昨日は子供の当てた割引券(過去のブログにあり)を片手に、焼肉屋さんへと行きました。
しかし、私の小学校の頃なんて焼肉屋なんて行った事もなかったのに。
最近の子供は贅沢です。
私の初焼肉屋の思い出は、中一の時に塾の先生に皆で連れて行かれた、食べほうだいの焼肉屋ですね。私もつい数ヶ月前までは、焼肉といえば食べ放題しか行った事無かったですから。
しかし、最近は焼肉屋もいろいろとサービスしてきますね。
前回は、子連れだと子供にアイスを最期にくれましたし。
今回は予約して行ったのですが。「予約してくださったお客様にはアイスが付きます」と言われて。全員にデザートも付いてきましたし。子供には風船くれましたし。
子連れを取り込もうとする考え方は、上手いものだなあ、と思います。
たぶん、また行く事になるでしょう。
さて、話題は変って。
先日の絵に触発されて、ちょっと私が見た場合の絵でも。
こんな感じで、同じ情報を受け取ったとしても、細部が異なる場合は結構ありますので。
書き手のクセみたいなものもありますかね。
私が書くと、ちょっとしょぼいのですが。
「ルリカさん、ポーズつけなくてもいですよ。」
「絵書いているからじっとしてあげているんじゃない。」
「目がどっかいっているから。」
「遠くを見つめる美少女って絵になるじゃないの。」
「書く人の技量にもよりますけどね。」
などと言う感じで描いたものですが。まるの日カフェの一角、という感じですね。
まあ、こういうふうに、ルリカさんの姿の感じとか、そういうものが書く人によって多少異なることもあると、そういう感じです。
さて、今日のヘミシンク。
今日はフォーカス10を聞きつつリラックスモードです。
というか、瞑想状態ですかね。
ナレーションで「あなた自身が立てた目的を達成してください」とか言うので、なんか身構えてしまいますが。別にぼんやりしていてもいいですので。
音の振動に体をあわせると、体中に振動が走るような感じがあります。
だんだん慣れると気にならなくなるのですが、久々に意識を向けると、細かく振動しているような気がしますね。
で、たいてい雑念などが出てきて、普通はこまるのですが。
そういう時は「雑念棚」を作って、そこに押し込んでおきましょう。
ふと全く関係の無い仕事のほうに意識が向いていたら。「いやいや、これはあとからでいいのだから。」と思い返して。棚の中にその仕事の話を押し込んでしまうといいです。
右から来た雑念を左の棚に入れていく感じでしょうか。
箱ではないので、適当に放り込んでもOK
雑念を、「とりあえず、今は必要ないからあとで見よう」程度のかるい気持ちでちょと横にのけておくイメージでしょうか。エネルギー変換ボックスまでは使わないけど、邪魔にはなるもの、を置く棚などを設置しておくと便利ですね。
そして、雑念それ自体に意味もありますので。メモをあとで取っておくといいですよね。
ちなみに、今回私の見た雑念は。
フォーカス10のマッサージチェアに座っていると(私はフォーカス10に椅子を置いてます)、魚の絵のかかれたまるい陶器の皿、赤い液晶テレビ。ナゾの友人と、その友人関係。街灯の付け替え。子供が何かいじっているのでそれを起こっているイメージ。
とかとか、雑念はこうやってしょっちゅう出てくるものなんです。特に、何も目的も無く、「リラックスでもするかな」とか思って聞いていると。
そこで、思い浮かんだものを棚に放り込んで。体験中はそのまま棚に放り込む作業だけをして。
聞き終わってから、あとでそれをメモして。
それを繰り返していると、雑念の中にあるなにかの方向がみえてくると思います。
雑念は、向うの世界からの情報を受け取ってはいるけど、それを変換する作業が上手く行かないので、今までの記憶にある何かをシンボルとして記憶の表層に持ち出している状態。
の時もありますので。
見えてきたものに注目するのではなくて。それを見た時に感じた気持ちをメモしておくのも必要だと思います。
まあ、今日はこんな感じで。
リラックスしながら、雑念を流していた感じですね。
慣れてくると意識が一つのことに捕らわれにくくなってきますので。もちろん、体調が悪いとダメですけどね。
体と意識が分かれる境界に来たとき、そこでは今まで肉体と連動していた意識が少しずつずれてきはじめて。
肉体意識によって押さえ込まれていた「向うの意識」がじょじょに開放されていく過程。
それが「雑念」なのかな、と思っています。
だから、雑念は過程であって、「出るもんはしょうがない」的な感じで。
「雑念は意識を高いところに上げていくための階段みたいなもの」、とも言えるかと。
雑念を乗り越えていく事で、その先に進む事が出来ます。
でも、雑念を取りさった訳ではなくて、足場に利用しているという感じで。
家の2階に上がるのに、階段を登らないといけませんが。「階段登るの面倒」と言って階段を取り去ってしまうと、二階に登れなくなります。
「階段に段差があるから、上に登れないのだ!」と階段の段に怒ってみても。それは何の解決にもなりませんよね。段差がないと登れないのですから。
なので、雑念を
「雑念があるから、体験が進まない!」と思わずに、
「雑念が浮かぶたびに、自分は一段ずつ意識の階段を確実に登っているのだ!」
と思うと、少しは気が楽になると思います。
大人の階段登る~♪
ではありませんが。だれかが来て、運んでくれるわけではありません。
自分でこの階段を登ったとき、その先に自分に必要な存在が、微笑んで出迎えてくれるの思いますよ。
まあ、たまにムチ持って待ち構えているかもしれませんが。
私も瞑想を始めたときは、3ヶ月毎朝雑念だらけでしたから。
でも、その雑念を敵視しないで、よこに流していくようにしていたら、いつの間にかガイドが先に待っていた。とそんな感じですね。
雑念の階段を登った先には、果たしてなにが待ち構えているのか?
そう思うと、ちょっと楽しくなりますね。
しかし、私の小学校の頃なんて焼肉屋なんて行った事もなかったのに。
最近の子供は贅沢です。
私の初焼肉屋の思い出は、中一の時に塾の先生に皆で連れて行かれた、食べほうだいの焼肉屋ですね。私もつい数ヶ月前までは、焼肉といえば食べ放題しか行った事無かったですから。
しかし、最近は焼肉屋もいろいろとサービスしてきますね。
前回は、子連れだと子供にアイスを最期にくれましたし。
今回は予約して行ったのですが。「予約してくださったお客様にはアイスが付きます」と言われて。全員にデザートも付いてきましたし。子供には風船くれましたし。
子連れを取り込もうとする考え方は、上手いものだなあ、と思います。
たぶん、また行く事になるでしょう。
さて、話題は変って。
先日の絵に触発されて、ちょっと私が見た場合の絵でも。
こんな感じで、同じ情報を受け取ったとしても、細部が異なる場合は結構ありますので。
書き手のクセみたいなものもありますかね。
私が書くと、ちょっとしょぼいのですが。
「ルリカさん、ポーズつけなくてもいですよ。」
「絵書いているからじっとしてあげているんじゃない。」
「目がどっかいっているから。」
「遠くを見つめる美少女って絵になるじゃないの。」
「書く人の技量にもよりますけどね。」
などと言う感じで描いたものですが。まるの日カフェの一角、という感じですね。
まあ、こういうふうに、ルリカさんの姿の感じとか、そういうものが書く人によって多少異なることもあると、そういう感じです。
さて、今日のヘミシンク。
今日はフォーカス10を聞きつつリラックスモードです。
というか、瞑想状態ですかね。
ナレーションで「あなた自身が立てた目的を達成してください」とか言うので、なんか身構えてしまいますが。別にぼんやりしていてもいいですので。
音の振動に体をあわせると、体中に振動が走るような感じがあります。
だんだん慣れると気にならなくなるのですが、久々に意識を向けると、細かく振動しているような気がしますね。
で、たいてい雑念などが出てきて、普通はこまるのですが。
そういう時は「雑念棚」を作って、そこに押し込んでおきましょう。
ふと全く関係の無い仕事のほうに意識が向いていたら。「いやいや、これはあとからでいいのだから。」と思い返して。棚の中にその仕事の話を押し込んでしまうといいです。
右から来た雑念を左の棚に入れていく感じでしょうか。
箱ではないので、適当に放り込んでもOK
雑念を、「とりあえず、今は必要ないからあとで見よう」程度のかるい気持ちでちょと横にのけておくイメージでしょうか。エネルギー変換ボックスまでは使わないけど、邪魔にはなるもの、を置く棚などを設置しておくと便利ですね。
そして、雑念それ自体に意味もありますので。メモをあとで取っておくといいですよね。
ちなみに、今回私の見た雑念は。
フォーカス10のマッサージチェアに座っていると(私はフォーカス10に椅子を置いてます)、魚の絵のかかれたまるい陶器の皿、赤い液晶テレビ。ナゾの友人と、その友人関係。街灯の付け替え。子供が何かいじっているのでそれを起こっているイメージ。
とかとか、雑念はこうやってしょっちゅう出てくるものなんです。特に、何も目的も無く、「リラックスでもするかな」とか思って聞いていると。
そこで、思い浮かんだものを棚に放り込んで。体験中はそのまま棚に放り込む作業だけをして。
聞き終わってから、あとでそれをメモして。
それを繰り返していると、雑念の中にあるなにかの方向がみえてくると思います。
雑念は、向うの世界からの情報を受け取ってはいるけど、それを変換する作業が上手く行かないので、今までの記憶にある何かをシンボルとして記憶の表層に持ち出している状態。
の時もありますので。
見えてきたものに注目するのではなくて。それを見た時に感じた気持ちをメモしておくのも必要だと思います。
まあ、今日はこんな感じで。
リラックスしながら、雑念を流していた感じですね。
慣れてくると意識が一つのことに捕らわれにくくなってきますので。もちろん、体調が悪いとダメですけどね。
体と意識が分かれる境界に来たとき、そこでは今まで肉体と連動していた意識が少しずつずれてきはじめて。
肉体意識によって押さえ込まれていた「向うの意識」がじょじょに開放されていく過程。
それが「雑念」なのかな、と思っています。
だから、雑念は過程であって、「出るもんはしょうがない」的な感じで。
「雑念は意識を高いところに上げていくための階段みたいなもの」、とも言えるかと。
雑念を乗り越えていく事で、その先に進む事が出来ます。
でも、雑念を取りさった訳ではなくて、足場に利用しているという感じで。
家の2階に上がるのに、階段を登らないといけませんが。「階段登るの面倒」と言って階段を取り去ってしまうと、二階に登れなくなります。
「階段に段差があるから、上に登れないのだ!」と階段の段に怒ってみても。それは何の解決にもなりませんよね。段差がないと登れないのですから。
なので、雑念を
「雑念があるから、体験が進まない!」と思わずに、
「雑念が浮かぶたびに、自分は一段ずつ意識の階段を確実に登っているのだ!」
と思うと、少しは気が楽になると思います。
大人の階段登る~♪
ではありませんが。だれかが来て、運んでくれるわけではありません。
自分でこの階段を登ったとき、その先に自分に必要な存在が、微笑んで出迎えてくれるの思いますよ。
まあ、たまにムチ持って待ち構えているかもしれませんが。
私も瞑想を始めたときは、3ヶ月毎朝雑念だらけでしたから。
でも、その雑念を敵視しないで、よこに流していくようにしていたら、いつの間にかガイドが先に待っていた。とそんな感じですね。
雑念の階段を登った先には、果たしてなにが待ち構えているのか?
そう思うと、ちょっと楽しくなりますね。
ちなみに、喫茶店に始めていったのは、高3の頃です。
昔は、喫茶店は不良のたまり場と言われ、校則で入るのを禁じられていました。
大人の階段登る・・・、この歌は、H2oの歌ですね。
最後に、少女だったと、いつの日か、思い出す時が来るからー、なんて感じでしたかね。
私の大好きな曲の一つです。
いや?懐かしいです。
ヘミシンクでは、次から次に夢の中にガイドさん登場です?。相変わらず起きて暫くすると忘れてしまいますが、不思議に次のヘミ中にはポイントだけは昇ってきます。
今日も本を読んでいて、一部の文章からプニョ登場!多分その内容がガイドからの私へのメッセージなんだろうと思います。?
だから、今晩はそのメッセージにそってヘミばってみますね?
それでもいいんですけど、時間かかるっていうか。。
今、穴の中に落ちてゆくアリスの棚を作りました。今度から利用してみます☆
「心に棚を作れ!」
とは島本和彦の名言集にある言葉ですが。
あれは別の意味ですので、今回の参考にはなりませんよ。
雑念も必要な概念ですので。
まずは1つずつ登ってみるのもいいものではないかと思います。