じます。
どうして、こうやっていると安心するのだろう?と私が思うと。
「それは、ここにいることを認められているから。存在を受け入れられているからですよ。」
とお答えが。
「憎悪、憎しみ、怒り それらの感情は、そこに自分が存在している証として発しているものです。」という事も言われています。
「高い波動、低い波動、それで善悪は決まりません。高い波動をもっていても人は殺せるのです。波動の高い、低いはただの現象にすぎません。」
というような、ちょっとショッキングな事もいいます。
「大量殺人者とかも、そういう波動関係なしですか?」と聞くと、
「犯罪、というものは現実世界のルールに当てはめて、それからはみ出した事を言うのでしょう。ならば、高い波動を持っていても、現実世界と乖離しすぎている行動を行うと、それは犯罪となるのではありませんか? 高い理想の元に戦争を行います。でもその戦地で死ぬのは普通の生活を営みたいと思っている波動の低い普通の人々ではないのですか? 高い波動を持っている人物は英雄と呼ばれるかもしれません。しかし、見方を変えるとただの効率の良い大量殺戮者でもあるのです。そこのところをきちんと見ておいたほうがいいですよ。」
波動の高い、低いで正義、悪を判断するのも難しいものですね。言われてみればそうですもんね。悪い存在、良い存在、そういうものは、所詮自分の立つ位置によって変化していくのでしょう。

他にも言われたのが、会議やブログ上でのやりとりについて。
「ある人物から見て波動の低い意見、というものがあなたの元に来たとします。それに対してあなたが腹を立てたり、その意見に対して反抗したりしたとします。その時考えて欲しいのは、『なぜ、私はこの意見に腹を立てたのだろう?』という事。あなたが仮に高い波動を持っていると思っている場合、特にそういうふうに考えて欲しいのです。
波動の高いものと低いものは相容れません。自分が高い波動で構成されているのならば、そういう低い波動に対してあまり反応しないはずです。音叉でもそうですね。低い音叉をいくら鳴らしても高い音叉はピクリとも動きません。
その意見に対して自分は怒りを覚えた。それは、その意見と同じ波動のものが自分の内部にも存在しているという事ではないでしょうか。
その内部にある波動に気付くこと、これが大切なのだと思いますよ。現実世界はすべて意味ある物で構成されています。その低い波動があるのはなぜでしょう?
低い波動のある人間が劣っているわけではありません。
すべての人々と、同じ波長でハーモニーを奏でられるように、人間にはすべての音階が刻まれているのです。ただ、いつも使う音が違うだけ。
自分の内部に在る低い波動を否定することは、外にある低い波動を否定する事につながります。
自分の音階を楽しんで、そして、周りにいる人々とそれを使ってどうやって上手に音楽をかなでるか。そういう風に考えると、もっと世界が楽しくなるんじゃないでしょうか?」

うーむ、なるほど。と思ってしまいました。音階ですね。ヘミシンクでも同じ、7で次のレベルに移行します。音階も同じ7ですね。一週間も7日です。
すべてに意味があるのでしょうかね。

自分の中にある低い波動から高い波動まで、それらの存在を受け入れる事が必要なのでしょう。ピアノでも、上の音階だけでは重厚な演奏は楽しめませんもんね。
すべての音階を自分で奏でられるようになること。それがいいんでしょうね。
会議などでも、激しい意見で攻撃を受けた時。ムカッとしてもとりあえずはその意見を受け入れ、それからその意見に対する反論をおこなう必要があるのでしょう。それも、一つ上の段階で。まあ、このあたりの駆け引きは経験を積まないと難しいところありますが。


で、結果『愛』ってなんですか?
と私が聞くと。
「愛、とは『私』です。」
との答えが。「???」と思っていると、
「『私』は英語で I(アイ)。ですね。」
なんだ、駄洒落?と思っていると、
「世界に存在するすべてにはきちんと意味があるモノなのです。「愛」と「I」の発音が同じなのはどうしてでしょう? 『愛』とは自分自身なんですよ。
自分のすべてを認め、受け入れ、愛する事。そこから他者への愛は始まります。」

という感じで。まあ最後の締めはいつも高次の存在あたりが言う事ですね。
愛を発するには、まず自分を愛する必要があると。それがたぶん基本なんでしょうね。

で、今回、一番の疑問というか、気になった事は、この女性が誰なのか?ということ。
ハグしてもらった時の感覚、あのエネルギー感はルリカさんだと思うのですが、言っている事がいつもと違いますし。
ただ、エネルギーレベルによっては話し方も変化するのかも?
とかちょっと違うところが妙に気になった私でした。

『 愛はI 』、まあ、これをキャッチフレーズにしておくといいのでしょうかね。
今回は、心地よい感触のなかで話を聞いていた感じです。オープニング・ザ・ハートはいいですよね。愛とは受け入れること、それを体で体感してしまえますから。

さて、今回の事を体験した後、私の職場で使用しているプリンターがおかしくなることがありました。何度やり直してもがりがり言って動かないのです。
以前ならば私の拳による折檻が始まるところですが、今回は愛の話をきいたあとでしたのでアプローチを変えてみます。
そっと手でボディに触れ、愛のエネルギーを送り込んでみました。
そして、改めてスイッチを入れると、なんとすんなり動いたりして。
愛のエネルギー侮れません。
こうやって、現実世界でダイレクトに効果があると楽しいですね。

「ヘミシンクは現実世界と共にある。」

今回の出来事で、そんなメッセージを感じました。


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21 コメント

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『 愛はI 』、まあ、これをキャッチフレーズにしておくといいのでしょうかね・・・ (なおぽん(naoponpon))
2009-07-01 21:31:00
この言葉にズッシリ来ました。
深いです。
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今日もいい話ですね。 (ken2)
2009-07-01 21:43:19
「愛はそこにあるもの」ミスチルの歌にそんな歌詞がありましたね。「愛はきっと奪うとか与えるとかじゃなくて気がつくとそこにあるもの」だったかな

でも「愛はI」は初めて聞きました。本当にいいキャッチフレーズですね。

波動の話でピアノのたとえはわかりやすいですね。低いものも高いものも必要で、否定せず受け入れることですね。忘れないように「波動はピアノ」で憶えときます。
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今日の「愛はI]、 (メープル)
2009-07-01 21:53:16
数ヶ月前のモンローさんの「縁と円」のお話、
どちらも好きです。

言葉って凄いですね。ありがとうございました。
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Unknown (やじみ)
2009-07-01 22:11:45
こんばんは!私も今日オープニングザハート聞いてました。いつもクリックアウトしてしまうんですが、今日は一瞬鏡のように自分の顔が見えました。まるのひさんの文章を読んで納得。そうか、愛とは自分自身のことなんですね。今まで愛を外から与えられることばかり望んでたけど、ちがうんですね。なんか感動しちゃいました。
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今日もいいお話をありがとうございます。 (makomax)
2009-07-01 22:19:26
ルーク君、顔が人間っぽい(笑)
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まるさん、こんばんは!今回のお話も奥が深く、う?んと唸りながら読んでいました(笑)。 (Rose)
2009-07-01 23:18:37
すべての音階を自分で奏でられるようになる為にも、それぞれの音階を聞き分けられる耳を鍛えなければいけませんね。絶対音感の持ち主のようにすぐ聞き分けられる、そんな心の耳を持ちたいです。
そして、「愛はI」最近、他のブログで似たようなことをコメントしたばかりでしたが、それは自分自身に言っていることでもあるんです。ヘミシンクを始めた「自分とは、一体何者なのか」という自己探求に、自分を愛する(自分を許す)、自分を癒す、が、かかせないことだとわかってきました。簡単そうで難しいですね。精進致します。
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まるの日さん、こんにちわ。 (kemiko)
2009-07-01 23:23:26
ご著書を読んでこのブログを知り、毎日、この上もなく貴重な体験、情報を共有させていただいている一人です。
おすすめのオープニング・ザ・ハートを聞くようになって、最近その効能を実感できるようになってきました。

最初は違和感があった、「私は愛ですから・・・」というガイダンスの声にもようやくなじんできたこのごろ、今日のお話から、格段に理解を深めることができました。
「愛=I]の意味が実感できる、すばらしいCDと
出会うきっかけを作っていただき、本当にありがとうございました。
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Unknown (moonlight)
2009-07-01 23:29:51
F12で改めて、自分の魂とはどんな風に見えるんですか?と聞いてみました。そしたら、『“自分”を見なさい』というのが聞こえました。そのあと、川の流れ、一面に紫色の花畑、その次に窓のあるかわいらしい家が画像で見えました。そしてインスピレーションで、流れにそって自然に変化(成長していく)事、心が休まる癒し(紫の花畑)と、私たちが今生に生まれてくる以前のホーム(家)がいつも存在する所。と言うことで、魂とはどんな風に見えるのか楽しい経験しました。

その中で、最初に聞こえた、『自分を見なさい』と言う声は今回の“愛はI”に意味が繋がっているように感じました。つまり、魂は、『I』であり、また『I』は『私』であり、今日のまるさんの『愛はI』につながり、今回の私のF12の体験は、まるさんの話しの内容と関連があり、興味深かったです。
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Unknown (パパゲーノ)
2009-07-02 00:01:31
子猫ちゃんたちの写真、なんという可愛らしさ!! 兄弟みたいに仲良しですね。美ネコちゃんたちに感動! そして、毎日、まるさんの奥の深い話に感動しています。ヘミシンクは、それぞれの人がそれぞれの体験をしながら学んでいくツールということが段々わかってきました。いよいよ私もやってみたいと思うこの頃です。根がすごく臆病なので、怖いガイドに出会ったらどうしよう・・とか、やりたくないことを、やるように言われてしまったらどうしよう・・とか、霊が見えるようになっちゃったらどうしよう、とか、いろんな人の本やブログを読んで、ずーずーしい不安を感じたりもしていましたが、まるさんのブログを読んでいたら、自分自身に合った体験ができるようになっているのかな、と思えるようになってきました。私は、前世を見てみたいなあと思っています。(以前、ヒプノを受けても、よくわからなかったので。) レトリーバルの話も、とても興味深いので、たまに聞かせていただけたら嬉しいです。
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いつも楽しく拝読しております。 (ミノル)
2009-07-02 00:28:43
きょう、音階の話が出てまいりましたので、参考になればと投稿いたしました。
グルジェフという神秘哲学者がおりますが、彼の思想の核となる一つが「オクターブの法則」というもので、まさしく、宇宙の全現象は、ドレミファソラシドの音階のように進行するといいます。ここでは「7」という数は、宇宙的にとても意味のある数とみなされています。
最近、いろんなヘミシンク関係のブログに登場する「振動数」や「密度」という概念も、おそらくグルジェフにその起源があるのでは? 彼は「水素数」という言葉を使って、万物を振動数において序列化しております。
きょうの話のように、振動数が高いことが大事なのではなく、高い振動数を活性化するためには、低い振動数の体験が大事であるというようなことを言っています。まるで、きょうのまるの日さんの、「洗練されたルリカさん」(?)の言葉に似ていませんか?
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